Category: よっしーずボイス(ブログ)

効果と逆効果 続き

最近の卒前の養成過程がどのように行われているのか

私にはごくごく一部のことしかわかりませんが

作業療法の光と影の部分について

学生のうちにきちんと教えておく

必要があるように感じています。

これは、養成校が行うべきことなのか

あるいは、インターン実習で行うべきことなのか

議論の余地があるようには思いますが

いずれにしても、

就職する前にしっかりと感受しておいてほしい。

と願っています。

 

「作業療法はすばらしい」

「作業療法は人々の心身の健康に寄与できる」

 

本当にそう思います。

でも、それが対象者の立場にあって

具体的現実的に実現できるためには

作業療法士は相当苦労して学ばないと辿り着けない

(常に道の過程にあるだけで到達できないのかも…ですが)

 

作業療法のプラスのことばかり洗脳されて

用い方、扱い方に対する姿勢や方法論などを学んでこないと

臨床に出てから修正するのが困難なこともあります。

他職種が作業療法を誤解している…というのも

実は、

作業虜法士が実践していることと

言語化していることに乖離があって

その矛盾点を

「プロ」である看護師や介護職から指摘されているだけ

つまり「誤解」ではなくて「現実」である

というケースも実際にはあるのではないでしょうか。

誤解しているのは他職種ではなくて

作業療法士自身が現実を誤解している…という(^^;

 

作業療法の光と影

「影」は、自分と別個の特別のことではなくて

「作業療法」そのものと自分自身とが抱える

プラスと一対のもう1つの側面

ということを。

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効果と逆効果

本当に効果のあるものは使い方を誤った時の逆効果も大きい

と考えています。

 

車は便利だけど運転操作を誤ったら事故につながります。

薬は効果があるけど

服用方法を間違えたら大変なことになります。

 

車が悪いのでも

薬が悪いのでも

ありません。

悪いのは、方法。用い方。扱い方。なんです。

 

効果の高いものほど

扱い方、使い方を誤った時の逆効果も高く出る

 

作業療法はどうなんでしょう?

「療法」として位置づけられているからには

作業が人々の心身の健康に寄与する。はず。

でも本当に効果があるなら

同時に、逆効果に対する

リスク管理、リスクヘッジが必要なのでは?

(言うまでもないことですが、
ここで言うリスク管理とは対象者のことではなくて
提供するAct. に関するリスク管理のことです)

 

モノゴト、良いとこどり…なんて、ないもの。

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課題集団の扱いは要注意

実際の臨床の現場では

課題集団が圧倒的に多いように感じています。

みんなで体操をしたり

みんなでちぎり絵をしたり

 

課題集団の良いところは

構成メンバーが課題集団への参画を理解できていると

集団凝集性が高まり

共通する目的達成のために協力しあう…という

社会の良い面を活かすこともできます。

 

逆に、

案外、自覚されていないままに使われているように感じていますが

構成メンバーが課題集団への参画を

理解できていないままに実施すると

共通する目的達成を優先するために

個々の能力と特性よりも求められている行為に従う

…という面が色濃く出てきてしまいます。

 

段階付けとして、工程ごとに役割分担としておこなう

…という方法も多いようですが

基本的にはこれも同じだと感じています。

表面的には、役割分担として「できた」部分があったにしても

実際には、ご本人はしんどい思いをされていたりもします。

何故なら、周囲に合わせる…ということはさんざんしてこられたから

そして、自分自身のためではなくて

誰かのため、何かのために

努力してもできていたことができなくなってくる

喪失体験の渦中に今も尚生き続けているからです。

 

認知症のある方で

課題集団参画への理解が可能な方もいらっしゃるでしょうけれど

そうでない方にとっては

良かれと思っての提供が結果的にであったとしても

ご本人に辛い思いをさせてしまうことにもなりかねません。

 

課題集団として○○というAct.での場面での言動を評価する時には

提供したAct. という表面的な場面だけでなく

課題集団としての枠組みそのものが規定している「場」というものを

振り返ってみることも重要だと感じています。

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平行集団の活用

同じ時間と同じ場を共有しているけれど

取り組んでいる作業は人それぞれ

…という平行集団を活用しています。

 

その人の能力と障害と特性に応じて

段階付け、場面設定もした上で「場」を共有する

そこは1つの疑似社会となります。

 

いろんな人がいろんなコトをいろんなやり方でしている

という体験をすることができます。

 

個々の人が失敗しないで作業が行えるように工夫しているし

同じことを同じやり方で行うわけではないので

比較することもされることもないし

 

「場」がとても豊かになるのを実感できます。

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一番大切なことが一番疎かになってる

OTがなにか特別なことを企画して

対象者の方を楽しませたりとか

認知リハやトレーニングをしたりとか

それはそれで要請されていることでもあるけど

一番大切なことが一番疎かになってる

 

それは、ご本人ご家族にとって

どうしたら少しでも暮らしやすくなるのか

そのためにどういう工夫をしたらいいのか

ということを、具体的に現実的に言語化して伝えること

だと思う。

 

こんな風にしたらいいですよ

…等というマニュアル本もあふれていますが

Aさんに有効なことが

Bさんには無効なことだっていっぱいあります。

目の前のご本人にとって

本当に有効な方法論でなければ意味がない。

 

OTは医学的知識をもっている(はずです)

医学的な状態像、知識をもっている医師が

暮らしの困難改善のための具体的なアドバイスをしているのは

少数例だと感じています。

暮らしの困難に直面する介護職の多くは

医学的知識をもっていないので

アドバイスが表面的な方法論のレベルにとどまりがちです。

 

OTは医学的知識をもっている(はずです)

暮らしの困難が起こる状況の分析をできる(はずです)

対象者の能力と障害と特性を把握できる(はずです)

医学的知識に基づいて暮らしの困難の改善案を

具体的現実的に模索し提案するような 架け橋になれる(はずです)

 

OTがした場面設定という枠組みの中で

対象者の表面的な言動を観察をするのが仕事ではなくて

そこで表面的にあらわれている言動から

対象者の能力と障害と特性を把握すること

そして

日々の暮らしの困難を改善するために

具体的現実的な対応を言語化すること

一番大切で一番求められているのに

何故か臨床の現場では

疎かにされてしまっていることのように感じています。

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「難しいなぁ…」

あんでるせん手芸の1工程

広告紙を半分に折って手で切る

 

「カンタンそうに見えたけど難しいなぁ…」

 

こう言われたら、どう答えますか?

 

半分に折るためには

紙の端と端を合わせる必要があるし

紙を切る時には、切り込みの入る直前が一番力が必要で

その後は力じゃなくて

両手で均等に引っ張り合うことが要請される

 

これらの運動感覚を

手続き記憶として

身体が思い出せるまでには時間と反復が必要です。

その間、失敗ばかりしていたら嫌になっちゃいます。

 

こういう時に「ガンバって」と言うのではなくて

その人ががんばれるように

場面設定ができることが大切なんだと思う。

 

私たちが当たり前のようにできてしまっていることの複雑さ

そういったことを思い知らされる毎日です。

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他職種との連携 よくあること

実際の臨床場面でよくあることなのではないでしょうか。

他職種の強引で優しくない対応に文句を言う作業療法士(^^;

正直、私だってそう思ったことがない、と言ったら

ウソになります。

(いやーヤマほどある…と言ったほうが正確でしょうか…(^^;

 

でも、強引で優しくない対応をすることで

ようやく「現実」が回っている…と思われているんです。

 

現実は回さなくちゃいけない

他に回せる方法を知らない

 

だったら

私たちが考えるべきことは

違うやり方でも、回る「現実 」があることを示せばいい。のです。

 

やり方を変えろと「言う」のではなくて

現実を回せる他の方法論を「やってみせる」ことなのです。

ここのところを勘違いしている人って、とーっても多いのですが

抽象的総論的理想論しか言えないような人は

同じような場面に置かれた時に

案外何もできなかったりするどころか

結局、自分が批判していた以上のことを

やっちゃったりするんですよね(^^;

 

現実を変えたいなら

批判するのではなくて

具体的現実的な改善案の提案ができるくらいの自分になるほうが先!

 

言うまでもないことですが

提案というのは

その時点で自分が実践してみせられること

であって、誰かにお願いすることではありません。

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食べ方をきちんと観る

なぜ、昨日書いた記事のようなことが起こっているかというと…

主に、食事場面に関わる人の評価の視点が

「食べ物をこぼさずに口の中に入れられるか」

「ムセていないか」

の2点だけになっているのではないかと思われます(^^;

 

口腔内で食塊形成できるか

咽頭へ食塊を送り込むことができるか

等の口腔期のはたらきについて

あんまり確認されずに食形態が選択されているんじゃないかと

思われます。

食後に口腔ケアをすると思うのですが

口の中いっぱいに食べ物が残っていたり

頬の内側に食塊がこびりついているのを見てはいても

その現実が意味している状態像とが結びつかないのだと思われます。

 

治療が終了し

入院前の施設に戻る時には

食形態の変更とその根拠、食事介助方法についても報告しています。

 

不適切な食形態を選択していた…のですから

理由はどうあれ

状態像を把握できていないことを示しています。

 

より正常に近い食べ物を食べさせる

のが良いケア、リハではなくて

その人の状態に合った食べ物をその人が食べることを援助する

のが適切なケア、リハなのではないでしょうか。

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