Category: よっしーの情報クリップ

オススメActivity「スクラッチアート」

あまり知られていない
でも、現場で使えるActivityとして
スクラッチアートを紹介します!

スクラッチアートとは
ハガキ大の大きさの黒い用紙に
白い色で下線が描かれているので
同封されているペンで白い線の上をなぞって削っていくと
鮮やかな色が浮き出たり、ホログラムのような色が浮き出たりします。
ダイソーで販売されていたものを購入しました。

冒頭の作品は
1ヶ月半以上取り組んでいた方なので
複雑な図案でも綺麗にできるようになりましたが
もっとシンプルな図案もあります。
 
2-3分前のことも忘れてしまうような、
近時記憶が高度に低下している方でも作れます。

スクラッチアートの良いところ
1)工程が少なく、工程を覚える必要がない
  ・白い線の上をなぞる という1工程のみ
2)自身の関与の結果が明確で綺麗
  ・なぞった→色が浮き出た という達成感が即時に得られる
3)出来上がりが綺麗
  ・多少なぞり忘れがあっても失敗として目立ちにくい
  ・多少なぞり方が雑でも失敗として目立ちにくい
4)段階付けが容易
  ・シンプルな下絵から複雑な下絵まで種類が豊富
  ・風景画、動物、曼荼羅や星座など下絵が多様
   好みに合わせて下絵を選べる
  ・線をなぞるだけでも綺麗、面を削って色を出してもどちらも綺麗
   面の削り方に自由度があって工夫ができる

近時記憶が低下していても
構成障害があっても
手指の巧緻性が低下していても
大雑把な性格の方でも
「白い線の上をなぞる」ことができれば行えます。

綺麗な変化を感じつつ取り組めるので
作業そのものが集中力をサポートしてくれます。

気をつけるところは
1)眼精疲労
  ・用紙のコントラストが強いので休憩を挟むか、作業時間は短時間にとどめる
2)削りカスの処理
  ・黒くて細かな削りカスがかなりでます。
   おしぼりやタオルを用意しています。

応用としては
無地の用紙も売られているので
短歌や俳句や歌詞などの模写もできると思います。

綺麗な字で書ければ仕上がりも綺麗だし
そうでなくても味わいのある仕上がりになるんじゃないかと思っています。

私が手工芸的な結果が明白なActivityを行う時には
見た目の綺麗さには、こだわっています。
一生懸命やったのに、綺麗にできなかったらガッカリしちゃいます。

近時記憶障害が高度であっても
その場の状況理解はできる方は大勢います。
自分自身が納得できない結果を目の当たりにしたら
意欲も削がれてしまいます。
「褒めておだてて言いくるめればいい」と考える人は
ガッカリした認知症のある方の表情に気がつかないのでしょう。
頑張っても良い結果にならなかったという体験は
能力低下、老いへの無力感全般へと容易に一般化しやすいので
可能な限り回避できるようにしています。

Activityを行なったその都度
「お、綺麗!」「あら案外素敵じゃない?」
って感じていただけるように。
ポジティブな感情を抱けるポジティブな体験となるように
対象者の方の特性と能力とActivityのマッチングには気をつけています。

 

 

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工程はActivityに語らせる


重度の認知症のある方でも
Activityを行える方はたくさんいます。

初めて行うActivityを紹介する時には
まず最初に完成品を見ていただき
完成品の用途を説明します。

ここで興味を持った方には
作り方の説明を実演しながら行います。
実演する時は通常通りに最初から行います。


 
例えば
幅広い状態像の方に適用可能なのが毛糸モップ
毛糸モップを例にとって説明していきます。

 

1)ハンガーの下に毛糸をくぐらせる

2)糸先を輪っかの中に入れる

3)糸先を引いて毛糸をハンガーに結びつける

 ここの工程をあえて省くことも多々あります。
 認知機能が低下している場合には省いたようが理解しやすいケースが多いです。
 自分がやることだけを覚える、余分なことは説明しないという意味です。
 ここを誤解している職員が大勢います。
 丁寧に説明しようと思って説明しすぎてしまうと
 認知症のある方に入力刺激が多すぎて混乱させてしまいます。

 認知症のある方へのわかりやすい説明とは接遇を尽くすことではないのです。

 

 

認知症のある方に実際にやってもらうことを通して
工程を説明していきます。
ここで最も重要なことは工程の最後から体験学習するということです。

 

1)糸先を輪っかの中にいれておき、糸先を引き絞る動作をしてもらう

まず、この工程を繰り返し体験してもらいます。
迷うことなく糸先を引き絞る動作ができるようになったことを確認してから
次の工程にうつります。

 

2)毛糸の糸先をハンガーの下からくぐらせてから
  糸先を輪っかの中に入れ引き絞るという2工程の動作をしてもらう

 

この2工程を迷うことなく行えることを確認したら
ひとつ遡って、毛糸をとるという工程を追加します。

3)毛糸をとる、ハンガーの下をくぐらせる、輪の中に糸先をいれ引き絞る
  という3工程を行なってもらいます。

この3工程を繰り返し行なってもらい
迷うことなく行えることを確認したら
次に糸先をそろえるという工程を追加します。

4)毛糸を取る、糸先をそろえる、ハンガーの下を潜らせる、輪の中に糸先を入れ引き絞る
  という4工程を行なってもらいます。

 * ここは細かく段階づけをしていきます。

 

   まず、糸先はそろえて、隙間を開けて置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   糸先をズラして、糸の隙間も開けて、置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   毛糸を少し丸めた状態で置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   毛糸を一本そのままの状態で置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   3本ほどの毛糸をまとめて置いておき
   そこから1本取って行えることを確認します。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   毛糸をまとめた状態にして置いておきます。
   ここまでできたら、困っていないか時々確認する程度の見守りをします。

 

 

  ちなみに
  アクリル毛糸同士ではなくて
  モヘアや綿とアクリル毛糸の異素材の組み合わせも素敵です。

  ただし、モヘアは軽くて細くてつまんでいる感覚が分かりにくいので
  そのあたり大丈夫な方が対象となります。

認知症のある方あるあるなのが
最初はできていたのに
途中で混乱してわからなくなってしまうケースです。
  
  その方にとって、何か注意をそらせるようなことがあった時に起こりやすい
  なので、私はあまりAct.中には話しかけないようにしています。
  一般的に「楽しく!」という思い込みによって
  「わいわいした雰囲気」を作り出そうとしたり
  おしゃべりをするケースも散見されますが
  そのような場面は実は注意集中を妨げやすい場面設定でもあります。
  もちろん、そのような場面設定でも注意集中が可能であれば良いのですが
  重度の認知症のある方の場合には周囲の環境という場面設定によって
  本来の能力発揮が妨げられることのないようにしたいものです。

途中で混乱してしまったり
トイレなどでいったん手を止めた後で
できなくなってしまった場合には
迷いなくできる工程まで戻ります。
この時に工程の最初に戻るのではなくて
工程の最後から確認していくことがポイントです。

工程の最後から
「こうしたらできる」
「こうやってできた」
という体験を繰り返し行うことで
できる、できた、という再認をすることが可能となります。

その上で1工程ずつ増やしていきます。
増やす工程そのものは「くぐらせる」「手にする」「そろえる」などの
かつて必ずどこかで行なってきた手続き記憶です。
その手続き記憶を新たな体験に統合する作業をしてもらうことを意味しています。

だから、段階づけは細かく行いますし
混乱したり、不安になったり、わからなくなってしまった時には
「できる」工程に戻って再認してもらっています。

ここまで、1回のリハの時間に行えたとしても
次に来る時には忘れてしまうことも現場あるあるです。

なぜなら、時間経過という時間干渉と
その間、さまざまな動作をしていたという動作干渉という二重の意味で
認知症のある方が忘れやすい状況に置かれるからです。

つまり、忘れてしまうのは仕方ないことなのです。

むしろ、初めてのActivityの工程を覚えているということ自体
素晴らしい能力発揮なのです。

手工芸をしていた方は、このような体験の統合が容易なことが多くあります。
たとえ、1−2分前の会話を忘れてしまう方でも
Activityの工程を覚えられることは本当にたくさんあります。

仮に、せっかく工程を教えたのに
忘れられてしまったからとがっかりする必要は全くありません。

忘れてしまったとしても
その方の行動パターンはこちらが把握できているので
工程のどこまで戻ったら良いのかの判断基準は手にしています。

もちろん、認知症のある方の体調変動によって多少の誤差はありますが
判断基準があるので提供するこちらの負担は初回ほど多くありません。

 

私は、Activityの工程を丁寧に言葉で説明を尽くし
「一緒にやるから大丈夫」とつきっきりで
安心させるような場面設定はしていません。
 
Activityの工程はActivityそのものに語らせるような場面設定をする工夫をして
認知症のある方が安心できるような場面設定をしています。
手も口も出しませんが、目だけは離さずにいる場面設定をする方が
認知症のある方自身の達成感を促しやすく
また、メタ認知やメタ体験としての達成感も得やすくなります。
そしてそのような体験ができるリハ場面そのものが
ポジティブな再認の場となるのでリハやActivityへの拒否が少なくなります。
 

 

もし良かったら是非お試しください。

ポイントは
・言葉だけに頼らず視覚的説明を活用する
・工程は最後から体験を通して理解してもらう
ということです。

認知症のある方への介助、援助、支援とは
接遇を尽くすということとは異なるのだと考えています。

  蛇足になりますが
  こう書くと必ず「接遇を否定した」と誤読する人がいるので念の為。
  私は接遇そのものは対人援助職として必要だと考えてはいますが
  接遇を尽くすことで認知症のある方の生活障害やBPSDが
  改善されることにはならない。
  私の主張は評価に基づいて対応を判断すべきということです。

 

 

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ウソみたいなホントの話:スポンジ解説編

 

手指の拘縮悪化予防のために
スポンジが絶大な効果があることを
前の記事「ウソみたいなホントの話」でお伝えしました。

スポンジは
100均でも入手できるし
加工は普通のハサミだけでできるし
失敗しても作成し直すことが容易です。
耐久性に欠けるのがやや難点ではありますが
すぐに作れる、安価、でも絶大な効果があるということで
費用対効果にとても優れています。

入手するスポンジは
フニャッと潰れてしまうものは向かないので
復元性、反発性の高いスポンジを選んでください。
使い勝手が良かったのは、ダイソーで購入したこちらのスポンジです。

私は100均のキッチンコーナーで選んでいますが
バスコーナーや車の洗車コーナーで販売されているスポンジも
選択肢に入れておくと良いかと思います。

さて
それでは、なぜスポンジという素材なのか
スプリントやタオルではなく
スポンジという素材を使う意味について説明していきます。

手には、縦・横・斜めのアーチがあります。
昔、学校で習ったでしょう?

力を抜いた状態でご自身の手指を見てみてください。
母指と示指、小指と手掌面が作っている空間の大きさに違いがありますよね?

次に、ギュウっと力を入れて手指を握ってみてください。
母指と示指、小指が作る円還の大きさにも違いがありますよね?

そして、いずれの場合でも
手指が作っている空間は円筒状ではなくて円錐に近い状態になっています。
縦・横・斜めの3つのアーチがあるからです。

よく、タオルやおしぼりを丸めて握ってもらっているかと思いますが
丸めた状態だと円筒形になっています。
円筒形のものを握らせるということは
小指側を過剰伸展させることになります。
 
小指に関与する筋といえば
小指対立筋・浅指屈筋・深指屈筋・総指伸筋・小指伸筋などで
多関節筋です。

  神奈川県作業療法士会>「いつでも何回でも再学習☆応援講座」
  >再学習・筋触診ー上肢編をご活用ください

多関節筋ですから
小指のMP・PIP・DIPの関節を過剰伸展させるということは
外力としてその時に強制的に伸展させることはできても
身体自身の必然として伸展していないので
代償として筋の近位部を収縮させることになります。

筋そのものがリラックスした結果として伸展しているのではなくて
他動的に強制的に筋の遠位部を伸展させれば
代償的に筋の近位部を収縮するしかない

伸展が過剰であればあるほど
代償としての収縮が強くなります。

その結果、善かれと思っての巻きタオルなのに
逆効果となり、拘縮をもっと悪化させてしまいます。

臥床時のポジショニングと
同じコトが違うカタチで起こっているだけです。

  臥床時には、股関節・膝関節を強制的に
  クッションで伸展・外転させて
  かえって骨盤の捻れを引き起こしたり
  屈曲拘縮を悪化させてしまいがちです。

強引でも伸展させないと拘縮がひどくなるという
知識のない善意による思い込みのために
結果として逆効果を招いてしまい
対象者の状態を悪化させてしまっているのです。

  「知は力なり」という言葉がありますが
  一時は「無知は力」だ。。。と思ったこともありました (^^;
  でも、やっぱり「知は力なり」なんだと考え直しました。

このような誤った対応の根幹にあるのは
「現状は悪いから、良くしてあげなければ」という
人体構造の解剖学的生理学的知識に基づいていない善意であり
因果関係論であるICIDHに依拠した考え方です。
そして、善意からなされているが故に
自覚・修正しにくいという問題があります。

現実には
人体というのは、解剖学的にも生理学的にも連続性があり
常に、環境との相互作用を営んでいます。

相互関係論であるICFに基づいたリハの実践をするというのは
人体の解剖学的生理学的可変性を良い方向に活用するということです。

  OTの人はよく理論が必要と言いますが
  理論を治療に活かすというのは、こういうことです。
  ICFという最も本質的な理論に依拠した実践なのかどうか
  どんなことでも常に
  理論と実践とを相互にフィードバックさせる、
  自身に問いかけながら実践を積み重ねるということです。

痙性の強い方でも
筋肉は常時一定の緊張度にあるわけではなく
その方なりの幅で筋緊張が変動しています。

スポンジは反発性がありますから
筋緊張が強い時には指尖と手掌面との接触を緩和し
筋緊張が弱まった時には本来の可動域に合わせてスポンジが広がってくれます。

つまり、スポンジは手指に合わせて収縮したり拡張したりしてくれる

ところが、巻きタオルやおしぼりやスプリント素材には反発性がありません。
巻きタオルは、人の手指がタオルに合わせることを要請しますが
スポンジは、人の手指にスポンジの方が合わせてくれる

多関節筋だから
手指にスポンジを握っているだけでも
手指の筋の緊張が緩和すれば
前腕や上腕の筋緊張も緩和して
結果として手指や手関節、肘や肩の可動域が拡大します。
というよりも、
その方本来の可動域を目にすることができるようになるのです。

理想論や本来の肢位を基準として想定し
そこから差し引きマイナスで現状を判断し
基準に到達すべく、近づけるべく、修正・改善しようという
視点はICIDHに基づいた考え方であり
急性期には必要かもしれませんが、生活期にある方には適切とはいえません。

現状を否定せず
その方なりの埋もれている本来の能力を発揮できるように
(その場合の多くは、誤介助誤学習由来のものです)
援助するという視点こそがもっとも重要です。

スポンジを作る時には
その方の手指の最大可動域に合わせてはいけません。

最大可動域よりも小さめに作ります。
だから、こんなに小さく細いスポンジでも効果があります。

スポンジを装着する時には
向きを間違えないようにすることが大切です。

作成者が装着・脱着するのであれば問題ありませんが
看護介護へ装着を依頼する場合には
(夜間に装着し昼間は装着せずに動きを引き出したい場合など)
向きが的確に装着できているのかどうか
間違えないように明確に説明することと同時に確認しておくことも必要です。

写真を撮って説明入りの取り扱い説明書を作成し
使用する場所、つまりお部屋に掲示しておくことだけではなく
使う対象そのもの、つまりスポンジにも目印をしておくことが必要です。

ここに努力を惜しむと
深く考えずに、単に「つければ良い」と考えている人に
反対向きに装着されて
その結果、効果がない、やっても仕方ない、やらなくて良いと
誤認されてしまいがちです。
(こういうことは本当にしばしばよくよく起こります)

本来は
共有すべき情報を作成・提供するまでが
OTの仕事、分掌範囲だと考えますが
職場の状況によっては
拡散・共有化までを担当した方が良いこともあります。

「なんで私がそこまで?」と思うかもしれませんが
仕事はやったもの勝ち
必ず自身の地肉となって底力がついてきます。
でも、永遠に繰り返すだけでは
賽の河原の石積みのような気持ちになって
「もう、やってられない!」となりますから
実践力のある他部門の人を見つけておくことです。

本当に効果のあることをしていれば
必ず一人は見ていてくれる(観ることができる)人がいるものです。

時間はかかっても、そこから広げていく道ができてきます。
その人の職位や状況にもよりますが、将来的な希望が見えれば
頑張り続けることができます。

関連してあと何点かお伝えしておきます。

装着したスポンジが外れないように
ひもやゴム紐をつけたりします。

認知症のある方の場合には
ひもやゴム紐など目につく素材があることで注意を引き寄せることになり
それらを引っ張ってしまったり
外してしまったり、異食してしまうこともあります。

ひもやゴム紐があった方が良いのか
ない方が良いのか、その方の状態に合わせて判断します。

スポンジは消耗品ですので
反発性が弱まってきたら作成し直すことが必要です。

装着によって最大可動域が拡大することもよくあります。
拡大した可動域に応じてスポンジを大きく作り直すことも必要です。

その方の状態像をよく把握して
適切な環境を提供する一環としてのスポンジ作成
ということなのです。

 

< 関連記事 >

「拘縮悪化予防スポンジ」必見!OTのすご技・アイデア集
「拘縮悪化予防スポンジ」OT佐藤良枝のDCゼミナール
「スポンジでROM」OT佐藤良枝のDCゼミナール

 

 

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ウソみたいなホントの話

 

老年期で働いていると
手指を硬く握り込んでしまっている方に
よく遭遇すると思います。

手を開くのが大変ですよね。
清潔面でも問題になるし。。。

そんな方にオススメなのが、写真のようなスポンジです。

スポンジを握っていただくだけで
手指の筋緊張が緩和して
その方本来の可動域を見ることができるようになります。
手指だけでなく前腕や上腕の筋緊張も緩和してきます。

2時間握っていただくだけで
スポンジを装着していない時間帯でも
筋緊張緩和の効果が持続します。

作成方法や取り扱いの注意点や
なぜ、スポンジという素材なのかということについては
後日、掲載します。

 

 

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履物を選択する時に確認すること

施設を利用する時には
履物を用意するようにご家族にお願いしているところが多いと思います。

介護用品店が身近になかった頃は
バレーシューズを用意するご家族が多くいらっしゃいました。
さすがに最近はバレーシューズではなく
最初から介護シューズやリハビリシューズを用意されるご家族が多くなりました。

ただ、緊急に入院された場合などは
病院の売店などで購入されることが多いと思います。

対象者の方、お一人お一人に合わせた履物をどう選ぶかって
結構難しかったりします。

私が履物を提案する時に確認することは、下記の通りです。
1)移動・移乗能力
2)靴の着脱能力
3)日中・夜間の行動範囲
4)経済面
5)ご本人の好み

まず、確認するのが、移動・移乗能力です。

日中の覚醒が良い時に
どの程度歩行できるのか、移乗できるのか
その方一人でおこなえるのか、
あるいは介助が必要な状態なのに自分一人でおこなってしまうのか
その安定性はどの程度なのか

夜間にトイレ覚醒があるのか
その時には自分でトイレまで移動できるのか
その安定性は?
夜間は自分では確認できないので
看護介護職員に確認します。
その時に看護介護職員は総合的な判断として
「ふらふらしている」
「危なっかしい」
と教えてくれることが多いので
眠気が強いのか、覚醒は良くても歩き方がおぼつかないのか
を言葉にして尋ねるようにしています。

日中離床して長距離長時間歩くような方の場合や
膝や腰の変形・痛みのある方や
脳血管障害後遺症片麻痺のある方や
短距離のみ歩行可能な方の場合には
きちんと踵があるタイプの履き物が良いでしょう。

車椅子を利用していて、移乗動作も全介助
ご自身では立ち上がる機会がない
というような方であれば、安楽さを優先して
上記のような履物か、もしくは
あゆみシリーズ
チャルパー
チャルパーII
などがお勧めです。
こちらは、足底には滑り止め機能がありますし
片足ずつの販売も可能です。

認知機能障害が軽度な方であれば
日中は、靴タイプ
自室内や夜間のトイレ覚醒の時には、チャルパーなど
という風に、使い分けることも可能です。

靴の着脱をご自身でできるのか、どうかの確認も必須です。

身体的な面と認知面との両面で確認するようにしています。
認知症のある方の場合、できることが変動することも多々ありますので
変動の幅も確認しておく必要があります。
でき方をよく観察して、必要であれば自助具や環境設定の工夫も考慮します。

身体的な面で
一人では履けない場合でも
柄の長い靴べらがあれば履けることもあります。

認知面では
左右を間違えてしまう方の場合には
あえて、右側の靴と左側の靴の間を離して置いておいたり
靴の中敷きをカラフルな色に変えておくことで
間違えにくくなることもあります。

介護シューズの選択肢が増えたのはとてもありがたいことですが
足にゆとりを持たせるために
ベルトやマジックテープで甲を覆うタイプが多くなっています。

ところが、認知症があると
ベルトやマジックテープをきちんと扱えない
ベルトを止めずに歩いてしまう方もいるので
ベルトを踏んでしまうと転倒に直結しかねず危ない場合もあります。

認知機能というのは多岐にわたっているので
近時記憶がある程度保たれていたり
その場の会話が弾んだりすると
認知機能障害を見誤りやすいので要注意です。

ベルトやマジックテープの扱いが困難であれば
「 ゆったり簡単スリップオン 」などの
足を入れるだけで履ける靴を選択します。
(手続き記憶として踵は入れられるケースが多い)

この時にサイズが合っていないと
踵を踏んだまま歩こうとするので
サイズを合わせることも必須です。
 
  あゆみシリーズであれば、
  カタログにサイズ表も足形も掲載されているので活用しています。
  あゆみシリーズは、かゆいところに手が届くような対応がされていて
  片側サイズ違いの購入もできますし
  5Eや7E対応の靴もあるし、ベルト延長も可能なので
  むくみのある方にも対応できます。
  今回記事を書くのにチェックしたら
  名前入れサービスや補高や靴底変更までありました。
  詳細は「パーツオーダー」でご確認ください。

夜間、トイレ覚醒をする方の場合には要注意です。

ナースコールを押し忘れたり
コールマットやセンサークリップなどの安全装置の誤作動などで
トイレ覚醒の時に見守りに行けないことが起きた場合に
中途半端に靴を履いて、ちゃんと履ききれずに
トイレに向かって歩き出してしまうかもしれません。

靴の着脱能力の確認は必須
身体面も認知面とその変動の幅
環境設定の工夫の余地についても確認します。

また、事情のあるご家族もいますので経済面も確認します。
介護シューズだけでなく、
靴の量販店などで市販されている履物も選択肢に入れられるように
自分の靴を購入する時には
ついでに、代替できる履物がないかぐるっと巡るようにしています。

  ちなみに
  こちらの履物は靴の量販店で見つけました。
  
  2000円台で購入できましたし
  足あたりも柔らかいし、靴底に滑り止めもあります。
  

履物のタイプが決まったら
色やデザインに選択肢がある場合には
カタログをお見せしながら
必ずご本人に希望を尋ねるようにしています。

好きな色、嫌いな色がある方の場合
どんなに必要で有効な履き物であったとしても
「こんな派手な色は嫌!」
「こんな柄は嫌!」
という理由で絶対に履いていただけないこともあります。

「なんでもいいよ」っていう方もいれば
トラブル回避のためだけでなく
「買う楽しみ」の一環としても
選べる場合には選んでいただくようにしています。
 
選択肢のない場合もありますが、
(最近はそういうケースはほとんど遭遇しないものですが)
たいてい、黒などの無地というケースが多いので
お見せする時に、「この靴はこの色とデザインしかないので」とご説明しますし
絶対に嫌ということにはなりにくいようです。

介護シューズは高いので
後から「あっていないので買い直してください」
とは言いにくいものなので事前確認をしっかりするようにしています。

ご家族が新品を購入してくださったけれど
大き過ぎてかえって危ないという時には
よっぽどでなければ
靴ベルト を作って対応したこともあります。

 

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開口したまま介助を待っている方

認知症のある方で
食事場面で口を開けたまま食塊を入れてもらうのを
待っているような方の場合
頚部後屈していることが多いものです。

このような時に
介助しにくいからといって
決して上の歯でこそげ落とすような介助をしてはいけません。

その場では
ムセることがないからと問題視することができないかもしれませんが
「カタチとハタラキ」の記事でも説明したように
食べ方というカタチには
食べる能力と困難というハタラキが反映されているものです。

  食事介助ではムセの有無しか気にしていない人も多いのですが
  ムセの有無しか気にしていないと
  食べ方というカタチすら見ていないので
  ハタラキも観ることができようはずもありません。

この時点で
ハタラキには大きな問題が生じています。
にもかかわらず、上の歯でこそげ落とすような介助をすれば
食べ方の問題を増悪させてしまいます。

たとえ、その場ではムセていないとしても。

開口したまま待っているような方というのは
その前段階として、必ずそのような食べ方を
引き起こしてしまう不適切な介助があったはずです。
つまり、
上の歯で食塊をこそげ落としたり
口の奥にスプーンを入れたり
斜め上に引き抜くようなスプーン操作をしたり。。。

誤介助誤学習が起こっているのです。
不適切な介助にすら、適応しようとして
自らの食べ方を低下させてしまったのです。

自らのスプーン操作を振り返る介助者は少ない。
ぜひ、「スプーン操作を見直すべき兆候」をご確認いただきたいと思います。

口を開けたまま食塊が入ってくるのを待っているような方に
「口を閉じて」と言葉でいくら言ったとしても
開口するしかない介助(例えば、上の歯でこそげ落とす)を
介助者が行動として行なっていれば
自身の身体に直接作用する介助者の行動に対する応答を優先し
口を閉じることはないでしょう。
 
その表面的な表れだけを見て
「口を閉じてって言っても認知症だから口を閉じて食べてくれない」
「どうしたら良いだろう?」
などと問題設定をするのは、本末転倒でしかありません。

じゃあ、どうしたら良いのか

今を否定せず
より良い食べ方を促します。

口を開けたまま待っている状態を否定せずに
口を開けたまま待っている状態でも
より安全に食べられるように
箸を使って食塊を歯もしくは歯ぐきの上に置きます。

そうすれば、自然と口唇閉鎖しますから
タイミングを見計らって頚部前屈を動作介助します。

食べるという一連の動作の中で
自然と頚部前屈を伴う口唇閉鎖を促します。

ここでのポイントは
頚部前屈というハタラキを促すことで
頚部前屈というカタチに至らなくても良いということです。

頚部前屈というハタラキが出てくれば
口唇閉鎖というカタチが容易に現れるようになります。

箸を使った介助で口唇閉鎖が出てくれば
食塊をとりこむ時に口唇閉鎖を促せる食具と介助方法を導入します。

ここは、その方のそれぞれの状態に応じることになります。
すぐに、スプーンで下唇や前舌を押すだけで口唇閉鎖を促せる方もいれば
いったん、ストローを使って口唇閉鎖の強調体験をした方が
次のスプーンへの適応がスムーズに進む方もいます。

そこはきちんと観察・洞察して決定します。

不適切な介助への合理的適応の結果としての
不適切な食べ方をしていた期間が短ければ短いほど
行動変容はより容易により短期間で起こります。

逆に言えば
そのような期間が長ければ長いほど
適切な介助ができる人と遭遇できなかった場合には
誤嚥性肺炎になってしまったり
食べ方がわからなくなってしまって
食べる能力を持っていながらも
本当に食べられなくなってしまうことも起こり得るのです。

食事介助は本当に怖い

 

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ご家族の言葉

2016年に放映されたNHKスペシャル
「私は家族を殺した ”介護殺人”当事者たちの告白」
を忘れたことはありません。

見るのは辛かったのですが
仕事だと思って最後まで視聴しました。

ショックだったのは
最後の一線を超えてしまった人たちの3/4が
何らかの介護保険サービスを利用していたということです。

介護保険が始まって
確かに良くなったところはたくさんあると感じています。
街に車椅子が当たり前のものとして見かけるようになりました。
従事するたくさんの人のおかげで
助かっている人たちは大勢いると思います。
それでも、どこか、何か、足りない部分がある
ということを示唆しています。
それはいったい何なのか。。。

調べてみるともっと以前から何冊もの本が出版されていたことを知り
そのうちの数冊を読んでみました。

そこに共通していたのは
決して孤立しているご家族だけが介護殺人を起こしてしまったわけではない。
近隣との交流もあり
介護保険も利用し
一生懸命介護している人たちでした。

読み進めていくと
ある本の中に
「認知症を理解したって私たち家族が楽になるわけじゃない」
というご家族の言葉が書かれていました。

認知症の啓蒙は確かに進んできたと思います。
そこで触れられるのは、抽象論・総論・理想論的なものが多いように感じています。

「認知症のある方の言動を否定してはいけない」
「怒ってはいけない」
「褒めてあげることが大事」
「なじみの関係を作る」
「帰宅要求には気をそらせる」
などといった、一見正当のようでいて、
よくよく考えるとおかしな言説が、紹介されることもあるのではないでしょうか。

一方で、
ご家族の相談ごとで最も多いのは、対応の工夫であり
専門家の研修会でテーマの希望で最も多いのも、対応の工夫です。

つまり、抽象論・総論・理想論では
暮らしの困りごとを解決するのは難しいという現実があるのです。

私は全国各地でさまざまな主催団体からの講演依頼を受けてきました。
何のテーマの講演であっても必ず質問されることは
「〇〇という状態の人がいるんですけど、どうしたら良いのでしょうか?」
というカタチの質問です。

それだけ困っているのだとも思いますが
講演の中で、そのようなカタチの質問・ハウツーを求める在りようへの
疑問を提示しているにもかかわらず
ハウツーを求める質問をされるということは
常日頃からハウツー的な対応しかしていないことの証左ではないかと思います。

例えば
食事介助において
常日頃から斜め上にスプーンを引き抜くような介助をしている人に
そのような介助はしてはいけない
〇〇という介助方法に切り替えるべきと伝えると
頭では「そうか。そうしよう。」と思っているのに
なかなか切り替えるのは難しい人は少なからずいるものです。
それとまったく同じコトが違うカタチで現れているのです。

養老孟司は
「人間に関することで、あぁすればこうなるなんてものはない」と述べ
河合隼雄は
「登校拒否を治すボタンがあればいいといった親御さんがいた」と述べていました。

だからこそ
専門家が求められているのだと思います。
理想を具現化できる知識と技術を携えている助力者として。

現実には
理想論はあって
「やってみたらよかった」というハウツーはあっても
その間をつなぐ「考え方」がない。

だから
一生懸命なご家族ほど消耗してしまうし
職員はハウツーを求めて研修会に参加する
という現実があるのではないでしょうか。

実際に、あるご家族から
「今までたくさんの相談機関を訪れて
 そこで言われることはもっともなことばかりだったけれど
 今、私が困っていることへ的確に答えてくれたところは
 どこにもなかった。
 ここにきて初めて納得のいく答えをもらえた。」
と言われたことがあります。

「認知症を理解したって私たち家族が楽になるわけじゃない」

こんなことをご家族に感じさせてしまうのは
やはりおかしなことだと思っています。

知識と技術は
人間の暮らしに役立てるように扱われるものでありこそすれ
決してそれらに縛られてしまうものではないと考えています。

本当の知識と技術は、
認知症のある方だけでなく
同じようにご家族や介助する人に必ず役に立つものです。
楽になるものです。
日々の暮らしの困難がゼロになるわけじゃないけれど
余分な困難を少なくすることはできます。

1手間はかかるけれど
その1手前のおかげで余分な困難がなくなり
いつか1手間が0.5手前になるものです。

ご家族を追い詰めるのではなくて
ご家族にも認知症のある方にも役立てるように
知識と技術をオーダーメイドで適用できるように

私自身の実践で努力するのはもちろん
必ずいるはずの、今困っている、現行への対応に違和感を抱いている
専門家への啓蒙として発信を続けていきたいと思っています。

 

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「食べる」再学習:食具

中核症状とBPSD

自力摂取している方に
スプーンの工夫もしますが
 
介助が必要な方に食具を選択することも
食べる能力を発揮していただくためには重要です。

「何を」「どんな風に」
の部分で言えば、「何を」という食形態に関して検討されても
「どんな風に」の介助方法の部分は意外と疎かにされがちです。

スプーン操作の基本を知らない人はとても多くいます。
「スプーン操作を見直すべき兆候」をご覧ください。
これらの兆候ひとつひとつを
「私はしていない」と言明できる人がどれだけいるでしょうか?
「そんなところ見ていなかった」という人の方が圧倒的に多いはずです。
ぜひ修正していただきたいと思います。
そうすれば認知症のある方や生活期にある方が
どれだけ食べるチカラを持っているのか
どれだけ誤学習を起こしているのか
どれだけ誤学習から正の学習へ切り替える能力を持っているのか
ということがはっきりとわかるようになると思います。

通常使っているスプーンにとらわれることなく
必要であれば、Kスプーンとまでいかずとも
小さな平らなスプーンも使いますし、箸も使います。

幼児用のマグカップを使用したこともあれば
ストローを使うこともあれば
シリンジを使ったこともあります。

食具の選択には大きな意味があります。

準備期に直接的な影響を及ぼします。
つまり、
食具の選択は、準備期の能力を把握しているからこそできるのです。

臨床現場あるあるなのが
不適切なスプーン操作にも適応しようとして誤学習を起こすと
「食べる」協調性が低下してしまうことです。

協調性が低下した結果としての食べにくさを
表面的に捉えて問題視するような方法論は
あまり効果的ではありません。

むしろ、今の能力でラクに食べられるような
食形態と食具と介助方法を選択して
食べ方の再学習を図る方が効果的です。

協調性が低下したとしても
能力はさまざまに発揮されています。

上唇を丸めて取り込めないけれど
口唇閉鎖だけはできる。ということも多々あります。

体力低下していると
上唇を丸めてとりこむだけのパワーがない
ということも多々あります。

そのような時には
箸を使って介助した方がラクに食べられ
再学習が進展しやすい

ということがよくあります。

開口しなかった方が
開口してくれるようになると
それだけでホッとして(気持ちはわかりますが)
食べ方の観察・洞察なしに
スプーンでどんどん介助してしまうということも
食事介助の現場あるあるです。

食べ方をきちんと観察していれば
確かに開口はするけど上唇のとりこみが見られずに
上の歯でこそげるようなとりこみを代償として用いていることに
気がつくこともあるでしょう。

このような代償も誤介助誤学習の結果なのですが
そのことに気がつけずに漫然とした食事介助を続けていると
今は開口して食べられていても
早晩送りこめなくなってため込んだり、
また開口しなくなったり、
という状態になってしまいます。

食べ方の観察・洞察ができないと
今、表面的に結果として起こっている事象
しかも介助者にとっての不都合な事象しか見ていないために
短期的なメリットを追求し、かえって長期的な困難を惹起する
ということが食事介助の現場で起こっていることです。

摂食・嚥下5相の知識に基づいた観察をしながら介助することの重要性を
どんなに強調しても強調しすぎることはないと感じています。

 

準備期の能力発揮には段階がある・・・・・・・・・・・・・・・・

・上唇を丸めてとりこめる
・上唇を丸めてとりこめないが、とりこもうとする形にはなる
・上唇でとりこもうとする形もみられないが、口唇閉鎖はできる
・口唇閉鎖も不十分

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

これらの段階が
誤学習なのか、自身の代償も含んでいるのか
食塊の認識がどの程度可能なのか
といった観察・洞察のもとに
通常スプーンを使用するのか
小さくて平らなスプーンを使用するのか
箸を使用するのかを判断します。
水分摂取に関しても
ストローが良いのか、スプーンが良いのか、コップが良いのか
判断していきます。

脱水や低栄養で体力低下していると
通常のスプーンで「食べる」ことで
摂取するエネルギー、栄養補給、インプットよりも
消費するエネルギー、アウトプットの方が多くなり
体力消耗
してしまいがちです。

そのような時にも身体の負担の少ない
液体の栄養補助食品を使用したり
上唇でのとりこみをせずとも食べられるように箸を使用したりします。

食べ方や飲み方の改善に伴い、食具も切り替えていきます。

準備期=食塊のとりこみ=食事介助
というのは、本当に怖い

経験を重ねるにつれ
認知症のある方の「食べる」チカラの凄さを知るとともに
食事介助の怖さを思い知らされています。

 

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