Category: よっしーの情報クリップ

心身の使い方は重度の認知症でも改善できる

人は生き物ですから
どうしても老化は起こります。

老化の一環として量的低下も起こります。
若い頃は記憶力が良かったのに
年をとるとめっきり落ちてしまったとか。
かく言う私も高校生の頃は部活の先輩も後輩も含めて
みんなのお誕生日と電話番号を覚えていたものですが
今は、とっても無理!
覚えることは選択肢にもあがりません。
まず、スマホを取り出しています。

老化は生き物としての宿命です。

アンチエイジングも一つの考え方ですが
それにしたって不老不死というわけにはいかないので
限界があるものです。

であるならば
なるべく心身の機能を維持できるように考えるだけでなく
衰えていく心身と上手に付き合う方策を考えても良いのではないでしょうか。

流動性知能が衰えても、結晶性知能は維持されやすい
とはよく言われていることです。

流動性知能をトレーニングするのではなく
結晶性知能を活用できるようにする

今や覚えていなくても
PCやスマホを開けば情報を得ることは容易です。
人に要請されるのは、情報の真偽や適否を見定めることです。

結晶性知能を活用する
まさしく、智慧や叡智が求められている。
その点において(背景は真逆であったとしても)
認知機能が低下しても暮らしていくことと
情報の海に溺れずに仕事をする、生きていくことに
大きな変わりはないように感じています。

鶴見俊輔は
「耄碌を濾過器として考える。
 大事なことだけ残してあとは忘れていく。」(要旨)
と言っていましたっけ。

それと同じことが身体にだって言えると思うのです。

筋力という量的低下はあっても
身体協調性を高めて対応力を維持していく

食べることに関しての協調性を維持できるような食事介助を意識する

喉頭挙上能は、介助によって相当変わります。
もちろん、対象者固有の病態による場合もありますが
生活期にある方の場合には多くは不適切な介助による誤学習が原因です。
だからこそ、介助を変えると食べ方が変わる
喉頭挙上できなかった方でも完全挙上できるようになります。

立ち上がりに関しても
なかなか立ち上がれずに生活が不便になってきたら
腰背部の同時収縮を使わない立ち上がり方に変えていく

もちろん、重力に負けない+体重を支えられるだけの筋力は必要ですが。
ボディビルダーにならないと暮らせないわけではありません。
MMTで5ないから立ち上がれないわけではありません。
どこまで筋力を鍛えなければいけないのか
その根拠もなしに、立ち上がり100回なんてやっていると
「漫然としたリハ」と言われちゃうんじゃないでしょうか?

結果として起こっていることだけを見て
老化、筋力低下と判断するのではなくて
年老いたとしたら、その年老いた状態なりに、その時々に応じて
リ・ハビリス(再び適する)の援助となるように

高齢期において
筋力低下・廃用論が吹聴され流布していますが
本当にそうなんでしょうか?

立ち上がりにおいても
食事介助においても
筋力強化をしなくても
立ち上がれるようになる
喉頭挙上が改善するということに当たり前のように遭遇しています。

impairmentは治せないが、disabilityは改善できる。

身体はつながっている
解剖学的にも生理学的にも連続性があります。

連続性があるという身体の働きのメリットを活用できるような
リハビリテーションの実践が求められていると考えています。

 

 

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「認知症本人発:希望のリレーフォーラム」が開催されるそうです

イメージ_木立の陽射し

「認知症本人発:希望のリレーフォーラム」が開催されるとのことでお知らせいたします。

クリスティーン・ブライデンと国内の当事者が登壇されるそうです。
詳細・お申込は こちら↓ をクリックしてください。

https://www.dcnet.gr.jp/info/detail/INFORMATION.php?ID=4601

開催日時 2023年10月5日(木)13:00〜16:00
会 場  有楽町朝日ホール
参加費  無料・事前申込制
申込期間 2023年8月1日(火)〜9月8日(金)

 

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履物なら「あゆみシリーズ」

介護シューズで選ぶなら、「あゆみシリーズ」がオススメです!

履物は市販品にも安くて良いものがあります。
↓ こちらは、シュープラザで ¥1,280で購入できました。

ただ、市販品だと商品入れ替えもあるから
常に在庫があるかどうかはわかりません。
「あゆみシリーズ」なら
むくみのある方や足幅の広い方、装具を履いている方にも履けるように
足囲が9Eまで選べる商品もあるし
片足のみ注文やベルト延長、名前入れサービス、補高対応など
屋内用、屋外用ともに幅広い商品展開が魅力です。

昔は、リハビリシューズの選択肢も限られていたし
ご家族もバレーシューズを購入される方が多かったけれど
そんなの、「今は昔」になりましたね。。。
最近は介護用品店も大手スーパーやドラッグストアの介護用品コーナーも
ずっと身近になってきたので
入院当初から様々な履き物を購入される方が増えてきました。

選択肢が増えた分、ご本人の状態と商品とのマッチングが大切になってきたし
知らないことによる不利益もあります。
履物の選び方や留意点などの詳細は、
あちこちで記事を書いていますので検索してみてください。

covid-19の感染対策でずっと行っていなかったけど
今年は、HCR 国際福祉機器展 に行こうかな?

履物って履いてみないとわからないこともあるし。
業者さんと情報交換できるのも意味があるし。
 
今年のHCRのリアル展示は、
9月27日(水) ~ 29日(金) 10:00~17:00(最終日は16:00まで)
とのことです。

 

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ポジショニングの本質@褥瘡予防

認知症のある方や生活期にある方の褥瘡予防において
ポジショニングはとても重要な意味があります。

ただし、その意図を的確に実現できているか
見直すべき時期にいるとも考えています。

現場あるあるなのが
良い姿勢を作ろうとして
無理矢理最大可動域を設定しようとして
クッションをぎゅうぎゅうに詰め込んでしまう方法論です。
そのようなやり方では、一見見た目拘縮予防のために
最大可動域を保持しているように見えても
クッションを外した途端にキューッと身体が縮こまってしまっていませんか?
筋がリラックスした結果として、最大可動域を実現できているわけではなく
外力として無理矢理最大可動域を設定しているのですから
外力がなくなれば元の木阿弥も当然です。

良い姿勢を作るのではなくて
結果として良い姿勢になるように
そのココロは過剰な筋緊張からの解放です。
過剰な筋緊張から解放されれば筋組織の中を通っている毛細血管を拡張させ
血流を改善することが叶います。

褥瘡というと
その見た目から筋の挫滅や壊死などを思い浮かべるかと思いますが
褥瘡学会の定義を確認します。
「身体に加わった外力は骨と皮膚表層の間の軟部組織の血流を低下、あるいは停止させる。
 この状況が一定時間持続されると組織は 不可逆的な阻血性障害に陥り褥瘡となる。」

この定義を図示・簡略化すると
褥瘡とは外力によって血流阻害が生じた結果として起こる
外力とは圧迫と剪断力である
となります。

ところが
現実には軟部組織の毛細血管の血流阻害を引き起こすものには
もう一つあって
それが「拘縮」です。
拘縮の状態とは、ある筋もしくは筋群が
一定の方向に長時間収縮し続ける状態ですから
当該筋の中を通る毛細血管が潰されてしまって血流阻害が起こります。
図示すると下記のようになります。

つまり
褥瘡予防のためには
血流阻害を改善することが肝要で
そのために、1)圧迫 2)剪断力 3)拘縮 への対応がポイントとなります。
栄養補給も重要ではありますが、
血流阻害された状態では、いくら栄養付加しても効果がない
血流阻害が改善されて初めて意味をもたらすものとなります。
対象の方は高齢者が多いので、その方にとっての適量を見極めないと
高タンパクによる腎機能障害を引き起こしかねません。

 

褥瘡を予防し改善していくためには、前述した通り
1)圧迫 2)剪断力 3)拘縮 に対する対応がポイントです。
  
1)圧迫に対しては除圧
2)剪断力に対する商品としては、現段階では ジェルトロン が最善だと思います。
  商品特性については_こちら_をご参照ください。

   以前に他社の新品の褥瘡予防クッションを使っていたのに
   褥瘡ができてしまった方がいて
   ジェルトロンを10日間使用しただけで
   褥瘡が完治した方がいました。
 
3)拘縮予防については 筋緊張緩和が必要です。
これらいずれにも、姿勢は関わってきます。

褥瘡予防・改善の合言葉は「血流確保」!
そのための除圧、体位交換であり、座り直しであり、使用クッションの見直しであり
ポジショニングなのです。

ポジショニングというのは、とても重要ですが
何のためのポジショニングなのということが、現場では確認されないままに
「良い姿勢を作らなければ」という思い込みで為されていることが多々あります。
そして、その結果、効果がないどころか逆効果になっている。
ところが、善意のもとに為されていることだから
為されたことの適否についての検討が行われにくい。。。
現場あるあるです。
そして、どんどん拘縮がひどくなっていくけれど
すべてが対象者の状態のせいになってしまう。。。
「褥瘡予防のために良い姿勢を作ろう!
 クッションで最大可動域を保とう!」
という誤った実践が拡大再生産されてしまう。。。

リハやケアの分野での
誤解、手段と目的の混同やすり替えは本当にいろいろなところで散見されています。

知らないが為に
というよりも、中途半端な知識によって
善意が逆効果になっている現状をとても悲しく思います。

現状改善の方策は2つ

ひとつには
知識を学ぶ過程において
概念の本質を理解する という体験を担保することです。

中途半端な知識、聞きかじりの知識と概念の本質を理解する
ことはまったく異なります。

もうひとつは
目の前にいる対象者の方の言動を虚心に観察することです。
先入観や思い込みによって
見たいように事実を脚色して見るのではなく
事実を事実として観ることのトレーニングです。

現場あるあるなのが
まず観察するよりも先に
過去の似たような事例に対して有効だった方法論を思い浮かべながら
観察してしまう在り方です。

つまり、観察よりも判断が先にあるのです。
状態像の明確な把握よりも
ハウツーを当てはめる方法論が蔓延っています。

概念の本質を理解する
事実を事実として観察する
すると、本来はどうすべきだったのか、ということが浮かび上がり
適切に対応することができるようになり
従来の方法論との違いやその意味を明晰に認識できるようになります。

 

 

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「帰りたい」と言われたご家族は

認知症のある方に
「帰りたい」と言われたご家族は
「まだ帰れないのよ!」と答えることが多いようです。

ご家族も困ってしまって、
あるいは病院や施設に迷惑をかけないようにと慮ってか
なんとか言って聞かせようと思ってのことなのかもしれません。

私はそんな時には
「まだ帰れないんだって」と答えてください
と伝えています。

「まだ帰れないのよ」という言葉は
認知症のある方の立場に立ってみると
ご家族が施設・病院職員の側に立ってしまったように感じられて
認知症のある方VS施設・病院職員+ご家族みたいな構図として受け取られて
疎外感を感じてしまうんじゃないかなーと思っています。
言い方によっては
「まだ帰れるわけないじゃないの。
 どうしてそれがわからないの?」
というニュアンスを伝えてしまうかもしれません。

「まだ帰れないんだって」という言葉は
ご家族の判断ではなく、帰れないのは施設・病院の判断なのだ
というニュアンス
を伝えることができます。
(実際に判断するのは施設・病院の側ですし)

認知症のある方が「ご家族は自分の味方」だと感じられるように
現実問題としてはご自宅に帰るのが難しかったとしても
「まだ帰れないんだって」と言うことで
気持ちは認知症のある方の側にあるのだと
暗黙のうちに伝えてほしいと思います。

 

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声かけ再考:感覚ー判断ー行動

イメージ_紫陽花

認知症のある方に対してトイレ誘導をする時に
どんな声かけをしていますか?

「トイレに行きましょうか?」と尋ねた時に
認知症のあるAさんが「ううん、行かない」と答えたから
トイレ誘導しなかったのに
別の職員が「おしっこ出る?」と尋ねたら
Aさんが「出る」って答えて誘導されてた。
さっき尋ねた時には「行かない」って言ったじゃん。なんで?
みたいな経験をしたことはありませんか?

答えは
感覚ー判断ー行動  を踏まえた声かけの有無です。

認知症のある方によって、その時々によって
違和感を感じる ー 尿意と判断できる ー 尿意を解消するための手段としての行動
もぞもぞする  ー おしっこ     ー トイレに行く(連れて行って)
のどの段階で理解できるのか、表現できるのかが異なります。

その方が理解できる言葉の段階を踏まえて尋ねることが重要です。

その方が「もぞもぞする」ことしかわからないのに
トイレに行きましょうか?では理解できなくて断られて当然です。

この時に大切なことは
「よろしければお手洗いにご案内いたしましょうか?」
と敬語で丁寧な言葉使いで尋ねることではないのです。

そして多くの場合に
認知症のある方の言語理解力は変動します。
昨日は理解できていたことが今日は理解できなかったということもありますし
尿意を訴えなくなってしまった方が再び尿意を訴えるようになることもあります。

変動の幅、その方の最大能力と困難な時の能力とを踏まえて
イマ、ココでの能力を確認しながら声かけを選択する

その時その時で
声かけの理解の段階を把握した上で意図的に選択した言葉で尋ねる

ということができるかどうかが重要なのです。

認知症のある方に対して
声かけの重要性を否定する人はいないと思います。
ただ、声かけについては
接遇的な意味合いでしか捉えていないのではないでしょうか。

私は、接遇的な意味合いではなくて
(接遇を否定しているわけではありません)
障害と能力の観点から
声かけについて捉え直すこと
ここでは、概念の階層性を確認しながら対応する
ことを提案しています。

クリスティーン・ブライデン氏の言った
「私たちとあなた方の世界に橋をかける」
ということを
「あなた方の立場」からも
少しでも現実化・具現化していきたいと思っています。

 

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他部門連携:ポジショニングのちょっとした工夫

他職種に
ポジショニングを説明する時に
設定した時の写真をとって
設定方法を書いて
注意事項も書くのですが
お部屋に掲示しても複数のクッションがあると
設定部位を間違えられてしまいます。

そこで
「対象に工程を語らせる」

クッションに
「どの部位にどう設定するのか」
書いたものをテプラで貼付してみました。

臥床時は赤色のテプラ、離床時は青色のテプラ
と色も変えて混同しないように工夫しました。

これでも間違えられることはありますが
頻度は激減しました。

設定方法について
質問したり確認してくれる人は良いのですが
「設定を間違える」という時点で
設定とその人の実践とに乖離があることがわからない
もしくは
乖離がきたすマイナスがわからない

ことを意味しているので
間違えるなと、言うのではなく
間違えにくいように、方法を提示する

ようにしています。

以前に何かの記事で
「施錠を忘れないように気をつけましょう」と言うのではなく
「施錠を忘れないような仕組みを考える」

という記事を書きましたが、その一例です。
 
再現性の担保についての工夫を
ポジショニングを例に紹介しました。

さて、
お気づきの方もいると思いますが
「対象に工程を語らせる」とは
認知症のある方への対応と同じことをしています。

そのココロについては、別の記事でお伝えします。

 

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筋力低下廃用論に惑わされない

中核症状とBPSD

高齢→廃用・筋力低下 といった論調は
一見正当のように見えるので
リハやケアの分野ではよく聞く考え方ですが
疑問を抱いたことはありませんか?

高齢者に「筋力低下」と判断して
「立ち上がり」をリハプログラムとして提供している方は
とても多いと思います。
筋力低下の判断根拠として本当にMMTをしましたか?
MMTがどの段階であれば筋力低下で、
どの段階であれば筋力OKなのでしょうか?

私は過去に複数のALSの方を担当したことがありますが
筋力低下とは、まさしく力が入らない状態です。

CVA後遺症や認知症のある方など生活期にあって
「筋力低下」と判断された方々との状態は全く違います。

見た目、「立ちあがれない」からといって
「筋力低下」 とは限りません。

生活期にある方の場合
立ち上がり時に腰背部の筋肉が同時収縮を起こしてしまって
個々の筋力はあるのに総体として立てない身体
なっている例は枚挙にいとまがありません。

筋力が低下しているのではなくて
筋力の使い方、身体の働きが下手になっているのです。

以前、老健に勤務している時に
担当のPTが立ち上がりも含めた個別リハをやっていましたが
立ち上がりが自力で行えず、ずっと介助されていました。
その方に私が座る練習だけして、
立ち上がりは全介助で行うという

身体の使い方の再学習を行ったら
一人で立ち上がれるようになって
「あれ?立てた?」と驚かれたことがありました。
同じようなケースを多数経験しています。
 
老健ですから、個別リハの他にも生活リハとして
食事やおやつや排泄介助の時にも立ち上がれるように援助がなされます。
一日何回になるでしょう?
廃用ではないんです。

筋力強化や立ち上がりではなくて
身体の使い方の再学習を行って
立ち上がりができるようになったケースは枚挙にいとまがありません。
しかも、重度の認知症のある方でも可能です。

末梢の問題ではなくて
身体各部の協調性の問題、中枢の問題なんです。

立ち上がれない→筋力強化 という考え方は
身体協調性の低下を筋力で代償しようとさせるので
身体の使い方の再学習をせずに
立ち上がり100回なんて、効果がないどころか逆効果になってしまいます。

リハやケアの分野では
一見正当そうに見えて、その実不適切なことがたくさん流布しています。
「立ち上がり100回」もその一つです。
過剰な同時収縮によって
腰を痛めたり、身体が硬くなってADLが低下してしまいます。
今すぐにそんなことはやめて、
「座る練習」を取り入れていただきたいと思います。

立ち上がりができない方は
たいてい、座り方も上手にはできません。
どさっと後方にひっくり返るように座ります。

できないことを過剰努力させてやらせるのではなく
努力の方向を変えて、できることのでき方をよくしていく。

「座る練習」でのポイントは重心の移動方向を適切に導く ことです。
「立ち上がり」は全介助で
 力を入れない、踏ん張らない、身体の動きと重さを活用する ことがポイントです。
詳細はあちこちで記事にしていますから検索してみてください。

 

 

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