Category: よっしーの情報クリップ

私がしている音楽鑑賞の進行

音楽鑑賞というActivityについて
個々の方それぞれの能力と特性を発揮できるような援助をするために
私がしている工夫をご紹介します。

歌はもちろん人それぞれ好き嫌いがありますし
歌の楽しみ方も人それぞれ
音楽の世界に浸ってしんみりと聴き入りたい方もいれば
ワイワイ盛り上がるのが好きな方もいます。

集団で音楽鑑賞をする場合には
進行する人の中で、ある一線を明確化しておくと
参加している認知症のある方もいろいろな歌とその楽しみ方を
お互い許容してもらえるように感じています。

それでは実際の進行ですが
まず最初は
こちらからいろいろな曲目を提示します。
だいたい有名どころの懐メロや流行歌を提示します。
そこで曲の聴き方に注目して観察します。
好きな曲や聞き覚えのある曲は
前のめりになって聞いたり、表情も違っています。

この段階では
集団の凝集性を高めることと
参加された方の心身の状態の確認をします。
(もちろん事前に情報収集してありますが、最新の状態確認をします)
私が主導権をとった進行をします。

次に、あらかじめ作っておいた歌手一覧を見せながら
この中だったら誰の歌を聴いてみたいですか?とお一人ずつ尋ねます。
具体的に選べるように視覚情報として提示しながら尋ねていきます。
この時に、進行を止めないように、いろいろな歌をオートで流すようにしています。
 
  今は私一人で最大16名の方を対象に
  精神科作業療法として集団活動を実施していますから
  歌を視聴する流れを止めて、一人ずつ尋ねると
  せっかく高めた集団凝集性がなくなってしまい
  注意集中も保たれず
  不安になって帰宅要求などの訴えが出てきて
  集団活動が成り立たなくなってしまいますから
  このような工夫をしています。

この時に
「聞きたい歌を教えてください」と言葉で尋ねても
思い出せないから答えられない方でも
歌手名を提示されれば、名前から歌手を想起できる方は大勢います。

つまり、再生ではなく再認に働きかけています。
なおかつ、聴覚情報ではなく視覚情報として提示しています。

曲は、歌手名から検索した3曲くらいを
言葉で提示してその中から選んでいただいています。
曲名を聞けばどんな歌かイメージできる
再認できる方が多くいらっしゃいます。

最初にこちらからランダムに提示した時に
特に聞き入っていた歌手や曲があればこの時に追加で提示することもあります。

人によっては
お気に入りの歌手のお気に入りの曲がありますから
そのような時には、こちらから歌手名や曲名を提示せずに
オープンクエスチョンで
「聞きたい歌手は誰ですか?」
「聞きたい歌があれば教えてください」
と尋ねるようにしています。
再生可能な方にはなるべく再生を促す尋ね方をしています。

毎回、同じ歌手の同じ歌を選ぶ方もいれば
その時々で違う歌手の違う歌を選んだり
90歳代の方がキャンディーズや松田聖子を知っていたり
70歳代の方がピンクレディーを毎回必ずリクエストされることもあります。

こちらの問いかけに答えていただくことで
自然に会話の機会を設けることもできます。
ただし、近時記憶が低下している方が多い場合には
会話で長く時間を取ってしまうと注意集中が途切れてしまうので
集団を構成する方たちの状態に応じて
問いかけの仕方や回数にも注意しています。

また近時記憶が低下していると
(当院では1分前のことも忘れてしまう方が大勢います)
画面に映った歌手の名前や曲名を聞いてはいても忘れてしまいますから
曲の間奏の時には必ず歌手名と曲名を伝えるようにしています。
「あ、そうそう、この歌手だった」「この歌だった」
と思い出していただけるように。
これも再認に働きかける工夫です。

歌手や曲にまつわるエピソードを伝えるか
どの程度どんな風に伝えるかも
その時に集団を構成する方たちの状態に応じて判断しています。
基本はあんまり余分に私が話さないようにしていますが
近時記憶がもう少し保たれている方や注意集中が可能な方が多ければ
曲のイントロや終了直後にエピソードを伝えると
再認できることの幅が増えたり
その方が知っているエピソードを語ってくれたり
思い出話をしてくれたりなどの良い面もあると思います。

場面設定の基本として
重度の認知症のある方でも注意集中が保ちやすいように
集団の中で症状や障害が目立ちにくいように
と考えています。

音楽鑑賞ですから、途中で集中が途切れても目立たないし
口ずさみながら聞いても不自然ではないし
参加形態に幅があり自由度があるのが良いなぁと思っています。

誘導する時にも
「リハビリ」「OT」「活動」という言葉は使わずに
「歌を聞く会」「五木ひろしの歌を聞く」「美空ひばりの歌を聞く」
というように具体的にイメージしやすいように声かけしています。
その方が大好きな歌手や曲があれば、その歌手名や曲名を言って誘導しています。

「歌の会」というと
「歌は好きだけど、人前で歌うのは絶対イヤ」と拒否されることも多々あります。
「歌わない、聞くだけ」と歌わなくて良いことを担保していますし
そのイメージが伝わるように、あえて前の席ではなく後方の席へ誘導することもあります。
もちろん、歌いたくなったら口ずさんでもいい
(今はコロナ渦なのでマイクをお渡しすることはなくなりましたが)
歌いたい方には前に出てきてマイクを持って歌っていただいていました。

同時に
訴えの多い方への対応や
歩行不安定な方の立ち上がりや
帰宅要求のある方への対応なども行いますが
できるだけ場の円滑な運営が行えるように
どうしたらその方たち一人一人が集中できるようになるのか
何かコトが起こってから対応するのではなく
コトが起こる前に、起こらないように、予防対応的に考えています。
(これについては、長くなるので別の記事でお伝えします)

同じ時間、同じ空間を共有するけれど
個々の方それぞれの能力と特性を発揮できるような援助をするために
私がしている工夫をご紹介しました。

  2時間の精神科作業療法を音楽鑑賞だけでなく
  他の要素も組み合わせ、個人ごとのActivity提供という
  並行集団としての展開もしていますが

  長くなるので、こちらも別の記事でお伝えしていきます。

私としては、こういった意図と配慮のもとに
音楽鑑賞の場面を運営・進行しているのですが
人によっては「ただ歌を聞かせてるだけ」「誰でもできる」と思うようで
実際、そう言われたことがあり
その時の態度がちょっとあんまりで
私もその時は若かったし、ちょうど良いきっかけもあったので
進行を変わってもらったことがあります。
そしたら、今まであんなに歌いまくっていた方たちが
(当時はコロナ渦ではないので)
まったく歌わなくなり、一気にシーンとしてしまって
その人は「あれ?あれ?」と言っていました。
 
前の記事「多訴の方への対応」で書いた通り、
実践している人には
「何をしているか」「何が起こっているのか」わかるけれど
実践していない人には
皆目わからないということが起こっているのです。

歌を聞かせるだけの人には
さまざまな配慮のもとに複数の意図を持って進行しているのを
目の前で見せてもらってもわからないのです。
  「OTの不安への答え」で書いたように
  紀伊克昌先生や古澤正道先生のデモンストレーションを見ても
  過去の私には何をしているのか、さっぱりわからなかったように
でも、実践している人には一目瞭然で何をしているのかわかる。

このことは、
生活期にある方への食事介助やポジショニング設定、立ち上がり・歩行介助
認知症のある方への対応全般について言えることです。
同じコトが違うカタチで、ありとあらゆるところで起こっているんです。

たかが音楽鑑賞、されど音楽鑑賞
その場をどれだけ豊かにできるかどうか
運営する人の意図によって全然違ってきます。

耳タコかもしれませんが
スティーブ・ジョブズの言うとおり
「意図こそが重要」なんです。

「歌わせる」「聞かせる」のか
歌を聞くことを通して能力発揮の援助をしたいのか
表面的には同じように見えて
その意図のベクトルは真逆です。
そしてその意図こそが伝わっているのです。

他のActivityでも、まったく同じことが違うカタチで起こっています。

どのActivityが良いのか、という問題ではないのです。
「何をやらせようか」という言葉が出た時点で答えは決まっています。
  (野村克也の言う「負けに不思議の負けなし」というわけです)
「何をしていただいたら良いかしら?」と言葉だけを丁寧な表現にしても
中身は同じですから答えも決まっています。

もちろん、悩む人は、日々のリハやActivityに困るから悩んでいるわけで
仕事に対して、いい加減な人ではないからこそ、出てくる悩みです。
でも、悩み方を間違えているんです。
 
対象者の状態像と特性が把握できれば
どんなActivityが適切なのか、それはなぜなのかが
明確に浮かび上がってきます。

浮かび上がってこない時には評価が曖昧なんです。
だから、評価に立ち戻れば良いのです。

でも、多くの人は
評価、状態把握に立ちもどることをせずに
「Aが良いか、Bはどうだろう?何が良いかしら?」と
悩むのです。。。
そこは本来悩むところではなくて、実行するところなんです。
状態把握、評価を。

認知症のある方のActivityの選択が難しいのではなくて
状態把握、評価が難しいと自身の現状に向き合うところなんです。

自身の評価困難という現状に向き合うことを回避して
認知症のある方のActivity提供の困難さに
問題設定をすり替えてしまう。。。OTの現場あるあるです。

評価と検査を混同する。
評価を状態像把握ではなくて、
MMSEやHDS-Rや立方体透視図模写テストなどのバッテリーをとる
検査をすることと混同・すり替えてしまうのも
OTの現場あるあるです。
 
「OTの不安への答え」にも書いたとおりで
こういったすり替えや問題設定の問題は
リハやケアの現場であらゆる場面で起こっています。
 

 

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ポジショニング設定の思考過程

生活期にある方に対して
ポジショニングを設定する場合に
どのように考え対応しているのか、お伝えします。

まず、最初にポジショニングを設定していない状態での
全身のアライメントを確認します。

そこで初めてポジショニングを設定する際の
優先事項が明確化される場合もあるし
最初に優先事項が決定していることもあります。

例えば
手指の拘縮が強くてハンドケアが行えないとか
頚部後屈が強くて誤嚥のリスクが高いとか
褥瘡治療のためとか

身体は解剖学的にも生理学的にも連続性があります。
身体は繋がっているので
必ず全身のアライメントを確認します。

その上で
判断・決定・合意・共有化された優先事項に則って
ポジショニングを行います。

現場あるあるなのが
設定する人が気になっているところだけ見てしまい
全身の関係性へ配慮なく設定してしまうことです。

  よくあるのが、
  膝関節の屈曲拘縮を予防しようとして
  頑張って過剰にクッションを入れて膝を伸ばしてしまうとか。
  あるいは、
  股関節の内転を予防しようとして両足の間に過剰にクッションを入れて
  足を広げてしまうとか。

  手指の拘縮が強いと、手指だけ見てなんとかしようとしてしまうとか。

クッションを外すと一気に元の姿勢以上に
手足がギューッと屈曲してしまうとか。

「だからクッションでちゃんと足を広げて伸ばさないと
 もっと拘縮がひどくなっちゃう」と誤認されていますが
事実は反対で私たちの対応がよくないのです。

誤ったポジショニングがなぜ漫然と行われてしまうのか。
原因は概念や知識の本質を理解した上で活用する
ということが為されていないと考えています。

筋の起始停止を思い出してください。

上肢も下肢も2関節筋はたくさんあります。
筋をリラックスさせずに
2関節筋の遠位部を無理やり伸ばせば近位部は逆に収縮するしかありません。

良肢位保持と唱えながら逆に関節拘縮を悪化させてしまうのです。
「身体が硬くてオムツ交換が大変」と言いながら
自分たちでオムツ交換が大変な身体にしているのです。

姿勢とは身体の働きが反映されています。
身体の働きが改善された結果として良い姿勢になるのであって
外力的に無理やり良い姿勢を作ると
効果がないどころか逆効果になってしまいます。 
(ポジショニングだけでなくROM訓練でも同じことが起こっています)
(目的と手段の混同、すり替えがここでも起こっています)

軽度の状態では、悪手の結果をすぐに見ることがないかもしれませんが
後になって悪手の蓄積のツケを対象者も周囲の人も払わされる。。。
食事介助の不適切なスプーン操作とまったく同じことが
違うカタチで起こっています。

介護老人福祉施設で働く人たちは
ものすごい拘縮を起こしてしまっている人たちを
たくさん見ているのではないでしょうか。

でも
私たちの対応が悪いのだとしたら
私たちの対応を変えれば良いだけです。
ここに希望もあります。

一見、強直かと思うような状態像でも
まだまだ筋の過剰収縮であって改善可能性がある方はたくさんいます。

手指の拘縮が強く、なかなか手指を広げることができず
上肢も下肢も伸展位で空中に突っ張ってしまうほど筋緊張亢進が顕著な方でも
全身のポジショニングをきちんと設定してから
手指にスポンジを装着すると上肢も下肢も手指も筋緊張が緩和され
股関節も膝関節の屈曲も容易になり
上腕を外転させることも容易となり
手指を開排させることも容易となった方がいらっしゃいます。

ポジショニングを設定する時には
必ず個々の対象者にとってのキーポイントがあります。
人によって
股関節の屈曲位確保だったり
側臥位設定だったり。。。
そこを明確化し、外さないようにします。

その上で
身体と身体、身体とベッドの隙間を無くすように
クッションや古タオルなどを設置します。
つまり、身体の姿勢・肢位保持する筋の機能を代償するのです。
そうすると筋の過剰収縮を防ぐことができ
結果としてリラックスした姿勢を設定できるようになります。

最後に手指にスポンジを装着すると
手指の筋緊張緩和も為され
そのことが同時に筋の近位部である上肢帯の筋緊張緩和にもなり
悪循環を脱却し、良循環が始まっていきます。

  ただし、全身のアライメントをきちんと観察することができないと
  適切なポジショニングは設定できません。
  ポジショニングが難しいのではなく
  アライメントを観察できていないのです。
  観察の眼を養うしかありません。
  近くに良い先達がいれば
  その人のワザをよく見て学んでください。
  良い先達がいなければ
  覚悟を決めて対象者の方から学んでください。

生活期の方のポジショニングとは
よく為されているように
良い姿勢を作るために
無理矢理足を広げたり伸ばしたりすることではありません。

その方の本来の可動域、本来の随意性が出現しやすいように
余分な筋緊張を緩和させること
ラクな姿勢を作ることなのです。

つまり
ここでも、改善・修正するのではなく援助する
という視点に依拠した対応をしています。

 

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多訴の方への対応

「認知症のある方の訴えが多くて困る」という声もよく聞きます。
 
確かに
認知症のある方の中には
同じ訴えを繰り返す方も少なくありません。

しかも、同じ訴えを繰り返す方の声は
たいてい、悲痛な声なので
「同じ訴えを繰り返す」という表現をしていますが
実は、あんな声を聞くのはイヤというのが本音だったりします。

職員だって人間ですから
ナマの感情として、そのように感じる
という現実を否定はできません。

だからといって
イヤイヤな内心をそのまま表現してしまったり
あるいは隠そうとはしても隠しきれずに
認知症のある方にぶっきらぼうに対応するのは
プロとしてどうなんだろう?とも思いますよね。

じゃあ、どうしたら良いのか
  
たいていの人は
「どうしたら訴えをなくせるのか」
と考えます。

   そのように問題設定を考える人は
   表面的に訴えをしないように説得したり抑圧しようとしがちです。
   言葉は丁寧でも口調は強く大きな声で
   従わざるを得ない雰囲気を醸し出しています。
   認知症のある方は空気を読み取る能力があるから
   従わざるを得ないという。。。
   そして「訴えなくなった→良い対応だった」と判断されるという。。。
   単に我慢を要請し、抑圧しているだけなのに。
   このような対応は、仮にその場は良くても長期的には逆効果になります。
   抑圧させているだけなので、
   抑圧しなくても良い場面あるいは
   抑圧することができなくなった時に一気に吹き出してきます。
   それを症状悪化と呼ぶという。。。
   現場あるあるです。
   こういったことは、同じコトが違うカタチでいろいろと起こっています。

ここがすでに問題設定の問題になっています。

「どうしたら訴えをなくせるのか」という問題設定は
誰にとっての問題を意味しているのでしょうか?

認知症のある方の困りごとの解決を援助するという立場に立てば
繰り返し同じ訴えをするという行動に
反映されているコトは何なのだろうか?
という問題設定になるのではないでしょうか?

たとえば
よくある訴えが排尿関係の訴えです。
「おしっこが出ちゃう」と言って頻回にトイレに行きたがります。
実際にトイレに行ってみても出ないか、あるいはごく少量しか出なかったり。。。
そのような方の場合には
実はしっかりと排尿しきれず残尿感があるために尿意を感じ続ける
というケースが少なくありません。
であれば「トイレに行きたい」と繰り返し同じ訴えをするのは
正当な訴えということになります。
だとすると考えるべきは
いかに「トイレの訴えを減らすか、なくすか」ではなくて
「どうしたら残尿を減らせるか」という技術的な問題になります。

あるいは
何か集中できるActivityをしている時にはトイレ希望がない
というケースもよくあります。
このようなケースに対しては表面的に
「何か気持ちをそらせることをやらせましょう」という対応になりがちです。
そのような場合によくあるのが
「おしっこが出たい」のではなくて
「おしっこで失敗したくない」
 →「失敗したくない気持ちの具体例がおしっこを漏らしたくない」
ということもよくあります。
つまり、尿意は本当の問題ではない。
根底にあるのは、自身の不全感への不安であって
その不安が排泄の訴えとして現れている場合です。
このような場合に単純に気持ちを紛らわせることばかり考えて
認知症のある方の能力よりも高度なActivityをやらせて
かえって不全感を強めてしまい
「トイレ」「トイレ」と訴えが増えてしまうこともよくあります。

  現場あるあるなのが
  認知症のある方の遂行機能や構成障害などの能力や障害が把握できていないのに
  「これなら簡単だからできるだろう」と提供する職員がとても多いことです。
  毛糸モップは段階付けが多様に行えるので
  幅広い状態の方に適用できるActivityではありますが
  決して遂行が容易ではなくて、
  構成障害のある認知症のある方にとっては
難しいこともよくあります。
  
自身の不全感への不安が根底にある場合に
達成感や安心感を内的に感受できるような体験が
Activityを通して体験できて、その体験を蓄積できるようになると
トイレの訴えがなくなったり、減ることはあり得ます。
ただし、近時記憶が低下しているので体験している場面ではよくても
体験以外の場面では難しいこともあります。
体験を忘れてしまうから日常生活全般への汎化は難しいのです。
 
逆に言えば、Activity以外でも達成感や安心感を感受できれば良い
ということになります。
  
  ちょっと話はそれますが
  特定の方に用事がある時に食堂やホールなど複数の方が集まる場所に出向く時には
  用事がない方にも必ずアイコンタクトをして会釈だけはするようにしています。
  「今はあなたに用事はないけど、あなたのことを気に留めています」
  ということを伝えるためです。
  用事のない方の前を見向きもせずに通り過ぎる人も多いけれど
  それって「あなたには用事も関心もない」と態度で言っているも同じです。

  また、この対応をしているおかげで
  実際に体調不良の方の早期発見をしたこともあります。

  このような対応をしている人って案外少ないんです。。。
  他の対応全般と同様に、実践している人にはわかっても
  実践していない人には「何をしているかわからない」「見れども観えず」
  となっていて、しかもその自覚がないのです。。。

  多くの人は、自分にとっての問題というカタチでモノゴトが表面化した時に
  どうしたら良いのか?と考えます。
  対応が後手に回っているし、視点が自己中心ということに無自覚なのです。
  だから的確な対応が浮かぶはずがないのです。。。

  リハ室に来た方が
  「あーここに来るとホッとする」と言われると私もホッとします。
  そういう場所を作れて良かったと思います。
   
  問題が起こってから対応を考えるのではなくて
  問題が起こる前に環境づくりの一環として
  お金もかけず、エネルギーも使わずに私たちができることはまだまだあります。
  
  施設方針として敬語を奨励するなら
  「用事のない方の前を黙って通り過ぎない」
  「用事のない方の前を通り過ぎる時には会釈する」
  ということを奨励した方がよっぽど建設的だと思っています。
   
達成感や安心感をイマ、ココで感受できるから結果として訴えが減る
こういった事象を表面的にしか捉えられない人は
「やっぱり気持ちをそらせるべき」という判断になりがちですが
似て異なるもの、それは違うのです。

  これは私の推測ですが。。。
  アルツハイマー型認知症のある方は
  今よりもずっと社会的規範が明確にあり
  それらに従うことを要請され
  躾の厳しい時代を過ごしてこられました。
  両親から厳しい躾をされたり
  あるいは自己防衛から自主的に内面化し
  不安感を抱えた幼少期を過ごした方が
  高齢になり、近時記憶障害があるために、

  今までは抑圧できていた不安が抑圧しきれなくなり
  現在の不安感というカタチで表現されている
  可能性もあるのではないかと考えています。
  現在の不安や心配を抱いた時に、
  それらの「感情」を抱いた過去の記憶が蘇り
  余計に不安になってしまうと考えています。

だからこそ
イマ、ポジティブな体験をすることに意義があります。
HDS-R3点の方でも、1分前のことを忘れてしまう方でも
再認することができる方もいます。
現在の安心感という「感情」をきっかけとして
過去の安心感を抱いた体験を想起することも起こり得ます。

再認は、ポジティブにもネガティブにも働きます。
イマ・ココでポジティブな体験をするために
体験構成の一因子である私たち職員の関与の質が問われます。

訴えが多い方に私がよくしていることは
ひとつには、不安や心配な気持ちの表出を促すことです。
不安や心配な気持ちを誤魔化したり気持ちをそらせるのではなくて
そう感じても良いのだと
何が心配なのか語ってもらいます。

  ここは バリデーション の出番です。
  (バリデーションのことは記事にしてありますから検索してみてください)

もう一つは、不安の表明があってから対応するのではなくて
不安の表明がない時でも常に大丈夫なのだと、よく頑張っているのを知っていると
最小限の言葉と、表情と声のトーンと態度という非言語の両面で伝え続けることです。

「どうしたら良いの?」「これで良いの?」と言葉で不安を訴える方には
訴えがあってから対応するのではなくて
訴えがない時から、アイコンタクトや笑顔、うなづきやハンドサインやジェスチャー
という非言語な表現を多用して、言葉以外で伝えます。
同じくアイコンタクトやうなづきやハンドサインでお返事をしてくれるようになれば
「悲痛な声」を聞かなくて済むこともあります。

「どうしたら良いの?」と悲痛な声で繰り返されると職員も疲弊してしまいますが
お茶目なハンドサインで表現が返ってくれば「悲痛な声」を聞くこともなくなるので
その方とのコミュニケーションをポジティブな気持ちで提供できるようになります。
その結果、情緒的に安定し、結果として訴えが減少することもあります。

  訴えが多い方に対して「依存的」と判断する職員は多いようですが
  若い時から困ったら自身で解決するのではなく誰かに助けてもらっていた
  内在する不安を誰かに分かち合ってもらってきた
  という行動パターンがもともとあった方かもしれません。
  であるならば、そのような基本的な行動パターンを変えるように要請しても
  困難なのではないでしょうか。
  むしろ、その行動パターンはそのままに
  応答手段としてのコミュニケーションを非言語に切り替えれば

  周囲も受け入れやすくなります。
  (余談ですが、不思議なもので
  「依存的」と判断したり、我慢を要請する職員に限って、
   受け入れやすい行動へ変容した時には
   打って変わって、ニコニコと接するようになります。。。)
  
ここでのポイントは
訴えの根底にある不安感からくる確認行動を否定せず
「多訴」「依存的」という行動を修正・改善することを考えるのではなくて

確認せざるを得ないというニーズに基づいた表現手段を
悲痛な声で表出する(つまりそれだけ切実なのです)言語から
周囲が受け入れやすい非言語へと行動変容を促すことにあります。

かつて
「ねぇ」と繰り返し発言する方がいました。
理由を尋ねても答えず(答えられず)ということが続くと
だんだん職員の対応も遠ざかってしまいます。
そうすると「ねぇ」だけが頻回に大きな声で繰り返されてしまいます。

大きな声で繰り返される「ねぇ」は本当に治療されるべきBPSDでしょうか?

私は、その方の真正面に座りました。
「ねぇ」と言われた時には「はい」と答えました。
そうすると真っ直ぐに私の顔を見てすぐにうつむきます。
しばらくするとまた「ねぇ」と言います。
「はい」と答えました。
しばらく繰り返していたら
その方は無言で顔を上げ、私の顔を見るとまたうつむくことを繰り返すようになりました。
その方の正面の席を立っても遠くからでもその方に視線を送るようにしました。
その方は私を探してちゃんとアイコンタクトをとります。
その後、アイコンタクトが担保されたことが確信できたのか
「ねぇ」という声を聞くことは無くなりました。

この方は、「ねぇ」以外の言葉を発することができなかったので
推測することしかできませんが
「ねぇ」以外に言語表現力がなければ
何かを伝えたい時には「ねぇ」と言うしかありません。
そして伝えたい気持ちが強ければ強いほど
唯一言える言葉である「ねぇ」を繰り返し大きな声で言うしかなかったのだと思います。
近時記憶障害が高度であれば、1分前のことも忘れてしまいますから
結果として同じ訴えを繰り返すように見えます。
 
  説得に走る人がよく使う「さっきも言いましたけれど」と言う言葉は
  効果がないどころか逆効果にしかなりません。
  そう言う職員は対応のネタ切れに陥っているのだと思いますが
 「さっきも言ったけれど」と言うことは
  暗に「もう言うなよ」と思っている
から言える言葉です。

  そして、その感情は確実に伝わっています
  認知症のある方は、この人に言ってもムダだと感受します。
  だから言わなくはなります。
  (忘れてしまって繰り返すことはありますが、すぐに引き下がります)

  職員は自分にとっての問題を解決はしましたが
  (だから、自分のとった方法が良いと主張します)
  認知症のある方にとっての問題は解決されてはいません。
  我慢、抑圧
させられただけです。

また、2−3分前のことも忘れてしまうくらい近時記憶が低下している別の方がいました。
この方が繰り返し痛みを訴えるような時には悲痛な表情で悲痛な声で訴えられます。
(痛みの原因はわかっていて対症療法しかできないケースです)
対応する職員の中には、言葉は丁寧でもぞんざいな口調と表情で対応する人もいます。
そのような人は無自覚であっても、
非言語な表出に反映されている本音はちゃんと伝わってしまいますから
認知症のある方は、なんとか自身の辛さをわかってもらおうとして
もっと悲痛な表情でもっと悲痛な声で痛みを訴えるようになります。
そうした悪循環を作っているのは職員の側なんです。

よくよく観察すれば
痛みを訴えない時間と場面があって
その方は自身でなんとか自制しようとしていることを意味していると感じています。

  (このようなケースでは往々にして
   構ってほしいアピールなんだと判断する職員もいますが
   そのような職員と対象者の方が善き関係性を築いているケースを
   見たことはありません)

痛いは痛いけれど、なんとか辛抱しようとしている
辛抱できる時もある
でも辛抱しきれない時もある

ここに可能性があります。
私には痛みを減らすことはできませんが
その方の自制しようとする気持ちを支え続けることならできます。
 
こちらも悲痛な表情で悲痛な声で痛みを受け止めようとしていることを伝えます。
2−3分ごとに繰り返される訴えに、こちらもその都度同じことを繰り返します。
同時にその方が自制しやすい場面を確認していきます。
他者との交流なのか
自身が達成感を抱けるActivityなのか
ヒトなのか、モノなのか、コトなのか、多くの場合は複合しているものです。
それらを提供することによって痛みの訴えはゼロにならなくても
痛みとともに暮らしていけるようになっていきます。

訴えの多い方に対して
どうしたら訴えをなくすことができるのか考える
という対応は現場あるあるですが
この問題設定は、誰のための問題なのでしょうか?

私たちの仕事は
認知症のある方の暮らしの支援のはずですが
いつの間にか、私たちの問題と認知症のある方が抱える困難とを混同していないでしょうか?
  
抽象的総論的に良いことを語る人たちが
具体的現実的に解決策を提案できないというのも現場あるあるです。

  具体的現実的に解決できないから
  過剰に抽象的総論的に語ることで補償する
  自己防衛しようとしているのではないかと考えています。
  無自覚でしょうけれど。
  理想は語るものでも唱えるものでもなく具現化していくものです。
  ところが、残念なことに
  理想と実践の乖離が進んでいる側面もあるのではないでしょうか。
  乖離に疑問を抱かざるをえない真摯に地道に働く職員が辛い思いを抱え
  認知症のある方も余分な困難を抱え
  本当の問題が表面化しにくくなっているのではないでしょうか?
  だからこそ、私が具体的現実的な考え方と具体例を提案する、表明することに
  意義があると考えています。

問題設定の問題

正しく聞くことができないから
正しい答えが返ってこない
だとしたら、検討すべきは聞き方であって答えではない。

食事介助で
「口を開けてくれない方がどうしたら口を開けて食べてくれるようになるか」
という問題設定と全く同じコトが違うカタチで
対応の工夫全般でも起こっているだけなんです。

それは、問題設定が悪いからなんです。
認知症のある方への支援に携わっている人たちの現場には
問題設定の問題が蔓延っていることに気がつければ
問題設定に意識的に取り組めるようになり、改善への道を模索できるようになります。
ここに未来への希望があります。

 

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オススメActivity「スクラッチアート」

あまり知られていない
でも、現場で使えるActivityとして
スクラッチアートを紹介します!

スクラッチアートとは
ハガキ大の大きさの黒い用紙に
白い色で下線が描かれているので
同封されているペンで白い線の上をなぞって削っていくと
鮮やかな色が浮き出たり、ホログラムのような色が浮き出たりします。
ダイソーで販売されていたものを購入しました。

冒頭の作品は
1ヶ月半以上取り組んでいた方なので
複雑な図案でも綺麗にできるようになりましたが
もっとシンプルな図案もあります。
 
2-3分前のことも忘れてしまうような、
近時記憶が高度に低下している方でも作れます。

スクラッチアートの良いところ
1)工程が少なく、工程を覚える必要がない
  ・白い線の上をなぞる という1工程のみ
2)自身の関与の結果が明確で綺麗
  ・なぞった→色が浮き出た という達成感が即時に得られる
3)出来上がりが綺麗
  ・多少なぞり忘れがあっても失敗として目立ちにくい
  ・多少なぞり方が雑でも失敗として目立ちにくい
4)段階付けが容易
  ・シンプルな下絵から複雑な下絵まで種類が豊富
  ・風景画、動物、曼荼羅や星座など下絵が多様
   好みに合わせて下絵を選べる
  ・線をなぞるだけでも綺麗、面を削って色を出してもどちらも綺麗
   面の削り方に自由度があって工夫ができる

近時記憶が低下していても
構成障害があっても
手指の巧緻性が低下していても
大雑把な性格の方でも
「白い線の上をなぞる」ことができれば行えます。

綺麗な変化を感じつつ取り組めるので
作業そのものが集中力をサポートしてくれます。

気をつけるところは
1)眼精疲労
  ・用紙のコントラストが強いので休憩を挟むか、作業時間は短時間にとどめる
2)削りカスの処理
  ・黒くて細かな削りカスがかなりでます。
   おしぼりやタオルを用意しています。

応用としては
無地の用紙も売られているので
短歌や俳句や歌詞などの模写もできると思います。

綺麗な字で書ければ仕上がりも綺麗だし
そうでなくても味わいのある仕上がりになるんじゃないかと思っています。

私が手工芸的な結果が明白なActivityを行う時には
見た目の綺麗さには、こだわっています。
一生懸命やったのに、綺麗にできなかったらガッカリしちゃいます。

近時記憶障害が高度であっても
その場の状況理解はできる方は大勢います。
自分自身が納得できない結果を目の当たりにしたら
意欲も削がれてしまいます。
「褒めておだてて言いくるめればいい」と考える人は
ガッカリした認知症のある方の表情に気がつかないのでしょう。
頑張っても良い結果にならなかったという体験は
能力低下、老いへの無力感全般へと容易に一般化しやすいので
可能な限り回避できるようにしています。

Activityを行なったその都度
「お、綺麗!」「あら案外素敵じゃない?」
って感じていただけるように。
ポジティブな感情を抱けるポジティブな体験となるように
対象者の方の特性と能力とActivityのマッチングには気をつけています。

 

 

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工程はActivityに語らせる


重度の認知症のある方でも
Activityを行える方はたくさんいます。

初めて行うActivityを紹介する時には
まず最初に完成品を見ていただき
完成品の用途を説明します。

ここで興味を持った方には
作り方の説明を実演しながら行います。
実演する時は通常通りに最初から行います。


 
例えば
幅広い状態像の方に適用可能なのが毛糸モップ
毛糸モップを例にとって説明していきます。

 

1)ハンガーの下に毛糸をくぐらせる

2)糸先を輪っかの中に入れる

3)糸先を引いて毛糸をハンガーに結びつける

 ここの工程をあえて省くことも多々あります。
 認知機能が低下している場合には省いたようが理解しやすいケースが多いです。
 自分がやることだけを覚える、余分なことは説明しないという意味です。
 ここを誤解している職員が大勢います。
 丁寧に説明しようと思って説明しすぎてしまうと
 認知症のある方に入力刺激が多すぎて混乱させてしまいます。

 認知症のある方へのわかりやすい説明とは接遇を尽くすことではないのです。

 

 

認知症のある方に実際にやってもらうことを通して
工程を説明していきます。
ここで最も重要なことは工程の最後から体験学習するということです。

 

1)糸先を輪っかの中にいれておき、糸先を引き絞る動作をしてもらう

まず、この工程を繰り返し体験してもらいます。
迷うことなく糸先を引き絞る動作ができるようになったことを確認してから
次の工程にうつります。

 

2)毛糸の糸先をハンガーの下からくぐらせてから
  糸先を輪っかの中に入れ引き絞るという2工程の動作をしてもらう

 

この2工程を迷うことなく行えることを確認したら
ひとつ遡って、毛糸をとるという工程を追加します。

3)毛糸をとる、ハンガーの下をくぐらせる、輪の中に糸先をいれ引き絞る
  という3工程を行なってもらいます。

この3工程を繰り返し行なってもらい
迷うことなく行えることを確認したら
次に糸先をそろえるという工程を追加します。

4)毛糸を取る、糸先をそろえる、ハンガーの下を潜らせる、輪の中に糸先を入れ引き絞る
  という4工程を行なってもらいます。

 * ここは細かく段階づけをしていきます。

 

   まず、糸先はそろえて、隙間を開けて置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   糸先をズラして、糸の隙間も開けて、置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   毛糸を少し丸めた状態で置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   毛糸を一本そのままの状態で置いておきます。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   3本ほどの毛糸をまとめて置いておき
   そこから1本取って行えることを確認します。
   こちらで迷いなくできることを確認したら

   毛糸をまとめた状態にして置いておきます。
   ここまでできたら、困っていないか時々確認する程度の見守りをします。

 

 

  ちなみに
  アクリル毛糸同士ではなくて
  モヘアや綿とアクリル毛糸の異素材の組み合わせも素敵です。

  ただし、モヘアは軽くて細くてつまんでいる感覚が分かりにくいので
  そのあたり大丈夫な方が対象となります。

認知症のある方あるあるなのが
最初はできていたのに
途中で混乱してわからなくなってしまうケースです。
  
  その方にとって、何か注意をそらせるようなことがあった時に起こりやすい
  なので、私はあまりAct.中には話しかけないようにしています。
  一般的に「楽しく!」という思い込みによって
  「わいわいした雰囲気」を作り出そうとしたり
  おしゃべりをするケースも散見されますが
  そのような場面は実は注意集中を妨げやすい場面設定でもあります。
  もちろん、そのような場面設定でも注意集中が可能であれば良いのですが
  重度の認知症のある方の場合には周囲の環境という場面設定によって
  本来の能力発揮が妨げられることのないようにしたいものです。

途中で混乱してしまったり
トイレなどでいったん手を止めた後で
できなくなってしまった場合には
迷いなくできる工程まで戻ります。
この時に工程の最初に戻るのではなくて
工程の最後から確認していくことがポイントです。

工程の最後から
「こうしたらできる」
「こうやってできた」
という体験を繰り返し行うことで
できる、できた、という再認をすることが可能となります。

その上で1工程ずつ増やしていきます。
増やす工程そのものは「くぐらせる」「手にする」「そろえる」などの
かつて必ずどこかで行なってきた手続き記憶です。
その手続き記憶を新たな体験に統合する作業をしてもらうことを意味しています。

だから、段階づけは細かく行いますし
混乱したり、不安になったり、わからなくなってしまった時には
「できる」工程に戻って再認してもらっています。

ここまで、1回のリハの時間に行えたとしても
次に来る時には忘れてしまうことも現場あるあるです。

なぜなら、時間経過という時間干渉と
その間、さまざまな動作をしていたという動作干渉という二重の意味で
認知症のある方が忘れやすい状況に置かれるからです。

つまり、忘れてしまうのは仕方ないことなのです。

むしろ、初めてのActivityの工程を覚えているということ自体
素晴らしい能力発揮なのです。

手工芸をしていた方は、このような体験の統合が容易なことが多くあります。
たとえ、1−2分前の会話を忘れてしまう方でも
Activityの工程を覚えられることは本当にたくさんあります。

仮に、せっかく工程を教えたのに
忘れられてしまったからとがっかりする必要は全くありません。

忘れてしまったとしても
その方の行動パターンはこちらが把握できているので
工程のどこまで戻ったら良いのかの判断基準は手にしています。

もちろん、認知症のある方の体調変動によって多少の誤差はありますが
判断基準があるので提供するこちらの負担は初回ほど多くありません。

 

私は、Activityの工程を丁寧に言葉で説明を尽くし
「一緒にやるから大丈夫」とつきっきりで
安心させるような場面設定はしていません。
 
Activityの工程はActivityそのものに語らせるような場面設定をする工夫をして
認知症のある方が安心できるような場面設定をしています。
手も口も出しませんが、目だけは離さずにいる場面設定をする方が
認知症のある方自身の達成感を促しやすく
また、メタ認知やメタ体験としての達成感も得やすくなります。
そしてそのような体験ができるリハ場面そのものが
ポジティブな再認の場となるのでリハやActivityへの拒否が少なくなります。
 

 

もし良かったら是非お試しください。

ポイントは
・言葉だけに頼らず視覚的説明を活用する
・工程は最後から体験を通して理解してもらう
ということです。

認知症のある方への介助、援助、支援とは
接遇を尽くすということとは異なるのだと考えています。

  蛇足になりますが
  こう書くと必ず「接遇を否定した」と誤読する人がいるので念の為。
  私は接遇そのものは対人援助職として必要だと考えてはいますが
  接遇を尽くすことで認知症のある方の生活障害やBPSDが
  改善されることにはならない。
  私の主張は評価に基づいて対応を判断すべきということです。

 

 

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ウソみたいなホントの話:スポンジ解説編

 

手指の拘縮悪化予防のために
スポンジが絶大な効果があることを
前の記事「ウソみたいなホントの話」でお伝えしました。

スポンジは
100均でも入手できるし
加工は普通のハサミだけでできるし
失敗しても作成し直すことが容易です。
耐久性に欠けるのがやや難点ではありますが
すぐに作れる、安価、でも絶大な効果があるということで
費用対効果にとても優れています。

入手するスポンジは
フニャッと潰れてしまうものは向かないので
復元性、反発性の高いスポンジを選んでください。
使い勝手が良かったのは、ダイソーで購入したこちらのスポンジです。

私は100均のキッチンコーナーで選んでいますが
バスコーナーや車の洗車コーナーで販売されているスポンジも
選択肢に入れておくと良いかと思います。

さて
それでは、なぜスポンジという素材なのか
スプリントやタオルではなく
スポンジという素材を使う意味について説明していきます。

手には、縦・横・斜めのアーチがあります。
昔、学校で習ったでしょう?

力を抜いた状態でご自身の手指を見てみてください。
母指と示指、小指と手掌面が作っている空間の大きさに違いがありますよね?

次に、ギュウっと力を入れて手指を握ってみてください。
母指と示指、小指が作る円還の大きさにも違いがありますよね?

そして、いずれの場合でも
手指が作っている空間は円筒状ではなくて円錐に近い状態になっています。
縦・横・斜めの3つのアーチがあるからです。

よく、タオルやおしぼりを丸めて握ってもらっているかと思いますが
丸めた状態だと円筒形になっています。
円筒形のものを握らせるということは
小指側を過剰伸展させることになります。
 
小指に関与する筋といえば
小指対立筋・浅指屈筋・深指屈筋・総指伸筋・小指伸筋などで
多関節筋です。

  神奈川県作業療法士会>「いつでも何回でも再学習☆応援講座」
  >再学習・筋触診ー上肢編をご活用ください

多関節筋ですから
小指のMP・PIP・DIPの関節を過剰伸展させるということは
外力としてその時に強制的に伸展させることはできても
身体自身の必然として伸展していないので
代償として筋の近位部を収縮させることになります。

筋そのものがリラックスした結果として伸展しているのではなくて
他動的に強制的に筋の遠位部を伸展させれば
代償的に筋の近位部を収縮するしかない

伸展が過剰であればあるほど
代償としての収縮が強くなります。

その結果、善かれと思っての巻きタオルなのに
逆効果となり、拘縮をもっと悪化させてしまいます。

臥床時のポジショニングと
同じコトが違うカタチで起こっているだけです。

  臥床時には、股関節・膝関節を強制的に
  クッションで伸展・外転させて
  かえって骨盤の捻れを引き起こしたり
  屈曲拘縮を悪化させてしまいがちです。

強引でも伸展させないと拘縮がひどくなるという
知識のない善意による思い込みのために
結果として逆効果を招いてしまい
対象者の状態を悪化させてしまっているのです。

  「知は力なり」という言葉がありますが
  一時は「無知は力」だ。。。と思ったこともありました (^^;
  でも、やっぱり「知は力なり」なんだと考え直しました。

このような誤った対応の根幹にあるのは
「現状は悪いから、良くしてあげなければ」という
人体構造の解剖学的生理学的知識に基づいていない善意であり
因果関係論であるICIDHに依拠した考え方です。
そして、善意からなされているが故に
自覚・修正しにくいという問題があります。

現実には
人体というのは、解剖学的にも生理学的にも連続性があり
常に、環境との相互作用を営んでいます。

相互関係論であるICFに基づいたリハの実践をするというのは
人体の解剖学的生理学的可変性を良い方向に活用するということです。

  OTの人はよく理論が必要と言いますが
  理論を治療に活かすというのは、こういうことです。
  ICFという最も本質的な理論に依拠した実践なのかどうか
  どんなことでも常に
  理論と実践とを相互にフィードバックさせる、
  自身に問いかけながら実践を積み重ねるということです。

痙性の強い方でも
筋肉は常時一定の緊張度にあるわけではなく
その方なりの幅で筋緊張が変動しています。

スポンジは反発性がありますから
筋緊張が強い時には指尖と手掌面との接触を緩和し
筋緊張が弱まった時には本来の可動域に合わせてスポンジが広がってくれます。

つまり、スポンジは手指に合わせて収縮したり拡張したりしてくれる

ところが、巻きタオルやおしぼりやスプリント素材には反発性がありません。
巻きタオルは、人の手指がタオルに合わせることを要請しますが
スポンジは、人の手指にスポンジの方が合わせてくれる

多関節筋だから
手指にスポンジを握っているだけでも
手指の筋の緊張が緩和すれば
前腕や上腕の筋緊張も緩和して
結果として手指や手関節、肘や肩の可動域が拡大します。
というよりも、
その方本来の可動域を目にすることができるようになるのです。

理想論や本来の肢位を基準として想定し
そこから差し引きマイナスで現状を判断し
基準に到達すべく、近づけるべく、修正・改善しようという
視点はICIDHに基づいた考え方であり
急性期には必要かもしれませんが、生活期にある方には適切とはいえません。

現状を否定せず
その方なりの埋もれている本来の能力を発揮できるように
(その場合の多くは、誤介助誤学習由来のものです)
援助するという視点こそがもっとも重要です。

スポンジを作る時には
その方の手指の最大可動域に合わせてはいけません。

最大可動域よりも小さめに作ります。
だから、こんなに小さく細いスポンジでも効果があります。

スポンジを装着する時には
向きを間違えないようにすることが大切です。

作成者が装着・脱着するのであれば問題ありませんが
看護介護へ装着を依頼する場合には
(夜間に装着し昼間は装着せずに動きを引き出したい場合など)
向きが的確に装着できているのかどうか
間違えないように明確に説明することと同時に確認しておくことも必要です。

写真を撮って説明入りの取り扱い説明書を作成し
使用する場所、つまりお部屋に掲示しておくことだけではなく
使う対象そのもの、つまりスポンジにも目印をしておくことが必要です。

ここに努力を惜しむと
深く考えずに、単に「つければ良い」と考えている人に
反対向きに装着されて
その結果、効果がない、やっても仕方ない、やらなくて良いと
誤認されてしまいがちです。
(こういうことは本当にしばしばよくよく起こります)

本来は
共有すべき情報を作成・提供するまでが
OTの仕事、分掌範囲だと考えますが
職場の状況によっては
拡散・共有化までを担当した方が良いこともあります。

「なんで私がそこまで?」と思うかもしれませんが
仕事はやったもの勝ち
必ず自身の地肉となって底力がついてきます。
でも、永遠に繰り返すだけでは
賽の河原の石積みのような気持ちになって
「もう、やってられない!」となりますから
実践力のある他部門の人を見つけておくことです。

本当に効果のあることをしていれば
必ず一人は見ていてくれる(観ることができる)人がいるものです。

時間はかかっても、そこから広げていく道ができてきます。
その人の職位や状況にもよりますが、将来的な希望が見えれば
頑張り続けることができます。

関連してあと何点かお伝えしておきます。

装着したスポンジが外れないように
ひもやゴム紐をつけたりします。

認知症のある方の場合には
ひもやゴム紐など目につく素材があることで注意を引き寄せることになり
それらを引っ張ってしまったり
外してしまったり、異食してしまうこともあります。

ひもやゴム紐があった方が良いのか
ない方が良いのか、その方の状態に合わせて判断します。

スポンジは消耗品ですので
反発性が弱まってきたら作成し直すことが必要です。

装着によって最大可動域が拡大することもよくあります。
拡大した可動域に応じてスポンジを大きく作り直すことも必要です。

その方の状態像をよく把握して
適切な環境を提供する一環としてのスポンジ作成
ということなのです。

 

< 関連記事 >

「拘縮悪化予防スポンジ」必見!OTのすご技・アイデア集
「拘縮悪化予防スポンジ」OT佐藤良枝のDCゼミナール
「スポンジでROM」OT佐藤良枝のDCゼミナール

 

 

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ウソみたいなホントの話

 

老年期で働いていると
手指を硬く握り込んでしまっている方に
よく遭遇すると思います。

手を開くのが大変ですよね。
清潔面でも問題になるし。。。

そんな方にオススメなのが、写真のようなスポンジです。

スポンジを握っていただくだけで
手指の筋緊張が緩和して
その方本来の可動域を見ることができるようになります。
手指だけでなく前腕や上腕の筋緊張も緩和してきます。

2時間握っていただくだけで
スポンジを装着していない時間帯でも
筋緊張緩和の効果が持続します。

作成方法や取り扱いの注意点や
なぜ、スポンジという素材なのかということについては
後日、掲載します。

 

 

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履物を選択する時に確認すること

施設を利用する時には
履物を用意するようにご家族にお願いしているところが多いと思います。

介護用品店が身近になかった頃は
バレーシューズを用意するご家族が多くいらっしゃいました。
さすがに最近はバレーシューズではなく
最初から介護シューズやリハビリシューズを用意されるご家族が多くなりました。

ただ、緊急に入院された場合などは
病院の売店などで購入されることが多いと思います。

対象者の方、お一人お一人に合わせた履物をどう選ぶかって
結構難しかったりします。

私が履物を提案する時に確認することは、下記の通りです。
1)移動・移乗能力
2)靴の着脱能力
3)日中・夜間の行動範囲
4)経済面
5)ご本人の好み

まず、確認するのが、移動・移乗能力です。

日中の覚醒が良い時に
どの程度歩行できるのか、移乗できるのか
その方一人でおこなえるのか、
あるいは介助が必要な状態なのに自分一人でおこなってしまうのか
その安定性はどの程度なのか

夜間にトイレ覚醒があるのか
その時には自分でトイレまで移動できるのか
その安定性は?
夜間は自分では確認できないので
看護介護職員に確認します。
その時に看護介護職員は総合的な判断として
「ふらふらしている」
「危なっかしい」
と教えてくれることが多いので
眠気が強いのか、覚醒は良くても歩き方がおぼつかないのか
を言葉にして尋ねるようにしています。

日中離床して長距離長時間歩くような方の場合や
膝や腰の変形・痛みのある方や
脳血管障害後遺症片麻痺のある方や
短距離のみ歩行可能な方の場合には
きちんと踵があるタイプの履き物が良いでしょう。

車椅子を利用していて、移乗動作も全介助
ご自身では立ち上がる機会がない
というような方であれば、安楽さを優先して
上記のような履物か、もしくは
あゆみシリーズ
チャルパー
チャルパーII
などがお勧めです。
こちらは、足底には滑り止め機能がありますし
片足ずつの販売も可能です。

認知機能障害が軽度な方であれば
日中は、靴タイプ
自室内や夜間のトイレ覚醒の時には、チャルパーなど
という風に、使い分けることも可能です。

靴の着脱をご自身でできるのか、どうかの確認も必須です。

身体的な面と認知面との両面で確認するようにしています。
認知症のある方の場合、できることが変動することも多々ありますので
変動の幅も確認しておく必要があります。
でき方をよく観察して、必要であれば自助具や環境設定の工夫も考慮します。

身体的な面で
一人では履けない場合でも
柄の長い靴べらがあれば履けることもあります。

認知面では
左右を間違えてしまう方の場合には
あえて、右側の靴と左側の靴の間を離して置いておいたり
靴の中敷きをカラフルな色に変えておくことで
間違えにくくなることもあります。

介護シューズの選択肢が増えたのはとてもありがたいことですが
足にゆとりを持たせるために
ベルトやマジックテープで甲を覆うタイプが多くなっています。

ところが、認知症があると
ベルトやマジックテープをきちんと扱えない
ベルトを止めずに歩いてしまう方もいるので
ベルトを踏んでしまうと転倒に直結しかねず危ない場合もあります。

認知機能というのは多岐にわたっているので
近時記憶がある程度保たれていたり
その場の会話が弾んだりすると
認知機能障害を見誤りやすいので要注意です。

ベルトやマジックテープの扱いが困難であれば
「 ゆったり簡単スリップオン 」などの
足を入れるだけで履ける靴を選択します。
(手続き記憶として踵は入れられるケースが多い)

この時にサイズが合っていないと
踵を踏んだまま歩こうとするので
サイズを合わせることも必須です。
 
  あゆみシリーズであれば、
  カタログにサイズ表も足形も掲載されているので活用しています。
  あゆみシリーズは、かゆいところに手が届くような対応がされていて
  片側サイズ違いの購入もできますし
  5Eや7E対応の靴もあるし、ベルト延長も可能なので
  むくみのある方にも対応できます。
  今回記事を書くのにチェックしたら
  名前入れサービスや補高や靴底変更までありました。
  詳細は「パーツオーダー」でご確認ください。

夜間、トイレ覚醒をする方の場合には要注意です。

ナースコールを押し忘れたり
コールマットやセンサークリップなどの安全装置の誤作動などで
トイレ覚醒の時に見守りに行けないことが起きた場合に
中途半端に靴を履いて、ちゃんと履ききれずに
トイレに向かって歩き出してしまうかもしれません。

靴の着脱能力の確認は必須
身体面も認知面とその変動の幅
環境設定の工夫の余地についても確認します。

また、事情のあるご家族もいますので経済面も確認します。
介護シューズだけでなく、
靴の量販店などで市販されている履物も選択肢に入れられるように
自分の靴を購入する時には
ついでに、代替できる履物がないかぐるっと巡るようにしています。

  ちなみに
  こちらの履物は靴の量販店で見つけました。
  
  2000円台で購入できましたし
  足あたりも柔らかいし、靴底に滑り止めもあります。
  

履物のタイプが決まったら
色やデザインに選択肢がある場合には
カタログをお見せしながら
必ずご本人に希望を尋ねるようにしています。

好きな色、嫌いな色がある方の場合
どんなに必要で有効な履き物であったとしても
「こんな派手な色は嫌!」
「こんな柄は嫌!」
という理由で絶対に履いていただけないこともあります。

「なんでもいいよ」っていう方もいれば
トラブル回避のためだけでなく
「買う楽しみ」の一環としても
選べる場合には選んでいただくようにしています。
 
選択肢のない場合もありますが、
(最近はそういうケースはほとんど遭遇しないものですが)
たいてい、黒などの無地というケースが多いので
お見せする時に、「この靴はこの色とデザインしかないので」とご説明しますし
絶対に嫌ということにはなりにくいようです。

介護シューズは高いので
後から「あっていないので買い直してください」
とは言いにくいものなので事前確認をしっかりするようにしています。

ご家族が新品を購入してくださったけれど
大き過ぎてかえって危ないという時には
よっぽどでなければ
靴ベルト を作って対応したこともあります。

 

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