食事介助の時に
まっすぐに正面を向いて食べるのではなくて
介助者のほうを向くようにして食べている人って案外多い。
でも、これは食べている人の問題ではなくて
介助者の問題。
なぜか?
それは明日。
2月 04 2013
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12月 13 2012
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12月 12 2012
「ムセない=食べ方OK」
なんかじゃないですよ〜。
この話題はもう耳タコかも。ですが
繰り返し言いたい。
喉頭の動きは良好だけど
上唇での取り込みは良くない方
って、実際、ものすっごく多いです。
なんか食べさせにくいけど
ムセはないのよね…というケース。
ムセてないからって
重要視されずにそのまま…となりがちですが
たいていの場合、適切な介助によって取り込みも上達します。
(ホントよ!)
逆に放置しておくと
食事拒否、食塊貯留、ムセ…などの問題が出てきてしまいます。
まだまだ、
「ムセない=食べ方OK」
という誤解が多いようですが
食べ方を観る時には
ムセの有無だけでなく
上唇でのとりこみ、舌の動き、食塊認知
…といった面もチェックしてください。
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6月 20 2012
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6月 14 2012
食事介助において
看護介護職員が重点を置いてみているのは
ムセないかどうか…ということです。
これはとても大切なことです。
でも、ムセなければ食べ方がOKということにはなりません。
ところが、ムセないから大丈夫…という判断が下されがちで、案外、舌の動きが見落とされてしまいがちです。
つまり、ムセないから嚥下は大丈夫、他はわからないけど…ではなくて
ムセないから食べること全般も大丈夫…という判断になってしまう傾向が高いのです。
たいていの施設、病院において
対象者の食べ方の能力よりも高い食形態が選択されがちな傾向があるのは、このような背景があるからではないかと考えています。
食事を介助していれば、口腔内に食塊が残っているかどうか、食塊が残りやすい部位があるのかどうか…ということはわかります。
少なくとも、食事後の口腔ケアの時に、口腔内に食塊が残っていることは確認しているはずなのです。
口の中に食塊が残っている…ということは、舌の動き=本来の意味の咀嚼が不十分なことを意味しています。
それなのに、食形態の変更について検討されていないことが多いようで不思議に思います。
食べこぼしがひどかった方や
食事を食べようとしなかった方
食事中に手を口の中につっこみ手づかみ食べをしていた方が
食形態を落としたことにより、スムーズに食べられるようになった…というケースは枚挙にいとまがありません。
見た目にも美味しくお食事していただきたい…という気持ちはわかりますが
対象者の食べる能力よりも高すぎる食形態の選択は、不適切な環境への不適切な学習をさせてしまうおそれがあります。
「生活リハ」という言葉が誤解されているのではないかと感じています。
むしろ、適切な食形態で十分に「食べる」ことの再学習ができると、1ランク上の食形態でも食べられるようになることのほうが多いのです。
(認知症のある方への「学習」については、誤解されていることが多々あると感じているので、そのことはいずれまた記事にするつもりでいます)
ムセの有無だけではなくて、食べ方をちゃんと把握してほしい。
少なくとも、口腔ケアのときに食塊が残っているという事実に気がついたら、単にその場で口の中をきれいにするということだけではなくて、何が起こっているのか、その事実が示している意味について考えをめぐらせてほしいと思っています。
食事は生命に直結した場面ですし、最後まで残るADLでもあります。
食形態の選択、食事介助の方法の選択が、対象者の「食べる」能力と障害について、適切に把握したうえでの選択になっていきますように…。
心から願っています。
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11月 15 2011
個々の機能を別々にとらえているだけでは
改善へのきっかけがつかみにくくなってしまいます。
遊び食べをする
…という「結果として表面にあらわれている」ことの中には
たとえば
綺麗好きで口のまわりがちょっとでも汚れたり
食べこぼしたものがちょっとでもあると
すぐに手でぬぐおうとしたり
なんとかスプーンですくおうとして
適切に巧みに手指を動かすことができずに
かえって汚れてしまう
最初はその汚れをなんとかしようとしていたのに
いつのまにか、動作の目的を忘れてしまって
同じ動きを繰り返す…という場合もあります。
手遊びするから、とすぐに全介助と対応方法を決めるのではなくて
「何が起こっていたのか」
をきちんと観察することで
綺麗好きであるとか、食べこぼしを気にする人という
能力や特性をとらえることもできるし
上肢の操作性や手指の協調性が低下しているという困難も把握でき
手遊びのきっかけを作らないですむように
汚れたらすぐに介助者がふきとる…とか
食べこぼさないですむように
スプーンや食器やトレーに工夫をしてみる…などという
具体的現実的に対応の工夫ができるようになります。
私たちは
すぐに『どうしたらいいのか』という対応を求めてしまいがちですが
『何が起こっていたのか』という現実の中に
解決へのヒントも含まれているように感じています。
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11月 11 2011
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11月 08 2011
重度の認知症状のある方でも介助だけで食事摂取の様子が変わります。
今までたくさんの方の食べ方が変わるのを目の当たりにしてきました。
舌の不随意運動の激しい方
赤ちゃんのようにちゅうちゅうと吸い込むように食べる方
口のまわりからエプロンまで食塊がびっしりこびりついていた方
なかなか開口してくれない方
どなたも1日1回の食事介助を重ねるだけで食べ方が変わりました。
もっと軽い状態像の方では
コップ1杯のお茶ゼリーの摂取でも変わります。
最初と最後で変わるんです。
過去からの介助という環境への適応の積み重ねが
現在の食べ方なのです。
だから、食事介助という環境をこれから変えていけば
新しい環境に適応して食べ方が変わっていきます。
食事は、対象者の方と私たちとの恊働作業。
その過程を通して
目を見はるほどの能力と特性を知ることができる。
このことを1人でも多くの方に知っていただきたいのです。
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