Tag: 評価

講演@歯科衛生士会

IMG_0446

平成28年11月20日(日)に
小田原合同庁舎で開催された
神奈川県歯科衛生士会湘南支部主催の研修会で
「介助を変えれば食べ方が変わる」というテーマでお話をしてきました。

支部長のFさんはじめみなさまに大変お世話になりました。
どうもありがとうございました。
日本歯科衛生士連盟の会長さんもいらしてくださり光栄です。

開始前から
歯科衛生士会のみなさまが
どなたもとても感じの良い方ばかりで
雰囲気が和気あいあいととても和やかで
私の中に埋もれていた?女子の心が刺激され
最初からウキウキしていました (^^)

初対面の方が多かったのですが
Fさんはじめみなさま、お会いすると自然と私もホワッと笑顔になってしまう方ばかりで
こんな風な感じの良さ、ステキさをどうしたら身につけられるのだろう?
と思ってしまいました。
私も見習いたい!です。

実技は私も楽しかったです (^^)
あちこちで自然発生的にいろいろなディスカッションが始まったり
「腑に落ちた」「わかりやすかった」というご感想をいただけて
とても嬉しく思いました。

私のお話がちょっとでも歯科衛生士のみなさまのお役に立つのであれば
訪問診療先をはじめとした対象者の方のお役に立つことにもなるので
それは私にとっても本当に嬉しいことです。

お招きくださいまして本当にどうもありがとうございました。

始まる前からも終わってからも自然とニコニコしていたよっしーです (^^)
みなさまのおかげです m(_ _)m

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2833

作業療法士だからできる

IMG_0521

私たちには大きな武器があります。

言葉だけに頼らずに「対象」と「場」を活用できます。

最初に言語を中心としたやりとりで「何を」するのか決める「場」を設けることは重要です。
でも、その「場」を言語だけに限定するのは、もったいないです。
それでは認知症のある方に対して不利益にしかなりません。

言語以外の方法で「何を」するのかを
認知症のある方と「相談」し合うことは可能です。
それはおそらく作業療法士が一番の近道にいる職種です。

そういうことができなければ
少なくとも、認知症のある方に対して適切な「活動・参加」を決定できなくなってしまいます。
決定する過程への参加の機会が保証されなくなってしまいます。

それで本当に良いのでしょうか?
認知症だから仕方がないことなのでしょうか?

私は決してそうは思いません。

状態によっては
HDS-R 0/30 点の方でも
「適切な」Activityを「恊働して決定する」ことは可能です。

私は作業療法士として
認知症のある方に対して
他の疾患の方が保証されている決定過程への参加と選択について、
認知症のある方にも同様の権利が保証できるような方法論の1つとして提案します。

言葉だけでは想起できない
絵カードでも再認できない
けれど体験を通してなら再認できる

そのような体験を私はたくさんしています。
それは私が作業療法士だからです。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2831

特性が良い方向に現れるように

IMG_0521

それから
認知症のある方の
特性が良い方向に現れるように
もう一度Act.を再設定します。

この時に特性を「形容詞として詳細に把握」できていると
Act.再設定が容易になります。

「丁寧」と「きっちり」と「慎重」では意味合いが異なります。

仕上がりは、どれもみんな綺麗に仕上がるでしょうけれど
その綺麗さは、何によってもたらされたものかを明確化しておくことが大切です。

Act.には、通常複数の側面があるものです。
認知症のある方の「対象への向き合い方」が最前景となるような側面のAct.の中から
その方にできるものを選択します。

たとえば
丁寧に作業する人には、切り紙
きっちりと作業する人には、メモ帳作り
慎重に作業する人には、三つ編み
など(モチロンこれらは一例に過ぎません)

そうすると
「対象への向き合い方」にピッタリと当てはまった時には
必ずといっていいほど
過去の何らかの関連づけられた体験を想起し言語化されます。

その言葉は大きなヒントになりますから
そのヒントをもとにさらに再設定したり継続したりを最終決定します。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2829

特性をフィードバック

IMG_0521

認知症のある方の
Act.という「対象への向き合い方」をよく観察して
その向き合い方の特性をフィードバックします。

人によって向き合い方は、さまざまです。
早く
たくさん
丁寧に
慎重に
きっちりと
などなど全然異なります。

「手早く為さるんですね」
「もうこんなにたくさんできましたね」
「ていねいに為さったのでとてもよい仕上がりになりましたね」
「間違えないようにとても注意深く為さっていましたね」
「きっちり作られたんでぴしっとできましたね」
などなど。。。

時には
認知症のある方がニコニコして「綺麗ねー」とおっしゃってる時には
私も「わー綺麗。すっごい綺麗。」などと言うこともありますが。

認知症のある方の
「対象への向き合い方」が現れる行動をよく観察する。
認知症のある方の
注意を向けているその向け方に着目して言語化する。

ただ単に
作った、できた、よかった、上手…ではなくて
その過程への向き合い方を理解し、受けとめたということを言葉にして伝えます。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2828

特性を評価:形容詞の詳細化

IMG_0521

認知症のある方へAct.を提供する時には
特性を重要視した選択をします。

まず、こういう傾向のこういうAct.だったら
特性に合致してるし、できるだろうなーという見立てのもとに
ハズレないカンタンにできるものを提供します。

最初から、ぴったりハマるAct.を提供することはないんです。

だって、認知症のある方は
たいていの場合、失敗体験・喪失体験を繰り返し体験されてきて
しかも、多くの場合に、その時に適切な援助を受けられなかったことが多いので
「何かする」とりわけカタチになって結果が明確に残るような手工芸系のAct.には
ものすごく強い不安感を示されて
結果として「何もできない」「わからない」と拒否されることが多いです。

だから、最初のAct.は
その方の特性に沿ったもので
「あら、カンタンにできたわ」「ラクにできた」
と感じられる程度のもの「が」いいんです。

そして、私は
そのAct.を通して評価をします。
「どんな風に」行うのかを観察します。

人によって「どこに」力点をおいた行い方をするのかは異なります。
ひと言で言うなら形容詞の詳細化の過程です。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2824

真贋の見極め

IMG_0944

私が尊敬する群馬大学の岩崎清隆先生が
かつて、機関誌のあとがきで
ある骨董屋さんのお話を書いていらっしゃいました。

「小僧さんには本物しか見せない。
本物だけがもつ品の良さがなんとなくわかってくる」

私がずっと大切にしている言葉です。

本物を知らなければそうでないものとの区別がつかない。
そうでないものしか知らなければ本物の良さがわからない。

本当にそうなのだと思います。

とこや談義のような、評価もどきしか教えてもらったり体験したことがなければ
本当の評価とは何ぞやということがわからない。
評価と評価でないものの区別がつかない。

だから
結果として
巷間取りざたされる事柄をそのまま援用したり
流行している方法論をそのまま適用したりすることしか
できなくなってしまっている。ということはないでしょうか。

でも
それで対象者の方が良くなるはずがないのは当然の帰結です。

評価ができなければ評価ができるようになるしかない。
評価を適切に行えるために情報収集ができるようになるしかない。

そこは
私たちが悩んだり、考えたりするところじゃなくて
行動するところなんです。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2805

衣類選択:構成障害&手続き記憶

IMG_0945

認知症のある方の病状の進行に伴い
更衣が困難になるケースがよくあります。

構成障害が進行すると
ズボンを上衣としてかぶったり
シャツが前後逆だったりすることはよくあります。

でも、そのような場合に全介助しか手だてがないわけではありません。

構成障害があったとしても
衣類の選択に注意深くなることで
能力を発揮しやすくなります。

どんな衣類だったら着ることが容易になるのか
どんな対応をしたら間違いが減るのか
具体的に根拠を明確にして
ご家族や職員に説明することができます。

それは、認知症のある方にとって
大きな助けとなります。

そのような判断ができ援助ができるのは
障害と能力のプロであるリハスタッフとりわけ作業療法士の役目
だと考えています。

一部で
認知症のある方に対して
日常生活のことやBPSDに対しては
介護スタッフに任せて
作業療法士はもっと早期の段階の方への作業的なアプローチをする
というようなことが言われていますが
(もちろん、その面への対応の重要性を否定しているわけではありません)
おかしな話だと感じています。

どんな衣類だったら着ることが容易になるのか
どんな関わりをしたらよいのか

目の前にいる方の
障害と能力と特性を判断できるからこそ
具体的にアドバイスすることが可能となります。

構成障害があっても
構成能力がゼロというわけではありません。

どんな条件であれば可能となるのか

それは残っている構成能力と手続き記憶を活用する
ということになります。

つまり
私たちは、構成障害の有無を確認するのが仕事ではなくて
目の前にいる認知症のある方の暮らしの援助をするために
構成障害の程度ーつまり構成能力を評価することが仕事なのです。
シロかクロか
ではなくて、シロとクロの間に無数にあるグレーの色調を見分けること
それこそが、私たち障害と能力のプロであるリハスタッフだからこそ
判断可能なことであり、また援助への活用について具体的に提案できるのだと
考えています。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2625

食事介助:実践する上での留意点

IMG_0443

口を開けてくれない、ためこんでしまう、ムセがひどい等
ほとんど経口摂取が難しくなってしまい
低栄養、脱水、誤嚥性肺炎、尿路感染などを起こしてしまった方が
もう一度食べられるようになるためには
留意点がいくつかあります。

まず、優先順位を明確にすること

たいていは、体力温存を優先しますが
そこまでの状態でなければ離床継続でも大丈夫です。

嚥下5相の
どこにどんな困難があってどんな能力があるのか
優先して使う能力は何か
その間次善の策としての対応はどうするか

次に
食形態の選択と一口量の選択を行います。

良くなっていく過程は
どんな方でもsensitiveなので
注意深く経過を追います。

体力アップを図る
一口量を上げる
食形態を上げる

それらの設定と実践の担保と確認

これができないと
いったん良くなっても容易に逆戻りしてしまいます。

つまり
きめ細やかな段階付けを行う
ということで
これは他のどんな障害のある方へのリハについてと
何ら変わることがありません。

認知症だからといって
特別なことは何もないのです。

食事介助において
その人らしさ。とか、ナラティブ。の重要性とか
言葉は綺麗ですけど、何を意味しているのか
私にはまったくわかりません。
モチロン、まったく無関係ではありませんが
もっともっと把握すべき重要な事柄が他にたくさんあるのです。

意外に私たちが見落としがちなのは
そして案外実践しそこねているのは
きめ細やかな段階付けを設定する際には
ある程度定着した能力の確認として行うのか
定着不安定な能力のトレーニングとして行うのか
提供者側が明確にしておくことということです。

あくまでも
目の前にいる方と自分との関係性において判断する
そういう心構えが一番大切なのに
誰かが言っているから(とりわけ有名な人が)とか
本に書かれているからとかを根拠に
(それらはとても貴重な知見ですが、鵜呑みにするのは違う)
自分が目の前に起こっていることを見ていない
自分が何をしようとしているのかも明確にしていないままに
言われている、書かれていることを漫然とあてはめているだけのケースが
非常に非常に多く、だからこそうまくいかない、結果が出ないのに
。。。そんなの、うまくいくはずがなくって当たり前。 (^^;
認知症のある方のせい。とされてしまうのは、とても残念で悔しい。

こういうことがEBMではない。です。

正直、
現実を知らないくせにエラそうなことを言ってる人を見ると
「?」とも思いますが
大切なことは現状を否定するのではなくて
現状を改善していくために自分ができることをする。
ということだと考えています。

私たちの側の問題なら
私たちが変わることによって
目の前の現実を変えることができる。

認知症のある方も食べられるようになり
私たちは人間の可能性の凄さの一端に触れることができ
新たな視点と新たな知識と技術を手にすることができる。

挑戦してみませんか?

たぶん、まだお申込受け付けていると思います。
(株)gene「認知症のある方への食べることへの対応」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1460074517-340536

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2574