「知は力なり」
ほんとにそうなんだと思う。
かつて、「無知は力なのか?」
と言いたいような気持ちになったこともあるけど
相手をcontrolするならともかく
相手を援助したいのなら
相手の役に立ちたいのなら
「知は力」
知らないことによる不利益や
しなくて済んだはずの余分な辛さや苦労が
少しでも少なくなるように。。。
知を共有して
良い方向に発揮できるように
力をcontrolする
そんな風になったらいいな
5月 16 2013
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11月 29 2012
以前に食事中の音環境を録音したことがあります。
その結果は、まさに、音声多重放送状態。でした。
こんなに大きく聞こえるとは思わなかった音の筆頭は
スプーンに残った食塊を食器に軽く叩いて落とす音でした。
金属音の高い音でカンカンと響きわたっていました。
配膳者のシャッターを上げ下げする音も
ガガガーッと響きわたっていました。
実際の食事場面では
スプーンを食器で叩く音や配膳者のシャッター音は
まったくといっていいくらい気にならなかった…。
そうなんです。
音が小さかった…のではなくて
音が気にならなかった…に過ぎないのです。
私たち職員は、気にならないでいられる
つまり、無意識のうちに脳の中で
スプーンや配膳者の音は
「気にしない」という取捨選択が為されているのです。
耳は聞いているけれど脳は聞いていないのです。
認知症のある方にとっては、どうなのか…
当事者のクリスティーン・ブライデン氏は
スーパーマーケットなどのにぎやかな場所での音環境を
このように表現しています。
「音の洪水」
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11月 22 2012
今日の午後7時30分からのNHKクローズアップ現代
「“帰れない”認知症高齢者 急増する精神科入院」
を見ました。
NHK ONLINE No.3278
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3278.html
スタッフの部屋
精神科病院の認知症高齢者の現実
http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/100/138605.html
番組の中で紹介されていた取り組みが
厚生労働省がこれからやろうとしていることでもあるのだと思う。
「その場」に行かないとわからないことがある
…というのは本当にそのとおり。
このことについては、改めて書きたいことの1つです。
「作業療法士」が字幕で何度も紹介されていたのも
心強かったです。
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11月 13 2012
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11月 12 2012
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10月 12 2012
昨日の記事の続き。
そのココロは…のココロの巻です (^^)
遠くから指し示した椅子に座れる
…ということは
たくさんのモノの中から
椅子に注意を焦点化することができ
それを覚えていられて
なおかつ、椅子にたどり着いた時に
「座る」という動作を遂行することができる
…という能力があることを表しています。
目的地まで歩く+座る
という同時並行課題ができる
目的地を明確化できる
目的地を忘れずに覚えていられる
…ということです。
目的地の椅子のところまでお連れして
その場で「座る」こと「だけ」を 説明する。
そうすればできる方も大勢いらっしゃいます。
物理的距離の遠近によって
必要とされる能力も異なってくる。
ご本人の能力は必ず任意の環境下で発揮されるものなのですから、環境とペアで語られるべき性質のものです。
そこにこそ、私たちの介入・対応の工夫の余地がある。
ところが、現実には、この部分が あまりにも自覚されていないように感じられてなりません。
「対応の工夫」というモノが
いろいろなところでいろいろに囁かれていますが
結局のところ、『ご本人の能力』と 『対応の工夫』とは、一対のものであって切り離しては語れない。
まず、評価があって、初めて工夫を語ることができるのだと感じています。
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10月 11 2012
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10月 03 2012
私たちが用いる「テストバッテリー」は
通常は「障害」を明らかにするために用いられている。
そして「障害」を軽減するためにリハを行っている。
でも、認知症のある方に対して
「障害」を明らかにするためにテストをしても
効果的な援助には結びつかない。
臨床で必要なのは、
「能力」を把握するための「評価」だから。
その過程において
「障害」を把握することで
「能力」が把握できることはあっても
認知症という病気は
その定義上、不可逆的な進行性の疾患だから
今、既にある「障害」を軽減するためのトレーニングは
できない。
大切なことは
今ある能力を発揮すること。
埋もれていて活用されていない能力を見いだすこと。
そのための「評価」ができるようになること。
「検査」ではなくて。
「認知症は難しい」という言葉をよく聞くけれど
難しいのは「認知症」じゃなくて
「検査」以外の「評価」が難しいんじゃないのかな?
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