昨日までの例で言えば
水分を飲みたがらない…というのは、
こちらの判断であって事実ではない。
事実を確認できる余地がまだあるのに
それをせずに判断してしまっていることって
とても多いように感じています。
事実を確認できるためには観察が必要。
観察できるためには知識が必要。
5月 22 2013
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5月 21 2013
たとえば
水分を飲みたがらない
と言われている方が
実は、飲みたくても飲めない
というようなケースも往々にしてあります。
コップという対象の認知ができない場合もあります。
たいていの施設や病院で使っているコップは
自宅で使うようなガラスのコップでもないし
陶器の湯のみ茶碗でもないからわかりにくいかも。ですね。
また、仮にコップを持って口に運び飲むという
見た目の動作ができても
実は、筋緊張が逆方向に働いていて
結果として飲もうとしているのに飲めない
混乱と不安で動作をやめてしまう
という場合もあります。
水分を飲みたがらない。のではなくて
水分を飲めない。ということを
把握できるかできないかの違いは
その後の対応に大きく影響してしまいます。
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5月 20 2013
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5月 16 2013
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11月 29 2012
以前に食事中の音環境を録音したことがあります。
その結果は、まさに、音声多重放送状態。でした。
こんなに大きく聞こえるとは思わなかった音の筆頭は
スプーンに残った食塊を食器に軽く叩いて落とす音でした。
金属音の高い音でカンカンと響きわたっていました。
配膳者のシャッターを上げ下げする音も
ガガガーッと響きわたっていました。
実際の食事場面では
スプーンを食器で叩く音や配膳者のシャッター音は
まったくといっていいくらい気にならなかった…。
そうなんです。
音が小さかった…のではなくて
音が気にならなかった…に過ぎないのです。
私たち職員は、気にならないでいられる
つまり、無意識のうちに脳の中で
スプーンや配膳者の音は
「気にしない」という取捨選択が為されているのです。
耳は聞いているけれど脳は聞いていないのです。
認知症のある方にとっては、どうなのか…
当事者のクリスティーン・ブライデン氏は
スーパーマーケットなどのにぎやかな場所での音環境を
このように表現しています。
「音の洪水」
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11月 22 2012
今日の午後7時30分からのNHKクローズアップ現代
「“帰れない”認知症高齢者 急増する精神科入院」
を見ました。
NHK ONLINE No.3278
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3278.html
スタッフの部屋
精神科病院の認知症高齢者の現実
http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/100/138605.html
番組の中で紹介されていた取り組みが
厚生労働省がこれからやろうとしていることでもあるのだと思う。
「その場」に行かないとわからないことがある
…というのは本当にそのとおり。
このことについては、改めて書きたいことの1つです。
「作業療法士」が字幕で何度も紹介されていたのも
心強かったです。
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11月 13 2012
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11月 12 2012
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