Tag: 評価

できない情報を集めてもできるようにはならない

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対象が学生でも認知症のある方でも精神科の患者さんでも
その人がどれだけできないか
話のテーマにしている人たちもいるようですが
できない情報をどれだけ集めても
その人ができるようにはならない。
(むしろ、できないことを話題にするほど対象者はできなくなっていく)

その人の能力を見いだし活用する方策を見いだすことで
できるようになっていく。
話題にするならそっちを話題にしないと。

私たちの仕事は診断でも評論でも審判でもない
援助なのだから。

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陥りやすい誤解

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食べない、飲まない、立ち上がらない…etc
そういう状態にある方に対して
結局のところ、どうしたら
食べさせられるか
飲ませられるか
立たせられるか
という視点に立って解決策を考えても
あんまり効果的ではありません。
仮に、その時は良くても
後になって、その他の場面での「介護への抵抗」
というカタチで現れたりすることもあります。

「問題点」が100%解消される解決策を考える
…というのはよくあるパターンですけど(^^;
そうではなくて、今のその方の能力を把握して
今よりも「できる」ことが3割増える方策を考える
適切な方策であれば、3割が5割、5割が7割になっていくものです。

この間、まだ7割問題が残っている…ではなくて
3割増えてよかったね…という視点での
励ましと見守りが必要です。
この時期は行動変容の最中なのですから。

いきなり100%の解決策を求めるような
その方を圧倒してしまうような方策は
見た目「問題解決」に見えるかもですが
結果として、屈服感を感じさせ、能力喪失を印象づけるような体験になってしまっていることが少なくないように感じています。

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薬物療法と同じに

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退院したら
薬物療法を引き継ぐのと同じに
対応の工夫を中心とする非薬物療法を引き継ぐ
両方とも大事。

非薬物療法は
薬物療法と同じように
状態によって変えていく。

薬物療法が明確な意図のもとに処方されるように
非薬物療法だって明確な意図があって然るべき

褒めてあげる・否定しない・不快な原因の排除などなど
そんな抽象的な一般的なことではなくて
Aさんに対してはA’という対応
そして一番大切なことは
A’という対応の意図が明確であること
そのためには評価が必要
認知症のある方の評価だけではなくて
自分自身を含めた状況の評価が必要

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援助と使役は裏表

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わからないのに
聴きもせずに
表面的にActovityを提供するということは
「あなたのためのActovity」ではなくて
私が困らないように何かやってほしいという意図を
暗黙のうちに、でも、明確に
対象者の方に伝えてしまっている
ということなのに。。。

どのレベルであったとしても
Actovityを提供する時には
自分の中で提供するに足る根拠を
明確に言語化できているということ。

最低限、援助として提供するならば。

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率直に聴く

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わからない時には
率直に聴けばよいのだと思う。

「あなたにとって
その場の何が大切なのですか?」

「あなたにとって
その場はどんな場なのですか?」

言葉にして聴くにしても
言葉にならない、もう1つの言葉で聴くにしても

理解したくて聴いたことには
必ず答えてもらえる。

答え方にはいろいろあるけれど。

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生活歴も希望も

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生活歴の聴取も
好きだったことの聴取も
その人を理解するための手段であって
提供する活動に直結するわけではない。

編み物を好きだったからといって
今編み物を提供することが
適切とはいえない。

散歩が好きだったからといって
今散歩を提供することが
適切とはいえない。

編み物のどんな面が
散歩のどんな面が
その人にとっての意味があったのか
その人にとっての意味は何だったのか

そのことをわからずに
見た目だけ提供したって意味は生まれない。

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当たり前のこと

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私たちは対象者を評価するけれど
同じように
いいえ、時にはそれ以上に
対象者自身によって評価されていることを
忘れてはいけないのだと思う。

そのことも含めて
私たちは自分のレベル以上のことは
わからない

その時その場のその関係性において
起こったことの意味を
どれだけ自分がわかるか

まずは、そっちが大事なんだと思う。

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「ねぇ!」

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言語表現力が限定していて
自分の気持ちや考えを伝える能力が限られている

つまり、「使える言葉」が限定していたとしたら

たとえば、
「使える言葉」が「ねぇ!」だけだったとしたら

「ねぇ」と呼びかけて即応してもらえなかったとしたら

呼びかけ続けようとして
「ねぇ」という言葉を
だんだん大きな声で
繰り返し言うことになってしまうのかも

他の言葉が使えないのであれば
できることは
より大きな声で
繰り返すことが表現手段になるのかも

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