Tag: 評価

何が起こっていたのか

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短期記憶が著明に低下している方は
座ってと言われた瞬間は理解できているけれど
いざ、座ろうとして身体の向きを変えて
視界からイスが見えなくなったら
イスの存在を「忘れてしまう」
動作誘導をされた時には
座るためにしゃがむんだ…ということを
「忘れている」ので
動作誘導が動作誘導として理解されずに
「押される」として受けとめてしまいます。

そしたら、当然嫌がりますよね。
ひっくり返りそうで怖いですもの。

ところが、このような場面を
介助者がどのように受けとめるかというと…

続きはまた明日!

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観察から症状を見いだす

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認知症のある方の症状が
どんな風に暮らしの困難となって現れているのか
介助者が本当にはわかっていないことによって
悪循環になってしまっていることって
すごくたくさんあります。

症状そのものは知っている
目の前に起こっていることは見えている
でも、起こっていることと症状とを
結びつけて考えることができない。という…

たとえば
「イスに座って」と声をかけたら
「はい」って言われたのに
座っていただくために動作誘導をしたら
突然怒り出してしまった。とか。

さて、何が起こっていたのでしょうか?
続きは明日!

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嬉しかったなぁ。。。

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先日、あるところで講演をしてきました。
要旨としては
日々の暮らしの困難を
ひとつひとつ
その時その場のその関係性において
対応を工夫していくこと
その時の対応のポイントは
その人の能力をいかに見い出し活用できるか
ということを体験談を通してお話しました。

最後に施設長さんがおっしゃった
「個別ケアというのは
ユニットにすることでもなくて
真新しい流行のことをすることでもなくて
三大ケアといわれる日々のケアを深めていく。
それが個別ケアの王道だろう。
そのために勉強が必要なんだ。」
というお言葉がとても嬉しかったです。

私がお話したのは
食事介助と声かけについて
ごく普通のありきたりの場面です。

非日常の楽しさもいいけど
日々の暮らしの困難が
とりわけ余分な困難が
ちょっとでも減ることに寄与できるなら
それは私にとって
とてもとても嬉しいことです。

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暮らしの困難の凸凹

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認知症のある方とご家族が抱える暮らしの困難は
今までしたことがないことをしてしまう凸と
今までできていたことができなくなる凹がある。

たとえば
怒りっぽくなったという凸と
服薬管理ができなくなったという凹と

怒りっぽくなったという凸は
よくよく確認すると
実は、今までできていたことがわからなくなった
という凹に由来するものだったりすることってよくある。

怒りっぽくなった
という表面だけ観て「対策」を考えたりすると
悪循環に陥ってしまうように感じています。

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できない情報を集めてもできるようにはならない

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対象が学生でも認知症のある方でも精神科の患者さんでも
その人がどれだけできないか
話のテーマにしている人たちもいるようですが
できない情報をどれだけ集めても
その人ができるようにはならない。
(むしろ、できないことを話題にするほど対象者はできなくなっていく)

その人の能力を見いだし活用する方策を見いだすことで
できるようになっていく。
話題にするならそっちを話題にしないと。

私たちの仕事は診断でも評論でも審判でもない
援助なのだから。

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陥りやすい誤解

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食べない、飲まない、立ち上がらない…etc
そういう状態にある方に対して
結局のところ、どうしたら
食べさせられるか
飲ませられるか
立たせられるか
という視点に立って解決策を考えても
あんまり効果的ではありません。
仮に、その時は良くても
後になって、その他の場面での「介護への抵抗」
というカタチで現れたりすることもあります。

「問題点」が100%解消される解決策を考える
…というのはよくあるパターンですけど(^^;
そうではなくて、今のその方の能力を把握して
今よりも「できる」ことが3割増える方策を考える
適切な方策であれば、3割が5割、5割が7割になっていくものです。

この間、まだ7割問題が残っている…ではなくて
3割増えてよかったね…という視点での
励ましと見守りが必要です。
この時期は行動変容の最中なのですから。

いきなり100%の解決策を求めるような
その方を圧倒してしまうような方策は
見た目「問題解決」に見えるかもですが
結果として、屈服感を感じさせ、能力喪失を印象づけるような体験になってしまっていることが少なくないように感じています。

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薬物療法と同じに

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退院したら
薬物療法を引き継ぐのと同じに
対応の工夫を中心とする非薬物療法を引き継ぐ
両方とも大事。

非薬物療法は
薬物療法と同じように
状態によって変えていく。

薬物療法が明確な意図のもとに処方されるように
非薬物療法だって明確な意図があって然るべき

褒めてあげる・否定しない・不快な原因の排除などなど
そんな抽象的な一般的なことではなくて
Aさんに対してはA’という対応
そして一番大切なことは
A’という対応の意図が明確であること
そのためには評価が必要
認知症のある方の評価だけではなくて
自分自身を含めた状況の評価が必要

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援助と使役は裏表

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わからないのに
聴きもせずに
表面的にActovityを提供するということは
「あなたのためのActovity」ではなくて
私が困らないように何かやってほしいという意図を
暗黙のうちに、でも、明確に
対象者の方に伝えてしまっている
ということなのに。。。

どのレベルであったとしても
Actovityを提供する時には
自分の中で提供するに足る根拠を
明確に言語化できているということ。

最低限、援助として提供するならば。

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