Tag: 環境適応

“ 聞いたことは忘れる ”
“ 見たことは思い出す ”
“ 体験したことは理解する ”
〜 ボストン学びの道より 〜
ある自然科学館に立ち寄った時に記されていた言葉です。
原典は調べたけれどわかりません。
イギリスの古い諺とか孔子の言葉とか諸説あるようですし
もう1行
“ 発見したことは活用できる ”
という言葉が追加されていることもあるようです。
私がこの言葉に初めて出会った時に思ったことは
実習指導についてでした。
そして、今
実習指導についてだけでなくて
認知症のある方の対応についても
通じる言葉だと感じています。
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もしかしたら
今はとてもそんな風には思えない
…という人もいるかも。ですが
状況は必ず変わります。
チャンスは必ず巡ってくる。
だから
巡ってきたチャンスをチャンスとして気づけるように
巡ってきたチャンスを最大限活かせるように
何も変化のない日常は
辛いだけの日々かもしれないけれど
いつか来るチャンスに備えて
腕を磨くことを怠らずに
空に向かって飛び上がる時には
一度は地面にしゃがみこむもの。
雌伏の時を最大限活かしてほしい。
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最近多いなぁ…って感じるのが
上唇での取り込みが十分に機能していなくて
食塊を結果的に押し出してしまうので
スプーンから食塊がこぼれ落ちてしまったり
1回量が少なくなってしまったり
咬合不全を起こしていたり
そのような方でも
適切に介助すれば
だんだん上唇で取り込めるようになってきます。
適切に介助されないために
もっている能力を発揮できないだけでなく
不適切な介助に適応できるからこそ
結果として食べ方が不適切なパターンになってしまう
そんなの本当にもったいない。
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「ムセない=食べ方OK」
なんかじゃないですよ〜。
この話題はもう耳タコかも。ですが
繰り返し言いたい。
喉頭の動きは良好だけど
上唇での取り込みは良くない方
って、実際、ものすっごく多いです。
なんか食べさせにくいけど
ムセはないのよね…というケース。
ムセてないからって
重要視されずにそのまま…となりがちですが
たいていの場合、適切な介助によって取り込みも上達します。
(ホントよ!)
逆に放置しておくと
食事拒否、食塊貯留、ムセ…などの問題が出てきてしまいます。
まだまだ、
「ムセない=食べ方OK」
という誤解が多いようですが
食べ方を観る時には
ムセの有無だけでなく
上唇でのとりこみ、舌の動き、食塊認知
…といった面もチェックしてください。
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階段の怖さについては
当事者のクリスティーン・ブライデン氏も語っています。
下り階段を眼では見ていても
階段と認知しづらかったり
その逆に
上り階段を眼では見ていても
階段と認知しづらかったり
私たちが自覚できるのは
眼で見ている情報ではなくて
既に「階段」と認知した情報でしかない。
そんな時に写真に撮ってみるのもひとつのテ。
情報を取捨選択しないで
ありのままに録音し
ありのままに撮影する
機械を通してみてみると
私たちの「判断」というフィルターを
通さない環境を知ることに
ちょっと近づくことができるかもしれません。
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以前に食事中の音環境を録音したことがあります。
その結果は、まさに、音声多重放送状態。でした。
こんなに大きく聞こえるとは思わなかった音の筆頭は
スプーンに残った食塊を食器に軽く叩いて落とす音でした。
金属音の高い音でカンカンと響きわたっていました。
配膳者のシャッターを上げ下げする音も
ガガガーッと響きわたっていました。
実際の食事場面では
スプーンを食器で叩く音や配膳者のシャッター音は
まったくといっていいくらい気にならなかった…。
そうなんです。
音が小さかった…のではなくて
音が気にならなかった…に過ぎないのです。
私たち職員は、気にならないでいられる
つまり、無意識のうちに脳の中で
スプーンや配膳者の音は
「気にしない」という取捨選択が為されているのです。
耳は聞いているけれど脳は聞いていないのです。
認知症のある方にとっては、どうなのか…
当事者のクリスティーン・ブライデン氏は
スーパーマーケットなどのにぎやかな場所での音環境を
このように表現しています。
「音の洪水」
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私たちは
感知した情報をそのまま認知しているわけではない。
「見た」と認識した時点で
すでに「見たい」もの「見よう」としていたものを
無自覚のうちに取捨選択されたものを見ているし
「聞きたい」もの「聞こう」としていたものを
無自覚のうちに取捨選択されたものを聞いている。
そういう前提条件を自覚していないと
認知症のある方にとっての
視聴覚環境の把握を見落としたり歪めてしまうことにすら
なりかねない…と感じています。
明日はその補足説明をします。
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「もっと時間があれば患者さん利用者さんと関われるのに」
そう言うギョーカイの人にたくさん会ってきました。
でも
そう言う人に限って
本当に時間のある時に
患者さん利用者さんと関わる人はいないのです(^^;
今できないことを
状況のせいにしてはいけない
たとえ
どんな状況だったとしても
置かれた状況の中で最善を尽くすしかない
そういう過程を経てこそ
状況が変わった時に、もてる能力を発揮できるのだと思う。
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