Tag: 環境適応

意図した目的の答えではない答えから
ホントのことがわかるヒントになったりする。
そういうスキマ情報って
とっても大切。
直接的な答えだけではなく
間接的な「情報」を積み重ねていくと
ご家族の人となりや暮らしぶりや
医療・保健・福祉サービス提供者との関係性が
かいま見られることって多々あります。
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ご自宅に帰る方なら
家族評価は大事
直接的な言葉のやりとりだけではなく
OTは変化球を投げられるから
能力と困難と特性の情報を積み重ねやすい
ないものねだりはできない
対象者の方だけでなく
ご家族に対しても言えること
ご家族ができること
得意なパターンの把握は援助に役立つし
困難の把握は批判するためではなくて
ご家族の困難を補うために必要
変化球も投げられる
OTのこの特性を活用できると
とても有効だと感じています。
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ずいぶん前に
誰かに教えてもらったか
何かで読んだ言葉です。
「わかる」には段階がある
最初は
起こっていることを説明されればわかる
次に
起こっていることを説明できるようになる
それから
起こることを予測できるようになる
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OTとして、退院支援には積極的に関わっています。
心がけていることは
退院させるのではなく
退院後の暮らしの支援をするのだということ。です。
ご自宅に帰る方も
もといた施設に戻られる方もいらっしゃいます。
それぞれの場でよぶんな困難がなく
暮らせるように。。。
退院先での暮らしの支援
OTにはそれができると思うし
また、必要とされていることでもあると思うのです。
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私の考え方の基本です。
食事介助でも
移動介助でも
声かけでも
「修正しない・改善しないで援助する」
つまり、「直すな助けろ」
修正する・改善する…ということは
あるべき像から現状をマイナスで見る
今じゃいけない…という視点に立っていることです。
援助する…ということは
現状を否定しないという視点に立っています。
今でいい。
でも今よりラクにできたらもっといい。
今よりもっとできたらさらにいい。
極論に聞こえるかもですが
身体のはたらきには、その人の歴史が集約されていると考えています。
(後日、説明しますね)
そう考えたら、修正なんてできないです。
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立てない… 足で身体を支えられない方も少なくありません。
特に、もともと認知症があって骨折して手術して
…という場合。
(中には、自主トレとして歩けてしまう方もおられますが)
「認知症」という診断名があると
「歩かせないと歩けなくなるから歩かせろ」
という考え方があるらしく?
立てないのに歩行練習をおこなう
…というケースによく遭遇します。
でも、認知症があろうとなかろうと
立てない、下肢で自重を支えられないのですから
身体的な理由で歩けるようにはなりません。。。
「立つ」練習が大切なんです。
認知症という診断名があっても
「立つ」練習が可能な方はたくさんいらっしゃいます。
続きは明日。。。
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精神科医の中井久夫の言葉です。
本当にその通りだと思う。
もちろん、中井久夫は統合失調症のある方を念頭において言った言葉だと思うけれど普遍的な意味をもっている言葉だと思います。
「困る」ってことはいいことなんだよ。
困れる…ということは。
今までのやり方では通用しないからこそ
違うやり方が要請される。
それはまさしくRe-Habilis
対象者の方だけでなく
自分自身に対しても
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本来、検討する…というのは
具体的に考える…ということだと思うのだけれど
認知症のある方へのケアやリハにおいて
抽象論的なレベルにとどまり
だからこそ声高に叫んだり
共感して盛り上がったりもするのだろうと思うのだけれど
なんだかなぁ…と思ってしまうのです。
目の前の現実を
小さな困難であったとしても
1つずつ改善することが
望まれていることだと思うし
明日の私たちにできることだと思う。
「優しく不快のないように対応します」
と宣言することよりも
まずは、今日、この晩ご飯を
食べやすく介助できる。
宣言するよりもそっちのほうが先じゃないかな。
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