Tag: 環境適応

認知症のある方にどう対応したらよいのか
万人に通用するような唯一絶対の答え
というものはあり得ません。
答えが1つというのは。。。
その時その場のその関係性においては
答えは1つしかないんです。
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今日はすっごい嬉しかったです!
ある病棟の看護師さんから
「どう食事介助したらいいか見てほしい」と言われ
モロモロ提案してから1週間。。。
2回目の再評価に伺いました。
全然違ってた!
私は提案しただけで直接関わってないのに
わずか1週間でこんなに変わるということは
関わるスタッフの方々が
どれだけ頑張られたか。。。
そして、ご本人がどれだけ頑張られたか。。。
すっごく伝わってきて胸が熱くなりました。
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認知症のある方の評価を
イメージで伝えるとしたら
山を登るように…とも言えると思う。
いきなり頂上にはたどり着けない。
3合目、5合目、7合目…
一歩一歩歩き進めるしかない。
歩くしかないけど
歩いた分は着実に先に進めているし
振り返れば、登ったことを実感できる。
山を登る時には
準備も知識も必要だし
歩きながら見える風景も
同じ山でも同じではない。
けれど、まったく違うというわけでもない。
当然
道のないところは歩かないから
知らない風景だってたくさんある。
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認知症のあるAさんに
どんな風に関わったらよいのか
もちろん
Aさんの体調によって
また場面の優先性によって
異なることはあるでしょうが
おおまかな方向性は言えると思う。
なぜAさんにとって
そのような関わり方が適切なのか
根拠を説明できることが必要だと思う。
その根拠は
倫理や道徳面ではなくて
(必要ないと言っているのではありません)
Aさんの能力と障害と特性によって説明でき
実際のAさんの生活障害の改善によって証明される
ものだと考えています。
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今の他部門のリハ関連の知識って
えぇ〜?って思う時もある。
でも、それって過去の私たちが他部門に伝えてきたことが
現在の他部門に定着しているんだと思う。
他部門はちゃんと伝達してくれているんだよね。
だから
今、私たちがえぇ〜?って思ったとしても
それは過去の私たちの限界でもあったのだと思う。
そういうことを忘れちゃいけないと思うし
逆に言えば
今の私たちの努力が
未来の他部門の知識に結びついていくのだと思う。
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私たちはどうしても言葉の能力に重きを置きがちです。
会話が巧みにできると
その他の記憶や遂行機能も得てして実情よりも高く見積もりがちです。
その反対に
会話が困難だと記憶や遂行機能や判断力も
低下しているように思い込みがちです。
アルツハイマー型認知症のある方はもちろんですが
若年性認知症のある方や
前頭側頭型認知症のある方は
能力と障害のバラツキがもっと顕著です。
言葉は言葉として尊重しながらも
もう1つの行動という言葉にも
耳を傾ける必要があることを感じています。
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私は、食事にはリキ入れています。
重度の認知症のある方に対して
面会に来られるご家族ができることが
好きな食べ物を食べさせてあげる
…ということに限定されることも少なくありません。
作業療法士の私としては
食べること以外で
認知症のある方とご家族の方とのやりとりを
助けるようなコトをみつけられるようになりたい
と思う一方で
だからこそ、できるだけ長く経口摂取が続けられるように
そのためにも食事を大切にしたい
と考えています。
4月6日(日)の合同会社geneさん主催のセミナーでも
今日の小田原OT勉強会でも
たくさんの方が食事介助のスプーン操作について
熱心に体験してくださったことに深く感謝いたします。
1人でも多くの方が
より長くより快適に食べられるように
心から願っています。
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大声とか暴言とか介護抵抗とか
いろいろなBPSDとしての「名前」があるけど
いったん名前をつけちゃうと
その名前って一人歩きを始めちゃう。
名前があっても
「状況」や「人」がかすんでしまう。
場面や相互作用から名前だけをきりとって
名前だけを呼びかける。
名前は便利だけど必要だけど
名前にしばられて見誤ることだってある。
名前をちょっと横に置く。
そこから見えることもある。
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