Tag: 環境適応
認知症のある方への対応について
倫理や道徳や時には優しさや愛として語られることがあるけど
認知症は脳の病気によって暮らしの困難が引き起こされるので
知識と技術で語るべき事柄だと考えています。
モチロン、対人援助職としての在り方を否定するものではなく
むしろ、対人援助職として在ろうとすればするほど
知識と技術が要請されると思うけど。
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PTの人は身体のプロで
動作分析をして運動学習を促していく仕事をしてる。
認知症という脳の病気によって引き起こされる
慢性・進行性の障害に対して
疾患と障害の知識を手に入れれば
「行動」というもう1つの言葉で
認知症のある方とコミュニケーションをして
行動変容を促せるんじゃないかとも思う。
「行動」はウソをつかない雄弁なもう1つの言葉
基本的な行動観察と分析と対応という思考回路をもっているから
ただ認知症を引き起こす疾患と障害の知識を
手に入れればすごく変わってくると思う。
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能力を観る。。。というのは
単に「これができた」「あれもできた」ということではなくて
できかたを観る。。。ということ
できかたを具体的に観ることができれば
今、ここの環境、この場面設定ではできるけれど
違う環境、異なる場面設定では
できないことも予測できるということ
少なくとも、その幅を予測できるということ
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小さなループであってもいいから
その人が環境を感知し認識し意図し働きかける
そのループがループとして完結するように
たとえ、大きなループであっても
こちらの意図に従わせているだけでは
その人のループではないもの。
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認知症のある方は
場合によって
自分の言いたいことをそのまま言葉で表現するのが
難しくなる時もあります。
言いたいことを言えない
言おうとは思っていないことを言ってしまう
とっさに取り繕ってしまう。。。etc.etc.
でも身体はウソつかない。
逆に言えば
身体を通してコミュニケーションの道もある。
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その場の会話の理解が良かったり
言葉で意思表示が明確にできると
記憶や遂行機能も保たれていると誤解されがちです。
ソレはソレ
コレはコレ
言語理解力や言語表現力はソレとして
記憶は記憶
遂行機能は遂行機能として
評価しないと適切な対応ができなくて
結局そのツケは
認知症のある方が払うことになってしまいかねません。
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知識がなければ
今、何が起こっているのかわからない
ということすらわからない。
知識を適合するための技術がなければ
今、目の前で困っている人の
役に立ったかどうかの吟味すらできない。
知識と技術は
こうすればあぁなる
というものではなくて
もっと有機的なモノ
ヤマほどあるハウツーではなくて
もっと相互関係的なモノ
相手にも自分にも
変容が訪れるモノ
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時には力づくもあるでしょうけど
力づくで解決「できている」うちに
力づくでなくても解決できる方策を考える。
今が将来に積み重なる。
起こったことは消えてなくなることはない。
たとえ、脳は忘れても身体は覚えている。
最初仕方なくしていたことが
慣れてラク打つようになると
そのツケは、〇年後の本人と周囲の人が払うことになる。
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