歌い方にも人柄があらわれる。
同じ「星影のワルツ」でも
人によって、熱唱する方もいるし
人によって、そっとささやくように歌う方もいる。
すっごく繊細なんだ。
だからこそ怒ることも多いんだ。
そういうことの一面がわかったりもする。
7月 03 2015
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6月 19 2015
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6月 02 2015
気持ちだけでは何もできない。
根拠がなければ意味を伝えられない。
クリームパスタをコーヒーゼリーにつけてしまう。
否定するのでもなく、笑って受け入れるのでもなく
(一見正反対のように見えて同じことが違う形で起こっているだけ)
認知症のある方が「そうする必然」を考える。
(「そうする原因」があるのではなくて)
今、表面に起こっている現実だけを見るのではなく
結果として起こっている現実の中に
認知症のある方の障害も能力も現れている。
私たち、障害と能力のプロである作業療法士が寄与できるのは
まさにこの部分にあり、何よりも一番の強みであると考えています。
でも、作業療法士であれば誰でもできるとは思わないし
作業療法士でなければ他の職種の人にはできないとは思わない。
ただ、作業療法士が一番近道にいるとは思っています。
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5月 29 2015
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5月 28 2015
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5月 22 2015
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5月 21 2015
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5月 14 2015
人間関係において「原因」なんてないと考えています。
そうする、そうなる「必然」はあるし
モノゴトが表面化するに至る「きっかけ」はあったとしても。
これって、まさしく ICF に依って立つ考え方だと思う。
だけど、多くの場合に多くの人は未だ ICIDH に拘泥してる。
認知症のある方の生活障害やBPSDには
不安などの何らかの原因があるから起こるので
原因を探索し改善しましょう。。。とはよく聞く言葉ですが
これって、まさしくICIDHの考え方です。
生活障害やBPSDが起こっている「場」において
何が起こっているのか見いだすことの方が
よっぽど重要で必要で効果的です。
そのためには知識が必要
知識がなければ「見れども観えず」なんです。
同じ場面でも
見る人によって観えることと観えないことが違ってくる。
そして、そのことに
観える人は気がつけても
観えない人には違うということすら、わからない。
つまり
認知症のある方だけの「問題」ではなくて
私たちの「課題」でもあるのです。
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