Tag: リハビリテーション

衣類選択:構成障害&手続き記憶

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認知症のある方の病状の進行に伴い
更衣が困難になるケースがよくあります。

構成障害が進行すると
ズボンを上衣としてかぶったり
シャツが前後逆だったりすることはよくあります。

でも、そのような場合に全介助しか手だてがないわけではありません。

構成障害があったとしても
衣類の選択に注意深くなることで
能力を発揮しやすくなります。

どんな衣類だったら着ることが容易になるのか
どんな対応をしたら間違いが減るのか
具体的に根拠を明確にして
ご家族や職員に説明することができます。

それは、認知症のある方にとって
大きな助けとなります。

そのような判断ができ援助ができるのは
障害と能力のプロであるリハスタッフとりわけ作業療法士の役目
だと考えています。

一部で
認知症のある方に対して
日常生活のことやBPSDに対しては
介護スタッフに任せて
作業療法士はもっと早期の段階の方への作業的なアプローチをする
というようなことが言われていますが
(もちろん、その面への対応の重要性を否定しているわけではありません)
おかしな話だと感じています。

どんな衣類だったら着ることが容易になるのか
どんな関わりをしたらよいのか

目の前にいる方の
障害と能力と特性を判断できるからこそ
具体的にアドバイスすることが可能となります。

構成障害があっても
構成能力がゼロというわけではありません。

どんな条件であれば可能となるのか

それは残っている構成能力と手続き記憶を活用する
ということになります。

つまり
私たちは、構成障害の有無を確認するのが仕事ではなくて
目の前にいる認知症のある方の暮らしの援助をするために
構成障害の程度ーつまり構成能力を評価することが仕事なのです。
シロかクロか
ではなくて、シロとクロの間に無数にあるグレーの色調を見分けること
それこそが、私たち障害と能力のプロであるリハスタッフだからこそ
判断可能なことであり、また援助への活用について具体的に提案できるのだと
考えています。

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現場における作業療法という問い

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Occupational Therapy を日本語で 作業療法 と言います。
でも、とても誤解がある言葉でもあります。

作業=手工芸ではありません。
作業=楽しみでもありません。
それらは、本来の作業の一部にしか過ぎません。

ある作業療法士は
ADL>労働>余暇という優先順位がある
と言っていましたが
まさしく、このことを私は自分自身の身をもって痛感しました。

実は私は、昨年、座骨神経痛を発症し一時期休職するほどの状態でした。
寝返りできず、座っていられず、間欠性跛行著明で5M連続歩行困難な状態でした。
私は映画を観るのが大好きですが
その時には映画のえの字も思い浮かびませんでした。
まず、座って食事ができる、仰向けで眠れる、寝返りができる
これらのことができるようになった時には本当に嬉しかったことを覚えています。
毎日暮らすことが必死でした。
生活がかかっていますから、仕事のことは気にはなりますけど
それどころじゃなかったというのが本当のところです。
職場復帰して少し慣れた頃から映画のCMを見た時に
あぁ、映画観たいなぁと感じるようになり
その時になって、あぁこんなことを感じることができるようになったんだ
と思ったものです。

作業療法士だからと言って
手工芸や楽しみという視点からだけ、治療や評価を考えるのは
occupation の枠組みを自ら狭めてしまう恐れがありますし
解決・改善できるはずの対象者の暮らしの困難に対処せずに
手工芸や楽しみという視点で実践することしかできないとしたら
対人援助職の在り方として適切なのでしょうか?

このあたり、現場では大きな深い混乱が生じているように感じられてなりません。

認知症のある方に対して
どう対応してよいかわからない。という声をよく聞きますが
そのような場合には、本当は評価ができていない。
どう評価してよいかわかっていないのです。
評価できていないから、どうしたらよいのか、わからない。
対応つまり治療がわからないのではなくて、評価の問題なのです。
でも、なぜか、問いのカタチとしては、評価の問題が出てこない。

作業療法についても同じコトが違うカタチで現れているように感じられてなりません。

作業をどう提供するか、作業とは何か
というカタチでいろいろなコトが言われていますが
結局は作業療法士として、どう評価するか曖昧なことが本質の問題なのではないか。

私たちは自分自身の問題でありながら
問いのカタチを取り違えている。
だからコタエを掴み損ねている。
今本当に必要なことはコタエの模索ではなくて、問いをもう一度問い直すこと
なのではないでしょうか。

そして、なぜ、問いのカタチを取り違えてしまってきたのか
なぜ、そのことに自覚がないのか
そこにも、根深い問題があるように感じています。

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第23回日精看専門学術集会でお話をします

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平成28年11月26日(土)27(日)新潟朱鷺メッセにて開催される
第23回日本精神科看護専門学術集会で
《実践セミナー》【認知症看護】作業療法士から学ぶ技(ワザ)
「食事介助を変えれば食べ方が変わる」
のプログラムでお話をさせていただきます。

一般社団法人日本精神科看護協会 http://www.jpna.jp
第23回日本精神科看護専門学術集会 http://jpna-gakujutsu.jp/senmon/

今後、精神科病院に入院する認知症のある方は
重度化・障害の複合化というように、より困難なケースが増えることが想定されます。
そのような方の食事介助というのは非常に大変です。
職員も大変ですが、認知症のある方ご本人も大変です。
本来、楽しみであるはずの食べることが苦痛・困難になってしまうのは
認知症のある方ご本人にとっても、美味しく食べていただきたいと願っている職員にとっても
辛く哀しいことです。

でも、そのような困難を改善することは可能です。

認知症のある方の食べることを援助することができるようになるためには
「食べる」ことと「認知症」についての両方の知識が必要です。

誤嚥性肺炎を再燃させず、CRPも陰性化したままでもう一度食べられるようになる
ムセっぽくなってしまった方がムセずに食べられるようになる
口腔内にためこんでいた方がスムーズに食べられるようになる
舌でスプーンを押し出してしまって、なかなか食べられずにいた方がスムーズに食べられるようになる
コップ1杯のお茶ゼリーを40分かかってやっと摂取していた方が5分で摂取できるようになる
125ccのペムパルという栄養補助食品1本を40分かかってやっと摂取していた方が20分でソフト食1人前を食べられるようになる

これらは本当に起こっていることなのです。

嚥下5相をどのように介助に活かし
どのように介助を考えるのか
その考え方を事例を提示することでお伝えします。
《実践セミナー》ですので、実際にスプーン操作のデモンストレーションも考えています。

経口から安全に円滑に早く食べられるようになることは
認知症のある方にとっても
ご家族の方にとっても
職員にとっても
とても大切なことです。

そして私たちは、「食べることの援助」の実践を通して
食べさせる(使役)ことと食べることの援助(援助)の違いを体験することができます。
その体験はメタ認識を通して他の援助場面での自分自身の実践の振り返りと
もう一段深い視点による実践を否応もなく問い返してきてくれます。

認知症のある方に寄り添ったケアとは何か
尊重と迎合の違いは何か

問いも答えも
私たち自身の実践の中にある

それを教えてくれるのは
目の前にいる認知症のある方なのだということを

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OTRがOTRとして寄与する

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他の多職種との連携を考える時に大切なことは
作業療法士なんだから作業療法士として寄与する
ということだと考えています。

作業療法士のあるあるな傾向として (^^;
「心身両面をみられる」
「個別性をみられる」
ということを
抽象的・総論的・一般的にはアピールしても
個々の具体例に関して、とたんに逃げ腰になるという。。。(^^;
そしてその理由が
「こうすればいいというのはない」
「100人いれば100通りある」というありがちな逃げ口上で (^^;
だとしたら、
どう考えたらよいのか、
その考え方の道筋を提示すべきだと思うけど
明確に言語化している人の話を聞いたことがない。
その時の逃げ口上がまたあるあるな
「作業療法を説明するのは難しい」という。。。 (^^;

もうそろそろ、そういう自己欺瞞から卒業しませんか?

作業療法が技術である以上、
どうしても言語化できない部分って
確かに存在します。
「技」だから。

だけど、
言語化=明確化であり、
言語化=伝達可能化・再現可能化でもあります。

作業療法と作業療法士が
この日本に言葉として、つまり概念と実存を併せ持った存在として
誕生して50年

本当にこの先、
作業療法士として対象者の心身の健康増進に寄与できる
ということをアピールしたいと考えるなら
一人ひとりが自分のしていることを
明確に言語化するという不断の努力から始めないと
「口先OT」「抽象OT」と思われ
現実に具体的な場面では相談できない
と思われちゃうかも。

これから先は地域が主体となってくる。
いろいろな職種との連携が求められるようになってくる。

時には職種を超えての実践が要請されることだってあるでしょう。
そういう時って連携している職種が少ない時だったりする
実働部隊としてのメンバーが限定されていたりする

臨機応変に優先課題を判断して動くことが求められる時もある。

でも、本当に多くの職種が集まった時には
必ず「あなたは誰?」「あなたは何ができるの?」と尋ねられる
そしてできることを「言う」のではなく、実践「する」ことが求められる。

その時に職種として
作業療法士が求められる職種であるか
作業療法士として寄与できる職種であるか
作業療法士であるあなたができることをしてみせられる
という真価が問われるようになる。
そんな日はもうすぐそこまで来ている。

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言語化=明確化

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認知症のある方への対応や
お年寄りの生活支援に関して
いろいろなところでお話させていただく機会があり
本当にありがたく思っています。

時にはアンケートも拝見しますが
「認知症のある方の見方が変わった」
「今までの自分を反省した」
「がんばって勉強しようと思った」
という感想が書かれていると
本当に嬉しく、お話してよかった…と思います。

それは
認知症のある方への可能性について思いを馳せるからこそ
出た言葉であり
同時に
自分自身への可能性を信じるからこそ、出た言葉だからです。

がんばってほしい。

対人援助職は技術職だから
トレーニングの積み重ねで習得できる部分がすごく多いんです。

その1つに言語化があります。

言語化の過程は明確化の過程です。

これはもう、今すぐにたった一人でも心がけ次第でできる部分です。
でも。というか、だから。というか
実はあまり為されていない部分でもあります (^^;

よーくよく聞くのが
「言語化するのが苦手だから」
「言葉で説明するのが苦手だから」

ブブー!

本当は言語化が苦手じゃなくて
本当は明確にわかっていない。ということを
自分で言ってるんですよー。
そういう恥ずかしいことを人前で言うのはやめましょうねー。
プロなんだから (^^;

でも
そうやって現状を自覚できるのが第一歩。

「作業療法は説明するのが難しいから」
「作業療法士じゃないとわかってもらえない」
なーんて、したり顔で言っている人はそのままうっちゃって
さっさと言語化できるようにトレーニングしていきましょう!

いろんなトレーニングがあると思うけど
手っ取り早く、今すぐにもできるのは
ポジショニングでも食事介助でも自主トレでも
何でもいいけど、対象者に関することで
誰か他者に提示する情報について
一度言語化してみる。
そしてその言語化したものを
(最初は紙に書き出す、プリントアウトする等
「外」に出した方がやりやすいと思います)
言語化された通りに自分でやってみる
(ここで大切なことは書かれていないことは決して行わないこと)
そうすると、「あれ?」「ここはどうするの?」という
部分に気がつくことができるから
(そこは自分で何となくしていた部分なので言語化できない)
その部分の言語化に挑戦する
こういった繰り返しが大切です。

こういう具体的な個々の場面で
自分の中での言語化を繰り返し実践する
こういった不断の努力をしておくことで
「作業療法とは何か?」
「Act.選択をどのような根拠・手順で行ったらよいのか?」
という抽象的な事柄についても
言語化できるようになっていきます。

具体的なことを言語化できないうちは
抽象的なことを言語化したり、
ましてや他者とコミュニケーションできるようにはならない
トレーニングとはそういうものですから (^^;

それなりの立場にある人や
経験年数の多い人や
有名な人でも
「?」ということは、よくあることです。
世の中そういうものです。
だからいいや。じゃなくて
他人は他人
自分は自分
自分自身がプロとして恥じないように在るにはどうしたらよいか
自分自身で実践を積み重ねていくことがよっぽど大切です。

トレーニングは反復学習
技術はトレーニング=反復学習によって習得可能なものです (^^)

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ROM-Ex.よりポジショニングを

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今、老健にも特養にも
寝たきりの方や準寝たきりの方が少なくないと思います。

私は勤務終了後に
ある施設に依頼を受けて伺っています。
そこで施設の職員の方の相談にのっているのですが
多いのが、食事介助とポジショニングの依頼です。

後頚部の筋が過緊張状態にあったり
全身の筋緊張が亢進していたりする方も少なくありません。

そんな時の第一選択は
まず、ポジショニングの設定です。

老健に入所されていれば
ご利用者の方は、最低週に2回のリハ職による
マンツーマンのリハを受けられますが
ご利用者の方は、個別のリハの20分よりもずっと長い時間を
車いすやベッド上で過ごされるのですから
その時間、どんな姿勢で過ごされるのか
ということはとても重要になってきます。

ベッドで休んでいるのに
身体がガチガチで筋緊張が亢進したままだと
寝ても身体は休まらない

不適切姿勢による筋緊張亢進をそのままにしておいて
ROM-Ex.をいくらしたとしても
効果がないどころか、逆効果になることすらあります。

適切なポジショニングを設定すれば
ほんの数分後には
全身がリラックスして
「こんなにユルユルになってるの、初めて見ました」
と施設職員の方に驚かれることもよくあります。

こういうことって本当に多いのが残念

同じコトが違うカタチで現れているだけなんです。

食事介助における、誤介助による誤学習で食べ方が悪くなってしまう
認知症のある方に適切な対応ができなくて混乱が増悪してしまう
適切なポジショニングが設定されていなくて全身の筋緊張が亢進してしまう

みんな同じコトの異なる現れに過ぎません。
私たちが変わることによって
目の前の対象者の方の現実が変わるのです。

身体が辛いのは対象者のせいだけじゃない。
混乱してしまうのは対象者のせいだけじゃない。
うまく食べられないのは対象者のせいだけじゃない。

私たちの無知や未熟さによる部分の方がずっとずっと大きい。

だとしたら
ううん
だからこそ
私たちの側の問題だから
私たちが変わることによって
対象者の方のもっている本来の能力が
やっと表面に出てくることができるんです。

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食べることで食べられるようになる

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その時々の状態を
的確に把握して的確に対応することで
その時々で食べられるようにしていくことで
食べ方も良くなり
少しの配慮で食べられるようになっていく

今まで一番少ない一口量は
シリンジで2ccから始めたケースがありました。
その他にも3ccとかあるし
ペムパルという栄養補助食品1本125ccを30分かけて摂取とか
お茶ゼリーコップに1杯を30分とか
当たり前によくあります (^^;

最初はお互いに大変ですけど
そういう量しか摂取できない方でも
多くの場合に通常の食事時間帯に通常の提供量が
食べられるようになっていきます。

2ccや3ccしか飲めない…ということを
認知症のある方のそういう状態像だという「原因」と認識するか
そういう状態像を来した「必然」があると認識するか
その違いは本当に大きい。

「原因」と認識している限り
食べ方を良くしていくことは難しい
結果として、脱水や低栄養や誤嚥性肺炎を予防することも
食べられるようになることも難しい
今までそういったことが「常識」や「現状」として
認識されていたのではないでしょうか?

でも本当はそうじゃない

「必然」と認識すれば
もう一度、私たちの実践を振り返り
異なる実践へのチャレンジをすることができる

その結果
重度の認知症のある方でも
もう一度安全に楽に円滑に早く
食べられるようになっていく

これは
本当に起こっていることなのです。

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目の前の現実が最前線

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本に書いてあることを話したってしょうがない。
それが私の講演におけるスタンスです。

申し訳ないけど
教科書は過去の知見をもとに記述されてる。

それはそれで
先人たちの努力の積み重ねによって得られた
学ぶべき大切なことが記載されているわけだけど
読めばわかるようなことを
お金を払って時間を費やしてまで聴きにはいかない
だったら本を読めばすむこと。

本には書かれていないけど
臨床において大切なこと
私が気づいていないような異なる視点
新しい知見
そういうことを知りたいから
お金と時間を使って話を聴きに行く。

私は負けず嫌いだから
モトをとることを考える
自分が選択した研修会がつまらないなんて文句を言うのは
自分自身の癪に障るから (^^;
絶対に何か1つは参加して良かったって思えるものを持ち帰る
そう思って参加してきたし、今もそうしてる。

講師の話の内容だけじゃなくて
表現の工夫
(講師自身の肉体による表現とパワポなどの媒体による表現と)
組み立てや展開の工夫
主催者の態度や設定、配慮…etc.etc.

凄いなぁ…って思ったことも
逆に他山の石とすべきことも

目の前の現実が最前線
プレゼンの本とかもいっぱい出てるけど
生身の体験に勝る機会はないです。

臨床こそが最前線
私はたくさんのことを対象者の方から教わり今も学んでいます。

それは決して臨床だけじゃない。

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