Tag: リハビリテーション

ETV特集:小笠原登を見た

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6月11日(土)に再放送で見ました。
ETV特集「らいは不治にあらず〜ハンセン病 隔離に抗った医師の記録」
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2016-04-23/31/18163/2259533/

ハンセン病対策の歴史について
きちんと自分で認識したのは
「らい予防法」が廃止された時に
朝日新聞に掲載された大谷藤朗先生の記事を読んだ時だと思います。

その記事には衝撃的なことが書かれていました。
当時まだ100年も経っていない(大昔のことではない時期に)
学会という場で論理的な話をヤジや怒号で制止・中断・退場されるような
非民主的なやり方が行われていたこと
そして亡き師がどんな思いで今を見つめておられるだろうかという言葉で
しめくくられていたこと

それから本を読み、もう少し詳しく知ることができました。
「やがて私の時代が来るー小笠原登伝」皓星社

大谷藤朗先生は、実はリハスタッフにとって大恩人に当たる方です。
私はその一端を教えていただけたに過ぎませんが
リハの黎明期に養成校や宿舎を見学され
その状態を改善するようにしてくださったり
養成校の教員が留学して学べる環境を整備して
日本のリハ教育が進歩していくようにバックアップしてくださったとのこと

今回の放送でも
大谷先生が登場され、過去の自分を振り返りつつ
らい予防法廃止に向けて活動を続けてこられたとのことが
取り上げられていました。

らい予防法と対応の変遷について
全然自分とは関係ない、過去のことと切り捨てるのではなくて
かつてこの日本で起こったことは
カタチを変えて今自分の周囲でも起こりえることだということ
自分がもしかしたら「良かれと思って」
「らい予防法」推進派が為したことと同じことを違うカタチで
してしまうかもしれないこととして受けとめて
じゃあどうしたら少なくとも
そうならないように
万一そうなったとしても
そうなっているという認識をもてるようになるのか
考えることは大切だと思っています。

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仕事の報酬は仕事 2

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仕事の報酬は仕事
だと思っているので
お仕事が増えるのは、しんどく思うことはあっても苦にはならない。

新しいお仕事で
今まで接点がなかったような方と出会えるのも楽しい。
そこで出会った方から教えていただけることもたくさんあるし
自分としては当たり前にしていたことでも
当たり前じゃないって伝えられて嬉しくなることもある。

モチロン
労働としての対価をきちんと受け取ることができているから
こういう感想を抱けるのだと思いますが
(もうちょっと頂ければもっと嬉しいですが)

どこで誰と誰がどうつながっているか、わからないし
1回のお仕事がきっかけとなって
どんな風に展開していくかなんて、わからない。

誠実にお仕事を通しての主張が
たとえ、現在は主流じゃなくて異端と思われるようなことでも
中身が本質を突くものであれば
絶対に耳を傾けてくれる人は存在する。

ごく少数だけど
必ず存在する。

そういうことって
洋の東西を問わず
古今を問わず
起こっていることなんだということも
よくわかってきた (^^;

仕事の報酬は仕事
だから、本当にありがたい。

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認知症疾患治療病棟のOTの役割 4

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私は今、認知症疾患治療病棟に勤務していますが
大切な役割の1つとして
身体的な障害を評価できる
ということを挙げておきたいと思います。

認知症=アルツハイマー型認知症
というわけではありません。

認知症という状態像を引き起こすさまざまな疾患があります。

臨床的に多いのは、アルツハイマー型認知症ですが
ときどき、ちょっと変わった変性疾患の方も入院されます。

レビー小体型認知症や前頭側頭型認知症のある方は
かなりの頻度で入院されます。

その他にも
大脳基質基底核変性症やALSを合併した認知症
特定不能な認知症のある方も入院されます。
そのような場合には
身体的な障害を起こしている場合がとても多いものです。

また、どんな疾患であれ、症状が進行すると
皮質の萎縮による脱抑制によって原始反射が起こる場合もあります。

このあたり
知識がないと身体的な障害というのは
実はかなり見落とされがちなんです。

そして、「認知症」という先入観によって
知識がないがために
「乱暴」「意欲低下」「心気的」「性的逸脱行為」などと
誤った判断を下されがちです。

民間の単科の精神科病院では
「身体的な障害」を評価できるのは
作業療法士だけ。だったりすると
身体的な障害を身体的な障害だと伝えることができるのも
作業療法士だけ。ということになります。

認知症治療病棟に勤務する作業療法士の
大きな役割の1つだと考えています。

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食事介助が変われば他の介助も変わる

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食事介助が適切に行える方は
他の介助も適切に行える方です。

食べることの援助ではなく
ただ食べさせているだけの方は
申し訳ないですが、他の場面でも
援助ではなく「〇〇させる」のではないでしょうか。
その方法論が
乱暴なのか、優しげなのかの違いがあったとしても。

どんなに優しげに接したって
「〇〇することの援助」と「〇〇させている」ことは
天と地ほどの違いになってしまいます。

優しい=良い関わり
というわけではないのです。

食事介助において
「食べることの援助」を明確に自覚した上で実践できる人は
使役ではなく援助というメタ認識のもとにメタ実践を
ただ食事という場面で実践しているに過ぎないので
場面が変わっても共通するメタ認識のもとでメタ実践を
できるようになります。

食事は
最後まで残る
認知症のある方が「行為」として表出できる場面です。

しかも
比較的工程の少ない、シンプルな、繰り返しの多い場面です。

他の排泄や更衣、入浴という複雑な場面よりも
介助者が何が起こっているのかわかりやすいのです。

つまり、食事介助において
援助ができない人に
他の場面において援助ができると言えるでしょうか。

暮らしの場面において
もっというと私たちの在りようにおいて
100%の完璧性というものは存在しません。

けれど、私たちの関わり方において
「援助」なのか、「使役」なのか、ということは
180度方向性が異なってきます。
時には「使役」するしかない場面だってあるでしょう。
でもその時には「使役」しているんだという自覚が必要です。

その場で使役をしているのに援助のつもりになっている
その場は使役で、力技で「問題を解決」できたからといっても
今はよくても、その後に悪影響を与えてしまうということは
たくさんあります。
感情の記憶は残っていくと言われている所以です。

食事介助が適切に行えるようになる
ということは、
介助全般が適切に行えるようになることの
入口なのです。

 

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効果がないどころか逆効果

ちょっと待った

たとえ
不適切なスプーン操作が為されていて
緩徐に食べ方が量的にも質的にも低下していっても
「食べ方が下手なのは認知症のある方本人のせい」
という誤解を「事実」と誤認識している人にとっては
現状に疑問が抱けるはずもありません。

不適切なスプーン操作によって
効果がないだけならまだしも
逆効果になっている
という事実を1人でも多くの人に認識してもらいたいと
考えています。

じゃあ、どうしたらよいのか
認知症のある方の食べることに関する困難は
「食べる」ことに関する知識と
「認知症」の病気と障害に関する知識の両方が必要です。

私の話を聞きにきてくださる方の中には
摂食嚥下の認定をもっている看護師さん
認知症の認定をもっている看護師さんもいらっしゃいますが
「眼からウロコだった」「勉強になった」と
おっしゃっていただいているのも
そのあたりに理由があるかと思っています。

今、何が起こっているのか
がわかれば
これから、どうしたら良いのか
がわかります。

けれど、現状では
私たち自身の誤った思い込みと
不十分な知識のもとに
何が起こっているのかの把握が不十分なままに
〇〇してみよう、△△してみたら?
といったことが試されているだけです。
そして、そのような効果的でない試行錯誤によって
認知症のある方にとって逆効果にしかなっていない
しかも、そのことにすら気がつけていない
という現実があるのです。

このような現状に
何となく漠然と何かがおかしい
と感じていらっしゃる方はきっとたくさんいると思います。
ただ、何がどうおかしいのか
明確にはわからないから苦しい

そんな現実は
認知症のある方にとっても
対人援助職にとっても哀しいことです。

そしてそのような現実は変えることができます。

(株)geneさん主催のセミナー
「ナースのための認知症のある方への対応の工夫と考え方」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info02/?id=1461049509-041720
対象は、看護師・介護職・歯科衛生士・その他となっていますが
参加資格は特に設けていませんので、geneさんに問い合わせてみてください。

さらに食事に特化した
「認知症のある方の食べることへの対応」
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1460074517-340536
というセミナーもあります。

是非、ご検討ください。

 

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介助とは無関係という誤解

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認知症のある方が
口を開けてくれない
なかなか飲み込んでもらえない
等という食べることに関する「問題」が生じた時に
「私たち職員の介助がまずいんじゃないのかしら?」と
考える人は少数派です。

なぜ、そう考えないのかというと
そのくらい「当たり前に」
認知症のある方が食べない、食べようとしない、食べられないのは
「認知症のある方本人のせい」と強く深く思い込まされているからです。

だからこそ
私たちのスプーン操作や
認知症のある方に
結果として
視覚的刺激や聴覚的刺激として入力されている
私たち自身の表情、声、会話内容などといったものに
無自覚でいられるのです。
「ムセの有無」という聴覚情報にのみ
注意を払った食事介助しか為されていないという現状があります。

本当は、今すぐに、研修にも行かずに、高額な機器の導入もなく
すぐに改善できるはずのことが
私たちの意識1つで改善できるはずのことが為されていない

つまり、そのくらい、食事介助に関して
認知症のある方にとっての「物理的・心理的環境」としての
介助のあり方が切り離されてしまっているのです。

どう食べさせようが
認知症のある方の食べ方とは無関係

このような誤解が非常に深く強く残っているのです。

 

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食べさせてしまう現実

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認知症のある方が
口を開けて食べてくれない
口の中に溜め込んでしまって食べられない
食べようとしてくれない
というケースは、案外多いものです。

こういう時に
たいていの人は、まず、なんとかして食べさせようとします。
優しく
いろいろ声をかけながら
全介助して

こういった言動の本質にあるものは
「認知症のある方には、親切に接すれば介助者に従ってくれる」
という考えなのではないでしょうか?

もちろん、食べていただかないと
栄養不良になったり、脱水になったりといったおそれがありますから
なんとかして食べていただきたい。という気持ちはわかります。

でも、それっていったい誰の気持ちでしょう?

認知症のある方が食べない、食べにくい、食べられない
といった時には、必ず食べないなりの必然があります。
(ここで大切なポイントは理由や原因ではなくて必然なのです)

認知症のある方の現状には
必ず能力も困難も現れていますが
何が現れているのだろう?ということを
観察する、確認する人には
残念ながら遭遇したことがありません。

まず
「どうしたら口を開けてくれるのだろう?」
「どうしたら食べてくれるのだろう?」と
食べるという状態をあるべき状態、望ましい状態と規定して
そこから差し引きマイナスで現状をみて
現状を改善するためのてだてを考えようとします。

だから、うまくいかない。
食べられるようにならない。のです。

 

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食べ方:CVA後遺症との違い2

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CVA後遺症による摂食・嚥下障害では機能障害が起こる。

でも、認知症のある方の多くの場合には
緩徐な小さな機能障害はあるけれど小さな障害に過ぎない。

けれど、全介助の方は
介助者のスプーン操作という環境に対して
適応しなければ食べることができないから
その関係性の結果として食べ方という現れ方をする。

小さな機能障害を小さなまま維持していくことも
小さな機能障害だったのに大きな問題にしてしまうことも
どちらも起こりうる。
でも、認知症のある方本人の機能障害は小さなものに過ぎない。

ここが
CVA後遺症と認知症のある方との大きな違いです。

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