説明より実践

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自分が体験したことのないことは理解できない。

そういうものなのだと思います。

私はいろいろなところで
「重度の認知症のある方でも介助を変えるだけで食べ方が変わる」と言っていますが
ある時に正面きって
「にわかには信じ難い」
と言われたこともあります。

そのくらいその人の職場で起こっていることと
私の話つまり実践とは乖離があるのだろうな
と思いました。

でも目の前で起きていることは誰も否定できません。

「認知症なんだから誤嚥性肺炎は仕方ない」
とこれまた私の目の前で言われたこともありますが
そういう時には何も言いません (^^;

そのかわり、内心今に見てろと思います。
そして仕方ないと言われた人の食べ方が良くなった時には
内心、ザマーミロと思っています (^^;

仕方ないのは、認知症のある方じゃなくて能力を見いだせなかったあなたなんだと。

スミマセン。
毒吐き女で。

だって悔しいじゃないですか。
「仕方ない」認定をこんなに軽々しくしちゃっていいんでしょうか。
私たちができる最善を尽くした後に初めて言えるセリフなんじゃないでしょうか。

これでも私も今までいろんなところでいろんな人にいろんなことを言われてきました。
でもその時その場ではそういう人には何も言わない。

言うことよりも
現実を変えることに努力します。
説明するより実践で証明してみせます。

現実が変わっても話を聴こうともしない人だっていますが
少なくとも表立って反対意見は言えなくなります。
だってみんなが変化を見ているんですもの。

それで十分なんです。
その先の話を聴いてくれる人も聴いてくれない人もいますが。

大切なことは
目の前にいる対象者の利益であって
相手をギャフンと言わせることじゃない。
相手におっしゃる通りです。よくわかりました。と言わせることでもない。
協力してくれなくても全然いいです。
足だけはひっぱらないでもらえればそれでいいんです。
ここは、すり替えが起こりがちなところだから気をつけなきゃいけない。

「自分が変われば世界が変わる」のコメントの4番目に
説明だけでは通じない意味、議論が平行線に終わる意味を書いてあります。
よかったらご参照ください。

関連して
よく「ケアの統一」って言われるじゃないですか。
もちろん、必要な時に必要なケアを全員ができれば望ましいけれど
統一できなければ対象者の方に対して良いケアができない。ということではありません。

以前にも書きましたけれど
みんなが30%のケアしかできていない状況で
みんなが50%できるようになるよりは
誰か一人でいいから90%のケアができるようになることの方がずっと大切です。

そのくらい認知症のある方の能力があるんです。 

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