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ここにこれから書くことは
すごくおせっかいなコトだけど
物語を読むのって
物語の世界との対話であり
著者との対話であり
自分自身との対話でもあるから
その時々の自分で読み取れることしか読み取れない。
その時その場のその関係性においての対話という
唯一の関係性が成立してる。
逆に言えば
そういう「関係性」の中に
自分自身の身を浸すことだから
作業療法士として
あるいは他の職種でも
ナラティブとかSDM(Shared Decision-Making)とか
もしも、本当にそういった方向性を目指したいなら
あるいは、Act.選択の適切性に悩んでいるなら
知識やツールの習得ではなくて
自分自身が「物語」を「読む体験」をするといいと思う。
リハに関わる世界にいる人で
「物語」を読んでる人って
そんなに多くない印象を抱いています。
だから
対象者の方の物語も読みにくいんじゃないかなぁ。
だから
SDMの扱われ方が
単なるツールに堕してしまうんじゃないかと
目の前にカタチとして提示されてる物語が読めないのに
目の前に存在している人の
カタチとしては提示されていない物語が読めるのか?
… それは、難しいよね (^^;
本気でそう思っています。
おせっかいなコトだけど。
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私はそんなにたくさん読んでるワケじゃないけど
本を読むのが好きで
でも、平日はなかなか「物語」を読む気にはなれない。
本は常に手元、枕元にあるけど
平日は論理が明確な「意見」「ノンフィクション」系の本を読んでる。
私にとって、「物語」を読むのって
すごく「感覚」と「集中」が必要で
ふだん仕事をしてると
「感覚」を仕事ですごく使ってるから
家に帰ってきてまで使えるキャパシティーがないように感じるのと
「日常」という細々した物理的な「実践」に
乗っからないと「流れない」から
「物語」に入るのも出るにも
時間的・心理的束縛があると
私には難しい…(^^;
ささやかでも
日常の制約から解放される時に「物語」を読んでみようって思える。
「物語」によって
支えられることは、たくさんある。
「物語」は
その時々の自分の在りようによって
異なる深みを響かせる。
自分にとって
大切な「物語」と出会えることは
もう1つの至宝なんだと思う。
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村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」を読んだ。
今さらですが (^^;
真っ向から、私たちへのエールが送られている
そのことをひしひしと感じた。
個人的に
心身ともに、ナーバスでセンシティブな状況にあったので
(敢えて過去形を選択)
よけいに、エールが胸に響いた。
どうしたら、こんな繊細な物語を語れるのだろう。
強さと繊細さを両立させるために
どれだけの孤独な作業を自らに課しているのだろう。
村上春樹はprofessionalだと思った。
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POSTさんへのインタビュー その3が掲載されました。
http://1post.jp/2015/12/07/interview143_sato_yoshie03/
インタビューはこれで完結ですが
新たに、私の連載も決定しました!
ありがたいことです。
嬉しいです。
テーマは食事介助。
最重度の認知症のある方でも
スプーン操作を変えるだけで劇的に食べ方は変わります。
そのようなケースは枚挙にいとまがありません。
脳の萎縮が少ない、健康な部分が多いお年寄りなら
もっと早く、もっとラクに行動変容が起こります。
「認知症のある方がうまく食べられないのは仕方ない」
「認知症のある方の誤嚥性肺炎は仕方ない」
あからさまに言われているけれど
本当はそうじゃない。絶対に。
これには留保がついています。
そのことを私たちが忘れています。
「私たちが適切な食事介助ができなければ」…という
私たちの側の問題という前提要件が見落とされています。
私たちの側の問題であれば
私たち自身で解決・改善することが可能です。
そのことを1人でも多くの方にお伝えしたいと思っています。
連載記事掲載まで今しばらくお待ちください m(_ _)m
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ひさびさの記事の連投となりました (^^;
この連投前には、長いこと記事更新ができずに
お待たせしてしまってスミマセン。
中にはご心配をおかけしてしまった方もいらっしゃるかもしれません。
申し訳ありません。
前夜に投稿した記事に
あっという間にアクセスが増えて翌日には
ページ右側の「人気記事」にランクインしているのを見ると
「あぁ、たくさんの方が見てくださっているんだ」と
実感することができて
嬉しくもあり、また、身の引き締まる思いもいたします。
お忙しいなか、お立ち寄りくださっているみなさま
本当にどうもありがとうございます m(_ _)m
このような「場」があることを本当にありがたく思っています。
ネットの良い面を良い方向に活かすことができるように…
時には(?)毒も吐きますが (^^;
「花も実もある」よっしーワールド
これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます m(_ _)m
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実習ネタが続いて恐縮ですが…
「実習は楽しく!」
「作業療法の楽しさを伝える」
ということは、私は考えておりません。
実習は楽しく。とか
作業療法の楽しさを伝える。とか
養成校の教員からも臨床家からも
ホントウによくよく聞く言葉ではありますが
私はそこは毛頭考えておりません。
その場は
「はぁ」とか言ってはいますけれど (^^;
だって
そういうのって
結果として起こることを目的化している
ワケでしょう?
実習が楽しくて、作業療法が楽しくて
学生さんも満足、指導者だって満足するでしょうが
そこを目的とした指導しかされなかったら
いざ、就職してから困るのは
そういう指導を受けた学生さんなんだよね。
そして、そういう臨床家に担当されてる対象者が
一番、困る思いをするんだよね。
実習で体験学習できることには限界があるけれど
だからこそ、必要なことをキッチリと体験学習できるように
適切に援助していく必要があると考えています。
何もリハの世界に限ったことではないと感じていますが
「結果として起こることの目的化」や
「手段や方法の目的化」って
あちこちでたくさん起こっていて
モノゴトの本質がすり替えられているように感じられてなりません。
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私はやらない実習指導 その3
学生をむやみには褒めない。
実習だけをきりとって、どう学生を指導したらよいか
そんな風に考えている指導者は少なくないようですが
臨床家としての前体験として実習があるのだという視点で
私は考えています。
学生さんの変容した行動については言語化して伝えますが
それは褒める必要があると考えているわけではありません。
褒められる指導を受ければ
褒められようとして行動するようになります。
それってヘンじゃない?
私たちは対人援助職として
対象者にとって必要で可能な行動変容を促すのが仕事です。
何も「すごいね」「ありがとう」って言われたくて
仕事をするわけじゃない。
「あなたのおかげです。ありがとう。」
そう言われて嬉しくないわけはないけれど
それは結果として起こることに過ぎなくて
そう言われることを目的としているわけじゃない。
宮大工の西岡常一さんも
「弟子を教える時には褒めない。
褒めれば褒められようとして仕事するようになる」
と言っていました。
リハの世界に限らないように感じているけれど
「結果として起こることの目的化」による誤解って
結構多いように感じています。
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私はやらない実習指導 その2
「なぜ?」とは学生さんには尋ねない。
指導者が学生さんに「なぜ?」と尋ねるのには
2つの目的があると思う。
1つは、純粋に学生さんの思考過程が知りたかった時。
もう1つは、学生さんに思考過程の再考を促したい時。
でも
学生さんの立場にしたら
指導者に「なぜ?」って尋ねられるのって
プレッシャーですよね (^^;
学生さんに余分なプレッシャーを与えずに
目的が達成できるのであれば
そちらの方法を選びたいと考えています。
ふだんの学生さんの言動やフィードバックでのやりとりから
学生さんの思考過程はだいたい推測できるし
明確に確認したい時、その必要がある時には
「私には、あなたがこうやって考えているように受け取れるんだけど
実際のところ、どんな風に考えているのか教えてほしい」
って、その通りに尋ねれば良いと思っています。
そうでなくて
学生さんに思考過程の再考を促したいのだとしたら
情報収集した事実たちを紙に書き出して(ここが大事)
この事実Aとこの事実Bからこう考えたとしたら
この事実Cについては、どう考えたらよいのだろう?
情報と思考過程に論理的整合性がないことを指摘します。
そうすれば
学生さんは再考せざるを得ない。
「なぜ?」と尋ねられるよりも
より効率的に学生さんに指導できると考えています。
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