Category: よっしーずボイス(ブログ)

正しさではなく適切に

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認知症のある方への対応で
誤解されていることは諸々あれど
たとえば
「正しいケア」「正しい介助」

正しい…って、いったい何に照らしての正しさなんだろう?

正義や常識は
時代によって場所によって
異なっているし変化もする。

正しいケアでも
目の前の人に不適切な対応になることって
幾らでもある。

たとえば
「おみ足を上げてくださいませ」
という言葉は丁寧な言葉で
敬語で接するという意味では正しいかもしれないけど
生活歴の中で「おみ足」という言葉を
聞いたことがなかった人にとって
その言葉は適切だったんだろうか?

大切なことは
目の前にいる方の役に立つことであって
スローガン通りに実践できるようになることとは違う。

正しい=適切
というケースだってあるだろうけど
教科書に書いてある、あるいは研修で言われた正しいケアを
目の前の人に当てはめることではない。

適切かどうかは
その時その場のその関係性において
関わっている人が判断するしかない。

それだけの厳しさを対人援助職は背負っている。

その厳しさから逃れるために
正しさというお題目にすがってはいけない。

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理解ではなく表現を促す

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認知症のある方が大声を出したり落ち着かない時に
どういう気持ちなのか理解しようとする

そんな対応が多いようですが
あんまり効果的じゃないと感じていませんか?

実は
理解するよりも先に
どういう気持ちなのか
相手に表現してもらう方が先
なんです。

その結果
私たちが理解することができる。
ということなんです。

フツーに考えてみてください。

言いたいことが思うように言えない
という気持ちを抱えている時に
勝手に推測された対応をされることが嬉しいですか?
なんだかなぁ…とは思いながらも
相手に悪くてそれ以上は黙ってしまったり
ということがありませんか?

言いたいことが
言えるように
言いやすいように
聞いてもらった方が嬉しくないですか?

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対応の誤解 1−Ad

我慢のしどころ

何をしていたか…というと
まず、最初に私たちは
相手が怒鳴っていると自然と怒鳴りたくなる傾向がある
という自覚をしておくことだと思います。
つまり、相手の声の調子や大きさに影響を受けてしまいやすいんです。

相手が怒鳴っている時ほど要注意。
その口調に影響されないように気をつけます。

かといって
基本的には、相手の口調からあまりにも離れ過ぎた口調
たとえば、先のケースで言うと
非常に冷静に淡々とした口調だと
相手が自分のことを「受けとめてくれていない」という
感情を抱いてしまいがちです。
そのあたりは、付かず離れずといった気持ちでまず始めます。

相手の口調と表情に常に注意を払いながら
相手の言っている言葉の感情・感覚を意識しながら
返事をします。
ここがポイントです。

そして
相手が十分に感情・感覚の表現をされたことを確認してから
こちらのお願いを伝えます。

この順番が大切なんです。

多くの場合、相手の感情・感覚にもとづく言語表現を
尋ねることもなく
また、こちらが応答することもなく
そして、促すこともなく
最初にいきなり、こちらのお願いを伝えていることが
多いように感じています。

先の例で言えば
「ここではお寿司は出ないんですよ。
お昼ご飯はカレーライスです。」

あるいは
何を言っているのかの自覚もなく
「本当に申し訳ありません。
ご希望に添えずに申し訳ありません。」

もしかしたら
その人が言っている「6つ」の意味を確認もせずに
「6つなんて持ってこれませんよ」

Discommunicationの自覚なく
Discommunicationをしてしまっている
そしてそのことに気がつけない。

だとしたら
認知症のある方は
何とか伝えようとして
ますます大きな声で強い口調で繰り返し
言える言葉で「言う」しかなくなってしまいます。

それって本当に
暴言?大声?BPSD?

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対応の誤解 1−Ac

我慢のしどころ

たとえば
すごくイライラした強い口調と大きな声、険しい表情で
「はやく6つ持ってこいって言ってるんだよ!」
と繰り返し怒鳴っている方がいるとします。

さて、どうしますか?

 

 

 

ーーーーーー答えは、この下をスクロールしてくださいーーーー

 

 

 

 

 

まず、ふだんのこの方の状態を思い出します。
ふだんはそんなにイラつく方ではありません。
その場の疎通も可能な方です。
このような場合は、まず率直に尋ねます。

 

「6つって何を持ってきてほしいのですか?」
相手の口調に影響されないように
かといってあまりにもかけ離れた口調にはならないように
少しだけ笑顔を浮かべて
あんまり冷静になりすぎない、少し張った声で、でもおだやかに言います。

「寿司だよ!寿司を6つ!」
まだ口調はイライラしていますが、ちゃんと応対してくれています。

「寿司かぁ!寿司はいいですねぇ」

「そうだろう」
ちょっと口調がおだやかになってきました。

「寿司ネタは何がいいですかねぇ」
相手の口調と同じトーンで答えます。

「そうだなぁ。マグロ!」
「マグロですかぁ。いいですねぇ!」
「マグロも赤身、中トロ、大トロとありますが
どれがお好きですか?」
「そりゃあ、大トロだよ」
このへんで口調はすっかり穏やかに
笑顔もみられるようになっています。

「大トロいいですよねぇ。美味しいですよねぇ」
ちょっと間を置いてから
「〇〇さん、大変申し訳ありません。
ここではお寿司が出ないんですよ。
堪忍してくださいね。」
「あぁ、そうなんだ。じゃあいいよ。」
「ありがとうございます。
今日のお昼ご飯はカレーライスの予定です。
ここのカレーライスも美味しくて評判なんですよ。」
「そう。それは楽しみだね。よろしくね。」
「はい。承知しました。少々お待ちください。」

以後、イラつくことなくおだやかに
過ごされていました。

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対応の誤解 1−Ab

我慢のしどころ

A:「じゃあ、認知症のある方の言動を否定しないとして
どうしたらいいのでしょうか?」

Q:それは
認知症のある方の感情や感覚にそって
受け答えをすると良いと思います。
事実関係について真偽を伝える…ということが
適切なケースもあるとは思いますが
基本的には、事実よりも
そのように受けとめた感情や感覚にそってお話を聴くと
良いと思います。

その場しのぎをするように
ごまかしたり、笑わせたり、気をそらせたり
ということではありません。

暮らしの場面では
その場しのぎだって必要なこともあると思います。

そのような場合には
自分の中でその場しのぎをしていると自覚しながら
その場しのぎをすることが優先されると思います。

普通に考えて
誰だって常に100%完璧完全なことをしながら
暮らしている訳ではありません。

問題なのは
その場しのぎにしか過ぎないことを
適切な対応と誤って認識して
しかもそれらが推奨・流布されていることだと考えています。

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対応の誤解 1−Aa

我慢のしどころ

Q:「なぜ認知症のある方の言動を否定してはいけないのですか?」

A:それは
1つには、それらの言動には必ず認知症のある方の
障害だけでなく能力も反映されているからだし
1つには、そうする必然があっての言動なので
(大切なことは、原因ではなくて必然です)
表面的に否定しても必然が解消されないので
もっと強くもっと大きな表現方法でわかってもらおうとする
つまりそれらは非合理的な方法でしか現れない
認知症のある方の大声や暴言という形になって
現れるしかなくなってしまうからです。

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対応の誤解 1−Q

ちょっと待った

認知症のある方への対応について
常識のように言われていることでも
実は誤解に基づいて流布されていることって
とっても多いなぁと感じています。

たとえば
「認知症のある方の言動を否定してはいけない」

こんな風に言われたら、確認してみてください。
「なぜ否定してはいけないんですか?」
そしてもっと大切なことは
「じゃあ、どうしたらいいんでしょうか?」

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王道を丁寧に

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横道にそれたり
近道の誘惑に負けたり
時にはそういうこともあるかもだけど
王道を丁寧に
地道に愚直に進んでいけば
自分自身に対して誠実でいられる。

誠実である
という体験をしたことがないと
わからないんだよね。
自分が何をしてるのか。

若いと自分が何者かもわからないから
よけいに焦るのは、わかるけど
(かつての私もそうだった)
やらなきゃわからないことは
やるしかなくて
一見徒労に思えるような時間こそが
将来の土台になっていくから
やるしかない時代がムダにはならない
ということを伝えたい。
(かつての私には誰も伝えてくれなかった)

王道を丁寧に歩むには
若い時のトレーニングが一番
手近かな近道や華やかな横道は
心そそられるかもしれないけど
いつか自分が対象者の側に回った時に
かつての自分が目の前に現れる。
(若いとそんなことまで想像もできないと思うけど)

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