Category: よっしーずボイス(ブログ)

当院の新人OTが受ける研修プログラムには
目標設定と会議が含まれています。
養成校や実習において
目標設定をスッキリと教えてもらえる人は少ないし
仕事をする上で
会議参加が必須なのに
会議への参加や運営の仕方について
スッキリと教えてもらったことのある人は
もっとずっと少ない。
知らなければ適切にはできない。
私たちは対人援助職の前に社会人なのだし
チームワーク・連携が求められているのに
ヘンだよね?
評価ツールや治療ツールの研修は
たくさんあるけれど
一番大切な研修が疎かにされてることに疑問。
そんなワケで導入☆
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わからないのに
聴きもせずに
表面的にActovityを提供するということは
「あなたのためのActovity」ではなくて
私が困らないように何かやってほしいという意図を
暗黙のうちに、でも、明確に
対象者の方に伝えてしまっている
ということなのに。。。
どのレベルであったとしても
Actovityを提供する時には
自分の中で提供するに足る根拠を
明確に言語化できているということ。
最低限、援助として提供するならば。
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わからない時には
率直に聴けばよいのだと思う。
「あなたにとって
その場の何が大切なのですか?」
「あなたにとって
その場はどんな場なのですか?」
言葉にして聴くにしても
言葉にならない、もう1つの言葉で聴くにしても
理解したくて聴いたことには
必ず答えてもらえる。
答え方にはいろいろあるけれど。
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生活歴の聴取も
好きだったことの聴取も
その人を理解するための手段であって
提供する活動に直結するわけではない。
編み物を好きだったからといって
今編み物を提供することが
適切とはいえない。
散歩が好きだったからといって
今散歩を提供することが
適切とはいえない。
編み物のどんな面が
散歩のどんな面が
その人にとっての意味があったのか
その人にとっての意味は何だったのか
そのことをわからずに
見た目だけ提供したって意味は生まれない。
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私たちは対象者を評価するけれど
同じように
いいえ、時にはそれ以上に
対象者自身によって評価されていることを
忘れてはいけないのだと思う。
そのことも含めて
私たちは自分のレベル以上のことは
わからない
その時その場のその関係性において
起こったことの意味を
どれだけ自分がわかるか
まずは、そっちが大事なんだと思う。
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食事にはリキ入れてるよっしーです。
重度の認知症のある方でも食事介助だけで
食べ方は変わります。
脳卒中後遺症の嚥下障害のある方と
高齢者や認知症のある方の
食べ方の問題は異なります。
認知症のある方の食べ方の問題で圧倒的に多いのは
自力摂取していた方が介助を受けるようになって
しばらくしてから起こります。
喉頭挙上は良好だけど上唇でとりこめない。
上唇のとりこみ↓舌のおくりこみ↓そして最後に喉頭挙上の遅延等が起こってきます。
ここでようやく介助者が気づきます。
「最近〇〇さん、ムセが多いよね。」
ここで介助方法を見直すことができれば
上唇でのとりこみも舌のおくりこみも
改善する場合が非常に多いのです。
モチロン、喉頭挙上も。
「実は、もう経口はムリじゃないかと思っていた」
と主治医に言われたこともあります。
その方の食べ方の問題ではなく
不適切な介助に適応した結果の不適切な食べ方だった
という場合が圧倒的に多いのです。
喉頭挙上ー送り込みー上唇でのとりこみ
の順番で改善されてきます。
それぞれ重なり合ってはいますが
改善の傾向としてはこのような傾向があります。
食べ方は変わる
だから介助方法の見直しを
1人でも多くの方に知っていただきたいと思っています。
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おめでとう!
本田、スゴイな。
ザックもホッとしたと思う(^^;
さてさて、私も安心して一仕事しよっと(^^)
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言語表現力が限定していて
自分の気持ちや考えを伝える能力が限られている
つまり、「使える言葉」が限定していたとしたら
たとえば、
「使える言葉」が「ねぇ!」だけだったとしたら
「ねぇ」と呼びかけて即応してもらえなかったとしたら
呼びかけ続けようとして
「ねぇ」という言葉を
だんだん大きな声で
繰り返し言うことになってしまうのかも
他の言葉が使えないのであれば
できることは
より大きな声で
繰り返すことが表現手段になるのかも
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