Category: よっしーずボイス(ブログ)
「学問とは学び問うこと」
「問うためには学ばなければならない。」
沼野一男先生の著書にあるお言葉です。
「情報化社会と教師の仕事」は
ずいぶん前に出版された本ですが
内容はまったく古くなっていないどころか
現在でも該当することばかりです。
教師をセラピストに
こどもを対象者に
置き換えて読んでみると
リハの世界でもまったく同じことが起こっているとも言えますし
実習指導についても考えさせられることが多くあります。
目の前の現実に起こっていることを
方法論ありき。ではなくて
そのままありのままに把握すること
せめて、そうしようとすること。
「問う」ために必要なもう1つのこと
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もうずっと昔
私がまだまだ若い頃
とある研修会の講師のお話がすばらしくて
感動して本当に聞けてよかった…って思った。
「質問があったら何でもどうぞ」
と講師に言われたんだけど
話の内容を咀嚼するのに精一杯で
私には質問なんて思いもつかなかった。
質問できるだけの能力が私にはないんだ。。。
そう思ったことを覚えています。
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スティーブ・ジョブズじゃないけど
ほんと、そう思う。
何を意図しているのか
曖昧なまま方法論を検討する
これって臨床では案外多いんですよね 。。。(^^;
だから、会議が堂々巡りになったりして (> <)
意図や目的の明確化、共有化をしてから方法論の検討
だと思うんだけど。。。
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視点が違うから話し合えない
って聞いたことがあるけど、そうかなぁ?
視点が違うよりも
視点の深さが違うほうが
話し合いになりにくいけど
だって
一流の人は他の分野の一流の人とだって
通じ合えるところがあるでしょう?
同じ土俵に乗れなければ
相手に配慮してもらってようやくお話になる
…ってことだもの。
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人ってそういうものじゃない?
だから、友達の友達は友達…とは限らない(^^;
食事介助で食べ方が変わるのと同じように
対応で生活障害の現れ方も変わる
モチロン、ないものねだりはできないから
元通りになることはないし
暮らしの困難をゼロにはできないけれど
今よりは暮らしやすくなる
目指すのは
目の前のAさんがどうしたら
今よりも暮らしやすくなるように
再現性のある方法を
具体的現実的に伝えられることだと思う。
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セラピストがROM-Ex.をしています。
そのセラピストが言いました。
「〇〇さん、良くなりましたねぇ。
痛いって言わなくなりましたものねぇ。」
〇〇さんは言いました。
「痛いですよ。言わないだけ。」
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過日、県士会の実習指導に関するシンポジストとして出席しました。
事前質問では、
学生の実習意欲のなさについて指摘する声が多かったのですが
実習意欲のなさという設定そのものに疑問が…
少なくとも、実習を無断欠席したり遅刻することがなければ
実習を継続しようという意思の現れだと思うんだけど。
問題は、「実習意欲のなさ」という「定義」が
「何に照らして」ないと判断したのか
…というところにこそ、あるように思う。
もしかして
あるべき実習生像というイメージを指導者側が既にもっていて
そのイメージから目の前の実習生を差し引きマイナスで捉えて言ってるんじゃないかな?
と思っちゃったりもして…。
当日は、そのことにも触れて「実習には落ちたくない」ことを実習生と指導者で共有できているのなら
そこから積み重ねていけばよいと思うって答えたんだけど。
実習もそうだけど
多職種連携もしかりで
「連携できていない」というのは
「何に照らして」判断してるんだろう?
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理解されなくても恊働できる。
もちろん、理解されたほうが恊働しやすいけれど
理解の結果に恊働があるんじゃなくて
恊働の結果に理解があるんだから
まず、現状でできる恊働をしていったらいいと思う。
恊働だって
いろいろな過程があって
どんな過程もみんな恊働じゃん?
恊働の在りようが違うだけで。
恊働を阻んでいるのは
OTが理解されないことじゃなくて
私たちが勝手に多職種連携の理想像を作って
そこから現実をマイナスで見ていることだと思う。
(余談だけど実習指導でも同じことが起きてると思ってる)
考えるべきは
私たちが恊働の役に立つように
… ということだと思う。
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