Category: よっしーずボイス(ブログ)

恥ずかしながら … (^^;
お役に立てたこともあるようなので紹介します。
2011年に県士会地域リハ部のインタビューを受けました。
「認知症のある方への作業療法」<前編>成功と失敗
>147号:平成23年1月発行8〜9ページ
「認知症のある方への作業療法」<後編>OTへのメッセージ
>148号:平成23年3月発行10〜11ページ
一般社団法人神奈川県作業療法士会http://kana-ot.jp
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実は、認知症のある方で
オーラルジスキネジアがある方は
少なくありません。
そのような方でも自力摂取している時には
食べ方の問題はあまり表面化してきません。
ですが、何かの拍子で食事に介助を要するようになると
介助のしにくさ…食べにくさといった課題が
表面化するようになります。
たとえ、オーラルジスキネジアがあったとしても
ご自身で食べやすいように
全身を協調させることができていた
けれど、他者の介助に合わせることは難しい。
その方の食べ方に合わせて介助することが難しい。
このようなケースにはよく遭遇します。
ムセない=食べ方OK
食べこぼしがない=食べ方OK
ということではないのです。
問題が表面化していなくても
食べ方そのものの評価が大切なのです。
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NHK教育ハートネットTVで
午後8時からシリーズで放送されています。
「認知症“わたし”から始まる」
第1回は7月1日に放送されました。
明日7月3日には第3回目として
オレンジプランが取り上げられるようです。
詳細はこちらから
「ハートネットTV:2013年7月1日の放送」
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-07/01.html
第1回目を見逃してしまった方
7月8日午後1時5分から再放送があります。
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適切な対応は自然すぎて
なんにもしていないように
なんにも考えていないようにすら思われるかも。
だからこそ、適切なんだけど。
でも本当は
いろーんな吟味を踏まえての対応だから
表面だけマネしようと思っても
吟味の過程を経ていない人には再現できない。
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蓮の花は泥の中にもかかわらず花開く…のではなくて
泥の中だからこそ花開く…って
そう書かれているのを読んだことがあって
あぁそうか… そうなんだ…って
思ったことがあります。
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退院したら
薬物療法を引き継ぐのと同じに
対応の工夫を中心とする非薬物療法を引き継ぐ
両方とも大事。
非薬物療法は
薬物療法と同じように
状態によって変えていく。
薬物療法が明確な意図のもとに処方されるように
非薬物療法だって明確な意図があって然るべき
褒めてあげる・否定しない・不快な原因の排除などなど
そんな抽象的な一般的なことではなくて
Aさんに対してはA’という対応
そして一番大切なことは
A’という対応の意図が明確であること
そのためには評価が必要
認知症のある方の評価だけではなくて
自分自身を含めた状況の評価が必要
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ガクゼンとしたことがあります。
「認知症の治療」=「文句を言わない善い人」
「認知症の薬を飲む」=「困りごとがなくなる」
うーーーん 。。。
認知症という病気に対する誤解や偏見
まだまだ潜んでいるんですね。。
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不適切な介助も意味がある
最近はそう思うようになってきています。
しゃかりきになって
100%の適切な介助の「統一」を求めなくてもいいんだ…って。
モチロン、程度問題ではあるけれど
常に対象者に対して100%の適切な介助が行われなくても
ガッカリすることはない…って。
なぜなら
不適切な介助の体験があるからこそ
適切な介助の入力が際立つ
対象者の心身が「相違」を明確に感じ取れるなら
比較対照の相違という認識を
不適切な介助がもたらしてくれるのでは?
介助の100%の「統一」に心身のエネルギーを注ぐよりも
一回の介助の適切さが100%になるように
心身のエネルギーを注げばいいんじゃないか?
実は100%適切な介助ではなくて
88%くらいの適切さ加減に過ぎないのに
100%だって勘違いしていることが問題だったんじゃないか?
そんな風に考え、また、感じてもいます。
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