Category: よっしーずボイス(ブログ)

なんちゃって目標からの脱却を

真贋を見分ける眼について考えていて
岩崎清隆先生の文章を思い出しました。

「骨董屋の丁稚には真贋を見分けられるように偽物は見せない」
といった内容だったと記憶しています。
「本物には本物だけが持つ品の良さがある。
 本物にしか触れていなければ偽物に出会った時に違和感を抱くことができる。」

ネットで検索してみたら
「くらしのくら」というサイトに
「職人の弟子には本物だけを見せる」という記事がありました。

私は作業療法は実践の科学、
いわば作業療法士は職人だと思っていますから
知識と技術の伝承という問題はずっと考え続けていることの一つです。

そんな時に、なんちゃって目標が記載されているサマリーを受け取りました。
明らかに目的やリハ内容であって目標じゃないのに目標として記載されています。

そうなんです。
なんちゃって目標によく遭遇するんです。。。
養成校の教授がなんちゃって目標を発表しているケースに遭遇したことも一度ならずあります。

これはもう明らかに養成の問題です。

OTもカリキュラムが変わって教えるべき内容が深く広くなってきていることや
臨床実習においてもハラスメント防止の観点から
時間内に学生を帰らせないといけないので指導時間が限られていることや
実習形態も変更しなくてはならないから
教員の先生方も実習指導者も今までにも増してご苦労があるのだとは思います。

でも、最初に「目標とはなんぞや」ということを
はっきりと教えれば良いだけですし
目的や方法との違い、その見分け方もちゃんと教えれば良いだけです。
つまり、概念をきちんと教えれば良いだけです。 
 
実習地では、実際のケースをもとに
教えられた概念を個別に具現化していく作業なので
「うん、良い目標だね」
「これはね、目標じゃなくて目的だよ」「こう考えたら目標になるよ」
具体的に現実的に教えれば良いだけです。

目標の概念を学び、具現化した体験があれば
なんちゃって目標に遭遇した時にすぐにわかります。
なんちゃって目標を本物の目標に修正するための方策も
概念として学び、具現化した体験があれば実践できるようになります。

なんちゃって目標から脱却できないと
漫然としたリハの提供から脱却することが難しくなります。
対象者に対して適切なリハを提供するための自己修正ができないからです。
自分の方針や目的、治療内容を目標として設定していれば
手段の目的化となり、自己正当化するだけとなってしまいます。

理論だ、OT科学だ、といろいろなことが言われていて
OTの発展のために必要なことかもしれませんが
現場最前線で働いているイチOTとしては
もっと足元を見直すことが必要な気がしてなりません。

よくわかっていない指導者が発する言葉に
「頭の中ではわかってるんだよね。
 ただ言葉にできないだけだから気にしなくていいよ。」
「今は学生だから難しいけど、働けばそのうちわかるようになるよ。」
といったものがあります。

そんなことはあり得ません。
臨床に出て働き出せば、実習生の時にように
目標設定の適否について指摘する人がいなくなるだけです。
困ることに直面させられる機会が減るだけで
目標設定の能力が向上したわけではありません。

だから
初めて新人を教育する立場や実習指導者の立場になった時に
目標設定の難しさや指導することの困難に遭遇するのではないでしょうか?

先輩や上司に相談しても
的確な答えを教えてもらえず
悶々とした気持ちを抱えつつも
どうしたら良いのかわからずになんとなく流され
そのうちに悶々とした気持ちも忘れて
「それでいいんだよ」と言うしかなくなってしまった。
そんな自分に心の奥底でチクッと胸が痛みつつ。。。
違うかな?

目標とは何ぞや
なんちゃって目標からの脱却方法についての
「 ご提案 」をしています。
興味のある方はぜひご参照ください。

 

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ご家族との面談で工夫していること

コロナ渦のため
ご家族の方と直接お会いして
状態をご説明する機会は激減しましたが
どうしてもということは、やはりあります。

そのような時には工夫をしています。

言葉だけではなく
視覚情報を活用して伝える
イメージを伝える
リアルな実感を伝える
ということです。

一生懸命なご家族ほど
時に職員との行き違いがあったり
「理解不十分」と言われてしまうことも起こります。
そうやって職員が判断してしまうと悪循環になってしまいます。

ご家族にとっては
認知症のある方のお世話は初めての体験で
言葉での説明だけではイメージができない
ことが多々あります。

ましてや
コロナ禍で面会の機会がないので
ご家族がご本人と接する機会がない
体験を共有できない状態です。
体験を共有できないままに言葉で状態説明して
リアルに実感を伴って理解してほしいというのは高望みだと思います。

ご家族の側から
「こんな情報提供があれば私だって理解しやすいんです」とは言ってくれません。
心理的に遠慮があるものですし
ご家族自体、欲しい情報を求めてはいても
具体的にピンポイントではわからないし、言語化できない
だから、ご家族も困っているんです。

逆に言えば
状態の共有化の可能性がある
ご家族の理解改善の可能性がある
ということでもあります。

ポイントを絞って
介入場面の動画を撮影してみていただきます。
食べているものも写真撮影して
「今はこちらをこんな介助をして〇〇分で食べ終わっています」と伝えます。
実際に食べている栄養補助食品の実物や
実際に使用しているスプーン、コップ類の実物を見ていただきます。

食べ方に関する
障害と能力を説明します。
ここを明確に説明できると
入院前にご自宅でお世話していたご家族であれば
その時の困難と通じる部分があるので
「あぁ」と納得してもらえます。

逆に
ご家族から「こんなことがあった」と言われた時に
その場面の意味を私たちが実感できる必要があります。
その困りごとにどんな障害と能力と特性が反映されていたのか
私たちがリアルに実感できることが必要です。

ご本人の状態を的確に把握できていれば
必ず起こった場面をリアルにイメージできるものです。

そして
私たちがリアルにイメージできたかどうかということが
ご家族に伝わっているということです。
暗黙のうちに。

ご家族との面接、状態説明も
コミュニケーションの一環です。

ご家族にはご家族の何らかの必然があって
職員側から見ると結果として「理解不十分」な状態に見える
と考えています。

よくあるのは
ご家族が
「(この病院・施設は)本当にちゃんとお世話してくれているのか?」という
内心の疑念を払拭できていないけれどそこは言えない
というケースです。

こちらが工夫した説明、準備を伴う説明をするということは
同時に、ご本人にもきちんと対応していますということも
暗に伝えることができます。

普段、ご本人に的確な対応をしていなければ
ご家族への説明も曖昧で抽象的総論的になるものですが
具体的でピンポイントであれば説得力が違ってきます。

そうすると
それだけで一気に形勢逆転し信頼感を表明してくださることも多々あります。
ご家族もきっと安心されるのでしょうし
理解不十分に見えていたご家族の必然が現れてきます。

そこをこちらが感受できれば
今後のコミュニケーションも一層スムーズとなります。

もう一つ
ご家族との面接の席で私が必ず実行していることがあります。

それは
ご家族にしかわからない、
ご本人の得意分野・好きなこと・趣味をお尋ねする
ということです。

尋ね方にも工夫しています。
具体的に、私が遭遇したご本人のエピソードを伝えてから
尋ねるようにしています。

辛い時期を過ごしているご家族に
総論的抽象的一般的に「趣味を教えてください」と尋ねても
生き生きとしたエピソードを思い出すことは難しいものです。

具体的なエピソードをもとに尋ねれば
(前提としてお互いが共有体験をしているので)
具体的な生き生きとしたエピソードとして思い出しやすくなるものです。

ご家族が教えてくださったエピソードは
リハ場面で参考になり活用できます。
必ず記録に残し、可能な限り直接看護介護職員とも話して共有します。

ご家族の情報、ご家族との暮らしが
ご本人の今とこれからを支えられたということを
ご家族にも機会を見つけてフィードバックもしています。

面接の場面では
厳しい現実をお伝えしなければならないこともありますが
その厳しさも含めて面接の場が豊かになるように
ご家族もご都合をやりくりされて面接に来られるのですから
一方的に話を聞かされたとか
説得されたといった感情を抱いてお帰りになることのないように

Occupationを武器とする私にできる工夫を実践しています。

 

 

 

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口腔ケアも再認を活用

口腔ケアをする時に
「口を開けてくれない」
「歯で指を噛まれてしまう」
というケースは多々あります。

そうすると
たいていの人は
最初は丁寧に説明したり対応しても
最終的には強引に口の中に歯ブラシを入れたり
(だから十分なケアができない)
口腔ケアそのものを諦めてしまいがちです。

安易に
開口してくれない=Kポイント刺激して開口を促す
とパターン化した対応をしていると
指を噛まれてしまいます。

口腔ケアも食事介助と同じで
環境適応の再学習を口腔ケアという場面でおこなっている
という認識に立てば
認知症のある方がどのように説明を感受し認識し適用しようとしているのか
ということを観察・洞察しようという意識が働きます。

長い文章での説明は理解できなかったとしても
目の前で歯ブラシを見せ
歯ブラシを横に数回動かすという動作を見せて「歯磨き」を伝え
歯の一部を優しく数回ブラッシングするという体験を通して「歯磨き」を伝えると
「歯を磨いてもらう」ことを再認できるので開口してくれます。

体験を通して再認できるという能力を活用します。

歯磨きの再認が目的なので
あくまでも優しくそっとブラッシングを続け
だんだんと歯ブラシを奥歯に持っていき
奥歯の上から裏側へと歯ブラシを動かします。
ここまで受け入れてもらえれば
歯ブラシで歯の裏側をブラッシングさせてもらえます。

開口に協力してもらえるので
きちんと口腔内の確認もできます。

口腔ケアが手段の目的化で終わらないように
歯磨きや口腔内清拭をすることが目的ではなく
歯磨きや口腔内清拭をすることによって口腔内の衛生環境を保つことが目的
なのだということを忘れないようにしたいものです。

口腔ケアは疎かになりやすい部分でもあります。
ケアの実行という意味でも
ケアの質の担保という意味でも。

口腔ケアを介助者が一方的にするのではなく
認知症のある方と協働して行っている人は
認知症のある方の能力をまざまざと感じていると思います。

 

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食べられるようになると疎通も改善

意思疎通困難な方が食べられるようになると
意思疎通も改善するということは多々あります。

食事介助を単に
「食べさせる」「口の中に入れる」こととして実施している人には
決して遭遇できないことですが
食事介助を本当に
「食べることの援助」として実践している人は
何回も遭遇しているはずなんです。

食事摂取困難、食事介助困難な方の場合に
「食べることの援助」をするということは
認知症のある方が
食塊や食具やスプーン操作、声かけといった
「環境」をどのように感受し、認識し、適応しようとしているのか
ということを介助者が的確に感受・認識・対応することを意味します。

つまり、環境適応の援助を食事場面で行なっているわけで
食べられるようになった
=環境適応力の再学習ができた
=意思疎通の能力発揮も改善した
ということを意味しています。

「ご自分の世界に閉じこもっている」
と言われた方が
食べられるようになった時に
退室の挨拶をしたら
「どうもありがとう。気をつけて帰るんだよ。」
と言われたことがあります。

このようなことは枚挙にいとまがありません。

誤解を恐れずにはっきりと言えば
食事介助する人の知識と技術と観察・洞察の深度に応じて
認知症のある方の環境適応のチカラを
その表れとしての意思疎通のチカラや食べるチカラを
引き出すことができる
のです。

 

 

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ムセに関する大きな誤解

ムセについて
大きな誤解が蔓延しています。

「ムセ → 食事中止」
「ムセ → 水分にとろみをつける」

このようにパターン化した対応が現場あるあるです。

そもそも
ムセとは何か?
身体の中で何が起こっているのか?
について明確に言語化できる人がどれだけいるでしょうか?

認知症のある方への対応について
なんとなく従来通り行われてきたことを漫然と行っていることは
ヤマほどあります。
「言動を否定しない」
「褒めてあげる」
「なじみの関係を作る」etc.etc.。。。

よくよく考えるとおかしなことでも
意味や適否について考えることなく
「そう言われたからやってる」「みんながやってるからやってる」
というパターンが蔓延しています。
(それらに関して過去に複数の記事を記載してきましたので検索してみてください)

食事介助も同様なんです。
「ムセ → 食事中止」
「ムセ → 水分にとろみをつける」
いずれもおかしなことです。

まず「ムセ → 食事中止」の問題についてご説明します。

 

ムセとは
確かに誤嚥のサインです。
同時に、異物喀出という生体の防御反応でもあります。

「強く激しいムセ=ひどい誤嚥」という誤認をしている人が多いのですが
「強く激しいムセ=異物喀出機能の高さ」を示しています。

最も怖いのは
サイレントアスピレーション(ムセのない誤嚥)という状態です。
そこまでいかずとも、弱々しくしかムセられない方は要注意です。
異物喀出機能が低いことを示しているからです。

ムセたら、
異物喀出しようとしているのだということを踏まえて
しっかりムセきってもらえるように呼気の介助をします。

言うまでもないことですが
異物を喀出しようとしているのですから
この時に水を飲ませたりしてはいけません。

ムセが落ち着いたところで声を確認して
晴明な声であれば食事を再開できます。

痰絡みの声だったり、ガラガラ声であれば
再度咳払いを促したり、呼気の介助をします。
痰絡みがひどければ吸引することも必要です。
それでもムセが続くようであれば食事休止も必要です。

安易に食事中止しないように。
食事を中止する前にやるべきこと、できることはたくさんあります。

 

次に
「ムセ → 水分にとろみをつける」の問題について説明します。

ムセの有無だけを気にしながら食事介助している人は多くても
摂食・嚥下5相にそって食べ方の観察をしながら食事介助する人は
非常に少ないのです。

現実には
介助者の不適切なスプーン操作によって
準備期の能力低下により口腔期の能力低下を来してしまう方が大勢います。

ムセは咽頭期の問題ですが
実は、上記のような方の場合には、咽頭期の低下は二次的な問題で
本質的な問題は口腔期の能力低下にある
それは準備期の困難つまり不適切な介助に起因する
というパターンが本当に本当に非常に多く見られています。
そして、このことに気がついておらず
「認知症のせい」「老化のせい」にされているのが現状です。。。

口腔期の能力低下つまり舌の働きの低下が起これば
送り込みに支障が生じます。
「ムセたらトロミ」というパターン化した対応をしていると
口腔期の能力低下している方に高すぎる形態で提供してしまうことになるのです。
そうするとうまく送りこめず、ムセも改善されず
食べ方をきちんと観察・洞察できずに
パターン化した対応しかできない介助者は
「ムセたらトロミ、それでもムセるともっとトロミ」という
さらに高すぎる形態で提供してしまうので
「送りこめないからためこむしかできない」
「ためこんでいるから口を開けようとしない」
という至極当然の状態になりますが
目の前で起こっている現実をまったく見ようとしない介助者は
ここだけを切りとって
「ためこんで飲み込んでくれない」
「口を開けてくれない」
「どうしたら良いの?」
という問題として把握しがちです。

もちろん、中には咽頭期の機能そのものが低下しているケースもあります。
その時にはしっかりトロミをつけるべきです。

漫然とトロミをつけるのではなくて
きちんと食べ方を観察・洞察した上でトロミの適否を判断することです。

食事介助の大きな誤解
ムセに関する大きな誤解

大切なことは
ケアの常識に流されずに
一般的に流布していることの「意味」を考える
ということです。

その時に根拠となるのは
基礎的知識です。
単に知っている、聞いたことがある、ということではなくて
基礎的知識の概念の本質を理解することです。

 

 

 

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スプーン操作を見直すべき兆候

対象者の方に下記のような兆候が見られたら
それは介助者がスプーン操作を見直すべき兆候でもあります。

<開口した時>
・舌が奥に引っ込んでいる
・舌が硬くなっている

<食塊をとりこむ時>
・顎が上がっている
・上唇を丸めずに閉じている
・口角から食塊がこぼれ落ちる
・引き抜いたスプーンに食塊が残っている
・正面ではなく介助者の側に頭部を回旋している

<食塊が口腔内にある時>
・咀嚼・送り込みに時間がかかる

<食塊を嚥下する時>
・喉頭が完全挙上しない
・喉頭が複数回挙上する

これらは、見ようと思えば今すぐに誰にでも観察できることですが
たいていの場合に、上記兆候は観察されず
「見れども観えず」
視界に入っているはずなのに意識化されていません。

上記兆候は
介助する側の人の不適切なスプーン操作が原因となって
引き起こされたり、増悪されたりしている兆候です。

つまり、改善可能な状態像なのに
見落とされていて対処されていないのが現状です。
 
食事介助の時には
ムセの有無しか確認していない人がとても多いのが現状です。

しかも、
強く激しくムセるとすぐに食事中止を指示する職員がとても多いという問題もあります。

ですが、このような対処は合理的ではありません。
ムセとは何か?
身体の働きについて本質を知ることなく思い込みで対処しているだけです。

この問題については次の記事で。

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現場あるある食事介助の誤解

「口を開けて食べてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」

これらは結果として起こっている表面的な事象なので
ここだけを切り取って、
「どう介助したら良いのか?」
という問いを立てても有効な方策を考えられるわけではありません。

このような思考回路から、もう卒業するべきだと思いますし
卒業できる時期に来ているとも考えています。

「口を開けて食べてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」
という事象は、ほとんどが誤介助誤学習による結果です。

誤介助誤学習による結果なので
適切な食形態と適切な介助によって再学習を促すことができれば
もう一度、
口を開けて食べられるようになります。
ためこまずにスムーズに飲み込むことができるようになります。

そのためには
摂食・嚥下5相にそって、食べ方の観察をしなければ。
食べるチカラと困難がどのように錯綜しているのか
それらがどのように、口を開けない、ためこむというカタチになって
反映されているのかを洞察しなければ。

きちんと観察・洞察できれば
認知症のある方が口腔内の食塊の存在や付着を
きちんと感受し、きちんと処理できるまでは開口しないだけで
喉頭挙上を確認後に介助すれば、
スムーズに開口する方が多いということに気がつくでしょう。
 
 この能力発揮は然るべき能力発揮です。
 この能力発揮を観察・洞察できずに「認知症の問題」と誤認しているのは
 「介助者の側の問題」の発露であって

 「認知症のある方の問題」ではありません。
 正確に言うと、認知症のある方の「困難」ではあっても「問題」ではないのです。
 「困難」を「問題」にしてしまっているのは私たちなんです。

誤介助誤学習が長期間にわたると
口腔期の能力発揮が妨げられてしまいます。

舌は本来しなやかに動くものです。

ところが
不適切な介助が続くと
不適切さを感受して半ば抵抗しながら半ばそれでも食べようとして
舌が硬くなってしまいます。

そして
舌が奥の方に引っ込んでしまいます。
ひどくなると、舌は丸まって挙上した状態で奥に引っ込んでいることもあります。

開口した時の舌の位置をきちんと目で見て確認していますか?
介助した時の舌の硬さをきちんと感受できていますか?

多くの人が
1回の食事介助で
何十回も開口した時の舌の位置を見ているはずなのに見落としている。
何十回も介助した時の舌の硬さを感じているはずなのに意識できない。

これが食事介助する人の現状です。
見落としている情報がたくさんあるんです。
そこに気がつきさえすれば食事介助が変わります。

認知症のある方は
食べようとして能力発揮をしているが
私たちが能力発揮の反映を観察・洞察できていない
どんな風に食べているのかを1から観察し直してみよう、と。

「どうしたら良いのか」は考えたり、話し合ったりすることではありません。
 
「どう介助したら開口してくれるのか」
「どうしたらためこまずに飲みこんでくれるのか」
答えは目の前の認知症のある方の食べ方そのものに潜んでいます。

潜んでいる答えを見出すためには
食べ方を観察し、
食べるチカラと困難がどのように錯綜し反映しているのかを洞察することです。

そして
観察・洞察ができるためには
介助する人が不適切なスプーン操作を決してしないということが大前提です。

詳しくは、こちらをご参照ください。

介助者が不適切なスプーン操作をしていれば
もれなく誤学習を引き起こしてしまい
目の前の認知症のある方の状態像を見誤ってしまいます。

そのひとつが
「口を開けてくれない」であり
「ためこんで飲み込んでくれない」という訴えです。

ピンチはチャンス

私たち介助者が
認知症のある方の埋もれている食べるチカラを
見出せないからピンチ、困りごとというカタチに見えるだけで
本当は認知症のある方の能力発揮をまざまざと見出せるチャンスなんです。

 

 

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食具の工夫:介助

通常は普通のスプーンで介助しますが
場合によっては、全介助でも異なる食具を使うこともあります。

写真上の赤いスプーンのように
幅が狭くて浅いスプーンを使ったり
箸やシリンジで1ccずつ介助したこともあります。

認知症のある方や生活期にある方は
口腔内にちょっとした困難を抱えていることが多く
ちょっとした困難をちょっとした困難のまま
食べられるように維持していくことが大事だと考えています。

ところが、現実には、ちょっとした困難を観察・洞察できず
低栄養・脱水を回避するために結果として
「食べることの援助」ではなく「食べさせる」ことになりがちです。
そこから誤介助誤学習の悪循環に陥ってしまいがちです。

開口しない、ためこむ、抵抗するなど食べようとしなくなった場合に
単にスプーンでなんとか食べさせようと介助をすることは
ネガティブな体験の再認の強化になってしまい
食べることの再学習を阻害してしまいます。

誤介助誤学習の悪循環から抜け出すためには
まず、介助を変えることです。
その一つとして、スプーン、食具を変えます。


シリンジで液体の栄養補助食品を介助したり


液体の栄養補助食品をストローで摂取してもらったり


箸で栄養補助食品のゼリーやソフト食を介助します。

「ラクに食べられた」体験ができるということは
ポジティブな体験の再認の強化にもつながります。

重度の認知症のある方でも再認できる方は非常に多くいます。
ADLは体験を通して再認を促しやすい場面でもあり
特に「食べる」ことは究極の手続記憶ですから
毎回の食事介助が再認の促しの場面になっているとも言えます。

ここで気をつけていただきたいことは
再認はポジティブにもネガティブにもどちらにも働く
ということです。

現状では
善かれと思って
でも知識と技術が伴わない、観察と洞察が不十分な場合に
結果として毎回の食事介助でネガティブな再認の強化をしている
とも言えます。

この悪循環から抜け出すために
「ラクに食べられた」というポジティブな再認を促すために
食環境としての食具を変えます。

対応が適切であれば
そのうちに開口がスムーズになってきますから
その段階で通常のスプーンに切り替えていきます。

介入直後から食べ方の改善を実感できますが
どんな人にでも目に見えてわかるくらいに
食べ方が改善するには1〜2週間かかります。
その後通常の介助に移行できるまでに
もう2週間ほどかかることが多いです。

その間、ご本人が余分な苦労をすることになってしまうので
「予防にまさるものなし」
問題が表面化する前の段階で
(食事介助に困難も負担も感じていない段階から)
適切なスプーン操作
喉頭の完全挙上を必ず視覚的に確認しながら
食事介助してほしいと切に願っています。

「口を開けてくれない」
「ためこんで飲み込んでくれない」
「食べるのを嫌がる」
というのは、結果として表面的に起こっている事象に過ぎません。
ここだけ切り取って「さて、どうしたら?」と考えても答えは出ません。
まずは、それらに反映されている食べ方をきちんと観察することです。

摂食・嚥下5相にそって
食べ方を観察・洞察すれば
目の前にいる方に何が起こっていたのかがわかる。

だから、どうしたら良いのか
どのような食形態・食具・介助方法・場面設定をしたら良いのか
がわかる。

それらは自然と浮かび上がってくるものです。

考えることではないのです。

観察・洞察の結果
必然として導き出されるものなので
明確に浮かび上がってきます。

明確化できない時には考えてはいけません。

何が起こっていたのか、という観察・洞察が曖昧だから
明確化できないのですから
どうしたら良いのか考えるのではなくて
目の前に起こっていることをもう一度観察し直すことに
立ち戻れば良いのです。

 

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