入院時サマリーは
突発的に書かないといけない。
仕事がたてこんでいる時など
厳しい時もあるけれど
すぐにササって書くことが
求められているので
ササって書けないところがあったら
私はここが甘かったなーって
反省することになるから
自分自身のトレーニングにもなる。
5月 16 2012
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5月 15 2012
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5月 14 2012
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5月 02 2012
モノゴトの良し悪しは相対的。
だったら、
マンネリだって活用しようと思えば活用できるはず。
上手に活用しているのが
長寿番組なんじゃないかしら?
細部は異なっていても
おおまかなパターンは決まっている
つまり、展開の予測の幅がある程度規定されている
視聴者は自らの予測を裏切られない
期待通りの展開が進む
そんなに集中しなくてすむ
そんなに考えなくてすむ
少ない投資でまずまずのリターンが得られる
規定された構造
というのは、安定しています。
その安定を
つまらないとみるか
安心とみるか
コップ半分の水を
半分しかないとみるか
半分もあるとみるか
「みる」のは
自分でもなくて、職員でもなくて
認知症のある方。なんだよね。
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5月 01 2012
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4月 26 2012
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12月 28 2011
だって、お年寄りの状態がさまざまなのに ケアを統一して、どうしていいことができると思うんだろう?
その時その場のその関係性において 適切な関わり方ができるかどうかこそが問われているのに
たとえば トイレ動作の自立を目標にがんばっている方がいるとして その方が「おしっこもれそうだから手伝って」と言っているのに 「自分でできるように練習しているんだから手伝えないの」 「みんなでそう決めたのよ」 って、そんなのってどうかと思う。
論理のすりかえ。だよねー。 結果として、起こるはずのことを 方法論として、用いている
どんな時どんな場どんな関係性においても ステレオタイプな対応をするのではなくて その時その場のその関係性において 適切な対応をすることで 結果として、 どのような時どのような場どのような関係性においても 能力を発揮できるようになっていく…だよね。
「あの人は人を見るからさー」 いやいや…(^^; 人を見る能力があるのは、イイコトで…。
もしも、人を見て、ある動作をやったりやらなかったりするのだとしたら それは、依存的等という言葉でくくられるのではなくて その人にとっては、「やらされ感」があって 本当はやりたくない、やりづらい…ということを態度で示しているのではないでしょうか。
だとしたら、私たちが考えるべきことは 「やればできるんだから、がんばってやって!」 などという言葉で動作を「させる」のではなくて 「どうしたら、やりやすくなるのだろう」 「本人にとってのやることのメリットって何なのだろう」 ということなんじゃないのかしら。
日々の臨床の場では すぐに答えが出ないこともたくさんあります。 その時には、答えらしきものに飛びつくのではなくて お互いしんどくても 今は答えがない…でも、この方向性で考え続けよう という態度を持ち続けることなのではないでしょうか。
少なくとも 答えらしきものに飛びつくことで お年寄りをよぶんに傷つけることは避けられるのですから。
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11月 30 2011
Hさんの食事のしかたをみて
看護師さんが「箸が使えるね」と言いました。
でも、私はその時「箸が使えていない」と思っていたのです。
どういうことかというと
看護師は
Hさんが箸を使って食べこぼしなく介助もなく自分で食事していたから
「Hさんは箸を使える」と思ったのです。
私は
Hさんが握り箸で箸をスプーンのようにして食べていたので
「Hさんは箸を持って食べられるけれど箸を箸として扱えない」
と判断したのです。
こういうことって、ものすっごくたくさんあります。
視点の違いで同じ現実を見ているのに違う事実と認識する
でも、そのことに自覚のある人はそんなに多くいるわけではありません。
モノゴトの前提が違うのに
前提を抜きにして、結果だけをああだこうだ言ってる…(苦笑)
自分の視点とか前提って
自分にとっては、あまりにも自明のことだから自覚しにくいけれど
異なる前提を放置して
結果だけをすりあわせようとしても
うまくいくはずがない…(^^;
Hさんの例では
箸の使用可否について結果だけを議論しても平行線で終わってしまいます。
「箸は持ってこぼさず食べられるけれど握り箸で箸としての操作はできていない」
という起こったことそのままを共有すること
Hさんにとっての優先事項を確認しあって
それを根拠にして箸の扱いをどうするか
ということではないでしょうか。
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