Tag: コミュニケーション
立ち上がってほしい時に
ちっとも立ってくれない困った人…とみるか
ちっとも立とうとしない人がどうしたら立ちやすくなるか…とみるか
同じ現実でも
見ているところはまったく違う。
ちっとも立ってくれない困った人
…とみている限り、その人は立ってくれないと思う。
ちっとも立ってくれない困った人
…という見方にそった行動をするようになってしまうと思う。
だって
人間って常に状況に「適切に」対応してるんだもの。
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スティーブ・ジョブズじゃないけど
ほんと、そう思う。
何を意図しているのか
曖昧なまま方法論を検討する
これって臨床では案外多いんですよね 。。。(^^;
だから、会議が堂々巡りになったりして (> <)
意図や目的の明確化、共有化をしてから方法論の検討
だと思うんだけど。。。
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視点が違うから話し合えない
って聞いたことがあるけど、そうかなぁ?
視点が違うよりも
視点の深さが違うほうが
話し合いになりにくいけど
だって
一流の人は他の分野の一流の人とだって
通じ合えるところがあるでしょう?
同じ土俵に乗れなければ
相手に配慮してもらってようやくお話になる
…ってことだもの。
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人ってそういうものじゃない?
だから、友達の友達は友達…とは限らない(^^;
食事介助で食べ方が変わるのと同じように
対応で生活障害の現れ方も変わる
モチロン、ないものねだりはできないから
元通りになることはないし
暮らしの困難をゼロにはできないけれど
今よりは暮らしやすくなる
目指すのは
目の前のAさんがどうしたら
今よりも暮らしやすくなるように
再現性のある方法を
具体的現実的に伝えられることだと思う。
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セラピストがROM-Ex.をしています。
そのセラピストが言いました。
「〇〇さん、良くなりましたねぇ。
痛いって言わなくなりましたものねぇ。」
〇〇さんは言いました。
「痛いですよ。言わないだけ。」
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理解されなくても恊働できる。
もちろん、理解されたほうが恊働しやすいけれど
理解の結果に恊働があるんじゃなくて
恊働の結果に理解があるんだから
まず、現状でできる恊働をしていったらいいと思う。
恊働だって
いろいろな過程があって
どんな過程もみんな恊働じゃん?
恊働の在りようが違うだけで。
恊働を阻んでいるのは
OTが理解されないことじゃなくて
私たちが勝手に多職種連携の理想像を作って
そこから現実をマイナスで見ていることだと思う。
(余談だけど実習指導でも同じことが起きてると思ってる)
考えるべきは
私たちが恊働の役に立つように
… ということだと思う。
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前にも書いたけど
原典不明ですけど世界のあちこちで言い伝えられてる言葉
To hear is to forget
To see is to remember
To do is to understand
To find is to use
「体験したことは理解する」なんだよね。
チームで連携するにあたり
OTを理解してもらうのは
手段ではなくて結果なんだと思うよ。
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私たちがまず第一に考えるべきことは
対象者の方に対して役に立てること。
今よりも一歩役に立つことができればそれでいい。
二歩役に立てればもっといい。
三歩役に立てればさらにいい。
だけど
「一歩役に立つ」
って本当に難しいことだよね。
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