相手を直接的に変えようとするのは「修正」「改善」
「修正」も
「改善」も
どこかで「理想像」から「現状」を
差し引きマイナスで見ているということ。
つまり、「現状」の否定が行われている。
そのような意図で行われるものに対しては
「拒否反応」がはたらく。
けれど
相手の状況を変えるということは
現状を否定してはいないから
状況に要請されて相手の内部から「能動的変化」が起こる。
相手を直接的に変えるのではなく
結果として変わるように
相手の状況を変える。
3月 25 2013
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3月 19 2013
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3月 08 2013
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3月 07 2013
誰にだって
信頼する人はいると思うけど
顔見知りだからその人を信頼してるわけじゃないし
知ってる人だから、その人の言動を信用するわけじゃない。
人それぞれに
信頼のモノサシがあって判断してるんだと思う。
違うかな?
認知症があろうとなかろうと
その人のモノサシに叶うかどうかが問われているのであって
使われるモノサシは、その人の価値観そのものだから
相手の価値観を斟酌して体現することができて
あるいはその過程そのものの積み重ねが大事だと思う。
SDATアルツハイマー型認知症のある方は
その場の応答はかなり保たれる場合が多いし
DLBレビー小体型認知症やFTD前頭側頭型認知症のある方は
状態像の把握とそれに基づいた対応が問われる
その目的は、なじみの関係作りなんかじゃなくて
その人に対して適切に対応することができるようになるために
状態像を把握できるようになることなんだと思う。
その過程は、より深くより的確に…という意味では終わりはないよね。
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3月 06 2013
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3月 01 2013
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2月 28 2013
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2月 28 2013
農家の90歳のAさん。
車いすに座っているけど移動するのでフットプレートに足をのせてほしい。
そこで職員が言った言葉が「オミアシヲアゲテクダサイ」
Aさんは足をあげることができませんでした。
接遇は、とても大事だと思います。
「オミアシヲアゲテクダサイ」と声をかけた人は「敬語で接しよう」「丁寧に対応しよう」と心がけていたのだと思います。
でも、相手に伝わってはじめて「言葉」なのではないでしょうか。
言語理解力が低下している方に、伝わる言葉を意図的に選択して使用する。
「足、上げて」
認知症のある方の対応について、子ども扱いされた…などの批判があり、現状改善のためにも接遇が重要視されていることは知っています。
けれど、丁寧な言葉遣いは、えてして長文になりやすく動詞が修飾されて使われているために、言語理解力が低下している認知症のある方には伝わりにくいという現実もあります。
だから、職員は無自覚のうちにも伝わりやすい言葉を使っていたという過去があるのではないでしょうか。
ただ無自覚だったので、子ども扱いされたという批判に対して的確に説明することができなかったのではないでしょうか。
だったら、私たちがすべきことは、マニュアル的に表面的に敬語を使うことではなくて、相手が理解しやすいシンプルな言葉を意図的に選択する。と同時に言葉をシンプルにした分、表情や口調、しぐさというノンバーバルの部分で丁寧さを補うことを意識して工夫するということではないでしょうか。
接遇や声かけの大切さについては、誰も異論がないと思います。
でも「大切大切」と言っているだけでは目の前の方に接遇や声かけの大切さという理念を具体化することはできないと考えています。
接遇や声かけの大切さがスローガンになってしまってはいないでしょうか?
自分がしたいことを実践するのではなくて、相手が困惑しないで受けとめられるように伝え方の工夫をする。
その時その場のその関係性において意図的に選択する。
自分がしている対応と言語化(概念化)を合致させていく努力を積み重ねていく。
その過程こそが接遇であって、敬語で話す、○○すべしというマニュアル化された言葉を使うことが接遇ではないと考えています。
善かれと思って導入された接遇の概念が現場の対応を混乱させてしまうことがないように…接遇の概念に振り回されるのではなくて接遇の概念を対応に活用できるようにという本来の趣旨が現場に活かされることを、地道にではあっても一歩一歩積み重ねられていくことを願っています。
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