Tag: コミュニケーション

信頼のチカラ その3

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人は
今居る場での関係性の中に在るから
時には、周囲によって
自己信頼のチカラをそがれてしまうことだって起こりうる。

それって
私たちのギョーカイでも、対象者の方に対しても起こりうる。

認知症のある方に
不適切な30%程度の食事介助しかできない環境であれば
食べにくいのは認知症のある自分のせいかも。
と思わせてしまうかもしれない。
(現に、そう思ってる職員は少なくない)

そこに、もしも90%の適切な食事介助ができる職員がいれば
認知症のある方は、食べやすい!って感じることができる。
そして、食べにくかったのは自分のせいじゃないんだ
本当の私は、こんな風に食べられるんだ
って、自己信頼のチカラを感じることだってできるかもしれない。

少なくとも
その時その場において
90%の適切な食事介助ができる職員は
今のあなたは、これだけ食べられる能力を持っているんですよ。
私にはそのことがよくわかっていますよ。
頑張りましょうね。
というメッセージを無言のうちに
でも、はっきりと伝えることができる。

自分で自分のチカラを信頼できること。
そして、自分の他に信頼してくれる人がいるということ。

それは、暗闇の中で灯された灯

たとえ、どんなに小さな灯でも
周囲の暗闇が深ければ深いほど
その灯の明るさは、一層明確に目に映る。

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信頼のチカラ その2

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セラピストが対象者の方の能力を信頼できなければ
対象者の方が良くなるわけがない。

セラピストが「プロ」として
対象者の能力を適切に「評価」できれば
能力を信頼できないわけがない。

能力を信頼する…っていうことは
全面的に盲信するのとは、まったく違うことで
根拠を明確に確信したうえでの信頼なんだよね。

精神科作業療法に従事する人や
認知症のある方に接する人に
今一番求められているコトは
適切な評価に基づいた確信の上に成り立つ信頼を
対象者に抱ける…ということなんじゃないだろうか。

そういう信頼の有無って
まちがいなく相手に伝わってしまうものだと感じています。

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信頼のチカラ

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たったひとりでいいから
心底信頼できる人がいれば
世界は全く異なって見えてくる。

個人的なことに置き換えてもそうだし
リハの世界だってそうだと思う。

時々聞かれる…というか
相談というカタチでグチをこぼされるのが
「自分はそう思うけど、他の職種が…」とか
「チームワークがとれないから患者さんもよくならない」とか
というパターンがすっごく多いんだけど

その人がそう言ってる時点で
対象者のチカラを本当には信頼してない
って言ってるのと同じように私には聞こえる。

連携するのは
より早くより適切により効果的に
対象者の方が良くなるためだから
連携そのものが目的じゃない
本当は。

連携できるに越したことはないけど
でも、連携できないから対象者の方が良くならない
というのは手段・方法の目的化による誤解・すり替え
だと考えています。

自分1人でも
今、60%のことができているんだったら
80%のことができるように
そっちのが先

そして
当たり前のことだけど
他者は
60%のことしかできない人よりも
80%のことを為してる人の話に耳を傾けるし
60%のことしかできない人よりも
80%のことを為せる人に担当してもらいたいよね。

目の前にいる方から
信頼されるに足る自分で在るように
そっちのが先なんだと考えています。

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おせっかいだけど

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ここにこれから書くことは
すごくおせっかいなコトだけど

物語を読むのって
物語の世界との対話であり
著者との対話であり
自分自身との対話でもあるから
その時々の自分で読み取れることしか読み取れない。

その時その場のその関係性においての対話という
唯一の関係性が成立してる。

逆に言えば
そういう「関係性」の中に
自分自身の身を浸すことだから

作業療法士として
あるいは他の職種でも
ナラティブとかSDM(Shared Decision-Making)とか
もしも、本当にそういった方向性を目指したいなら
あるいは、Act.選択の適切性に悩んでいるなら
知識やツールの習得ではなくて
自分自身が「物語」を「読む体験」をするといいと思う。

リハに関わる世界にいる人で
「物語」を読んでる人って
そんなに多くない印象を抱いています。

だから
対象者の方の物語も読みにくいんじゃないかなぁ。

だから
SDMの扱われ方が
単なるツールに堕してしまうんじゃないかと

目の前にカタチとして提示されてる物語が読めないのに
目の前に存在している人の
カタチとしては提示されていない物語が読めるのか?
… それは、難しいよね (^^;

本気でそう思っています。
おせっかいなコトだけど。

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POSTインタビュー その3

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POSTさんへのインタビュー その3が掲載されました。
http://1post.jp/2015/12/07/interview143_sato_yoshie03/

インタビューはこれで完結ですが
新たに、私の連載も決定しました!
ありがたいことです。
嬉しいです。

テーマは食事介助。

最重度の認知症のある方でも
スプーン操作を変えるだけで劇的に食べ方は変わります。
そのようなケースは枚挙にいとまがありません。

脳の萎縮が少ない、健康な部分が多いお年寄りなら
もっと早く、もっとラクに行動変容が起こります。

「認知症のある方がうまく食べられないのは仕方ない」
「認知症のある方の誤嚥性肺炎は仕方ない」

あからさまに言われているけれど
本当はそうじゃない。絶対に。

これには留保がついています。
そのことを私たちが忘れています。
「私たちが適切な食事介助ができなければ」…という
私たちの側の問題という前提要件が見落とされています。

私たちの側の問題であれば
私たち自身で解決・改善することが可能です。

そのことを1人でも多くの方にお伝えしたいと思っています。
連載記事掲載まで今しばらくお待ちください m(_ _)m

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感受と思考は継続し判断は保留

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なかなか、できそうでできないコト。
でも、とっても大切なコト。

わからないことに出会った時には
感受と思考は継続し判断は保留する

実践している人に出会えると
尊敬します。

わからないことに遭遇すると
焦ってしまって
なんとか、答えを見つけようとして
その場でふと目についたり拾えたりする
「コタエもどき」のモノに手を出してしまいがち

でも、こんなに無責任・不誠実なコトはない。

今確実にわかっているコトを手がかりに
眼を開いて耳を澄まして、聴き続ければいいだけなのに。

肝心なことは
聴いてみなければ、わからないのに
案外、聴きそびれていたりする。

それは、私たちの側の問題だから
私たちで解決少なくとも改善できる問題だと思う。

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暗黙に置いている前提要件

我慢のしどころ

暗黙に置いている前提要件を明示する。

案外、落とし穴になっていることだと感じています。
誰かと議論する時でも
講演などでお話する時でも

結果としての意見同士をやりとりしている時に
意見の相違ではなくて
実は、双方が暗黙のうちに設定している前提要件が異なっている
ということが結構あります。
そりゃー意見だって異なりますよね (^^;

そういう時には
それぞれが自明だと思っていて疑うこともない
暗黙のうちに設定している前提要件を確認すると
理解が進むことがあります。

逆に言えば
自分が話をする時には
できるだけ前提要件を明示しながら話すように気をつけたり
相手の話を聞く時には
できるだけ前提要件を推測しながら聞くようにすると
「話がわかる」ようになったりすることがよくあります。

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システムの扱い方の問題

我慢のしどころ

システムの扱い方の問題なのに
違うシステムに交換しちゃえば
問題解決できるかのような認識が問題だと思う。

結局、同じコトが違うカタチで現れるだけ。なのに。

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