Tag: コミュニケーション

POST連載記事2

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「POST 現役理学療法士によるリハビリ職者のためのサイト」に
私の連載記事vol.2が掲載されています。
http://1post.jp/2016/01/04/interview_ot_dementia_colum02/

今後の記事の導入となる内容になっています。
よかったらお立ち寄りください。

POSTさんのFacebookに
私の食事介助のセミナーに参加した方が
コメントを寄せてくださっていて
職場で実践したら、食べ方が変わった、ムセが減った
って記載されていて本当に嬉しかった。

一度の体験で自分の介助方法を変える
ということは実は案外難しいことですが
その方は、まず自ら行動変容することができたから
対象者の行動変容も援助することができたのだと思います。
その過程は本当にすごいことだと思いますし
そのきっかけになれたとしたら、私は本当に嬉しく思います。

こんな風にして
認知症のある方が
1人でも多く、より安全によりラクに
食べられるようになったら、いいな。

そして
その過程において
援助する人たちが
認知症のある方の能力と脳の可塑性に眼を向けて
他の場面にも展開していってくださることを
心から願っています。

あー私も負けていられない!
がんばるぞー p(^^)q

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信頼のチカラ その4

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周囲がわかってくれない
連携がとれない
その辛さは、本当によくわかります。
イヤというほど、経験してきましたもの。

だけど
だからこそ
あなたがガンバル価値がある。

「関わり方を統一する」
そんな必要性は本当はない。
結果としてそうなることはあるだけで。
方向性を統一することは必要だけど。
人は、その時その場のその関係性の中で生きている。
あなたも私も認知症のある方も。

「職員が違う関わり方をして混乱しないだろうか?」
職員の対応を、環境・入力刺激として位置づければ
対応の違いからこそ、学べることだってある。
少なくとも
人によって自分の行動(たとえば食べやすさ)が変わるんだ
ということを明確に体感することができる。

認知症のある方は、何もわからない
という視点に立つのではなくて
認知症のある方は、難しいことも
失ってしまって取り戻すことが困難なこともあるけど
「イマ、ココ」のことはわかっている、感じている
という視点に立てば
異なる問いを立てることができる。

今までは、私たちが立てた
問いのカタチが適切でなかったから
コタエが見つからなかっただけということもある。

認知症のある方の
ケアやリハの分野で常識的に言われていることの中には
たくさんの誤解があります。
一見正しそうにみえる、でも、よくよく考えてみるとおかしなことを
盲信してはいけない。

目の前にいる人こそが最前線。

「自分ひとりが頑張ったって仕方がない」
そんな風に感じることだってあるかも。ですが。
そんなことは決してない。
たった1人でも正当な関わりができるのであれば
それは間違いなく目の前にいる方に伝わり
目の前の方に必ず行動変容が起こる。

そして、その時に、
その行動変容に気がつく人が必ず出てくる。

その1人の存在に、どれだけ励まされるか。

1人が変わる
ひとりでも変わる

そのチカラは、本当に大きな一歩なんです。

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信頼のチカラ その3

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人は
今居る場での関係性の中に在るから
時には、周囲によって
自己信頼のチカラをそがれてしまうことだって起こりうる。

それって
私たちのギョーカイでも、対象者の方に対しても起こりうる。

認知症のある方に
不適切な30%程度の食事介助しかできない環境であれば
食べにくいのは認知症のある自分のせいかも。
と思わせてしまうかもしれない。
(現に、そう思ってる職員は少なくない)

そこに、もしも90%の適切な食事介助ができる職員がいれば
認知症のある方は、食べやすい!って感じることができる。
そして、食べにくかったのは自分のせいじゃないんだ
本当の私は、こんな風に食べられるんだ
って、自己信頼のチカラを感じることだってできるかもしれない。

少なくとも
その時その場において
90%の適切な食事介助ができる職員は
今のあなたは、これだけ食べられる能力を持っているんですよ。
私にはそのことがよくわかっていますよ。
頑張りましょうね。
というメッセージを無言のうちに
でも、はっきりと伝えることができる。

自分で自分のチカラを信頼できること。
そして、自分の他に信頼してくれる人がいるということ。

それは、暗闇の中で灯された灯

たとえ、どんなに小さな灯でも
周囲の暗闇が深ければ深いほど
その灯の明るさは、一層明確に目に映る。

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信頼のチカラ その2

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セラピストが対象者の方の能力を信頼できなければ
対象者の方が良くなるわけがない。

セラピストが「プロ」として
対象者の能力を適切に「評価」できれば
能力を信頼できないわけがない。

能力を信頼する…っていうことは
全面的に盲信するのとは、まったく違うことで
根拠を明確に確信したうえでの信頼なんだよね。

精神科作業療法に従事する人や
認知症のある方に接する人に
今一番求められているコトは
適切な評価に基づいた確信の上に成り立つ信頼を
対象者に抱ける…ということなんじゃないだろうか。

そういう信頼の有無って
まちがいなく相手に伝わってしまうものだと感じています。

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信頼のチカラ

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たったひとりでいいから
心底信頼できる人がいれば
世界は全く異なって見えてくる。

個人的なことに置き換えてもそうだし
リハの世界だってそうだと思う。

時々聞かれる…というか
相談というカタチでグチをこぼされるのが
「自分はそう思うけど、他の職種が…」とか
「チームワークがとれないから患者さんもよくならない」とか
というパターンがすっごく多いんだけど

その人がそう言ってる時点で
対象者のチカラを本当には信頼してない
って言ってるのと同じように私には聞こえる。

連携するのは
より早くより適切により効果的に
対象者の方が良くなるためだから
連携そのものが目的じゃない
本当は。

連携できるに越したことはないけど
でも、連携できないから対象者の方が良くならない
というのは手段・方法の目的化による誤解・すり替え
だと考えています。

自分1人でも
今、60%のことができているんだったら
80%のことができるように
そっちのが先

そして
当たり前のことだけど
他者は
60%のことしかできない人よりも
80%のことを為してる人の話に耳を傾けるし
60%のことしかできない人よりも
80%のことを為せる人に担当してもらいたいよね。

目の前にいる方から
信頼されるに足る自分で在るように
そっちのが先なんだと考えています。

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おせっかいだけど

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ここにこれから書くことは
すごくおせっかいなコトだけど

物語を読むのって
物語の世界との対話であり
著者との対話であり
自分自身との対話でもあるから
その時々の自分で読み取れることしか読み取れない。

その時その場のその関係性においての対話という
唯一の関係性が成立してる。

逆に言えば
そういう「関係性」の中に
自分自身の身を浸すことだから

作業療法士として
あるいは他の職種でも
ナラティブとかSDM(Shared Decision-Making)とか
もしも、本当にそういった方向性を目指したいなら
あるいは、Act.選択の適切性に悩んでいるなら
知識やツールの習得ではなくて
自分自身が「物語」を「読む体験」をするといいと思う。

リハに関わる世界にいる人で
「物語」を読んでる人って
そんなに多くない印象を抱いています。

だから
対象者の方の物語も読みにくいんじゃないかなぁ。

だから
SDMの扱われ方が
単なるツールに堕してしまうんじゃないかと

目の前にカタチとして提示されてる物語が読めないのに
目の前に存在している人の
カタチとしては提示されていない物語が読めるのか?
… それは、難しいよね (^^;

本気でそう思っています。
おせっかいなコトだけど。

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POSTインタビュー その3

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POSTさんへのインタビュー その3が掲載されました。
http://1post.jp/2015/12/07/interview143_sato_yoshie03/

インタビューはこれで完結ですが
新たに、私の連載も決定しました!
ありがたいことです。
嬉しいです。

テーマは食事介助。

最重度の認知症のある方でも
スプーン操作を変えるだけで劇的に食べ方は変わります。
そのようなケースは枚挙にいとまがありません。

脳の萎縮が少ない、健康な部分が多いお年寄りなら
もっと早く、もっとラクに行動変容が起こります。

「認知症のある方がうまく食べられないのは仕方ない」
「認知症のある方の誤嚥性肺炎は仕方ない」

あからさまに言われているけれど
本当はそうじゃない。絶対に。

これには留保がついています。
そのことを私たちが忘れています。
「私たちが適切な食事介助ができなければ」…という
私たちの側の問題という前提要件が見落とされています。

私たちの側の問題であれば
私たち自身で解決・改善することが可能です。

そのことを1人でも多くの方にお伝えしたいと思っています。
連載記事掲載まで今しばらくお待ちください m(_ _)m

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感受と思考は継続し判断は保留

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なかなか、できそうでできないコト。
でも、とっても大切なコト。

わからないことに出会った時には
感受と思考は継続し判断は保留する

実践している人に出会えると
尊敬します。

わからないことに遭遇すると
焦ってしまって
なんとか、答えを見つけようとして
その場でふと目についたり拾えたりする
「コタエもどき」のモノに手を出してしまいがち

でも、こんなに無責任・不誠実なコトはない。

今確実にわかっているコトを手がかりに
眼を開いて耳を澄まして、聴き続ければいいだけなのに。

肝心なことは
聴いてみなければ、わからないのに
案外、聴きそびれていたりする。

それは、私たちの側の問題だから
私たちで解決少なくとも改善できる問題だと思う。

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