ここにこれから書くことは
すごくおせっかいなコトだけど
物語を読むのって
物語の世界との対話であり
著者との対話であり
自分自身との対話でもあるから
その時々の自分で読み取れることしか読み取れない。
その時その場のその関係性においての対話という
唯一の関係性が成立してる。
逆に言えば
そういう「関係性」の中に
自分自身の身を浸すことだから
作業療法士として
あるいは他の職種でも
ナラティブとかSDM(Shared Decision-Making)とか
もしも、本当にそういった方向性を目指したいなら
あるいは、Act.選択の適切性に悩んでいるなら
知識やツールの習得ではなくて
自分自身が「物語」を「読む体験」をするといいと思う。
リハに関わる世界にいる人で
「物語」を読んでる人って
そんなに多くない印象を抱いています。
だから
対象者の方の物語も読みにくいんじゃないかなぁ。
だから
SDMの扱われ方が
単なるツールに堕してしまうんじゃないかと
目の前にカタチとして提示されてる物語が読めないのに
目の前に存在している人の
カタチとしては提示されていない物語が読めるのか?
… それは、難しいよね (^^;
本気でそう思っています。
おせっかいなコトだけど。
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