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視点の違い「立ち上がり」体験談

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私は筋力強化はしません。
立ち上がりと座ることを介助しながら練習します。

たとえば
何回も繰り返してからようやく
立ち上がれていた認知症のある方が
この方法を5回練習したら
自分でスッと立ち上がれるようになったのです。

5回で筋力はつきませんよね?

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視点の違い「立ち上がり」の現実

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たとえば。。。「立ち上がり」でも
「食事介助」と同じことが起こっています。
カンタンなこと、ジョーシキ、誰でもできる
。。。と思われています。

立ち上がりができなくなるのは
筋力低下のためって思われています。
だから、筋力強化しましょう。
立ち上がりの練習をしましょう。って。

でも
私が老健に勤務している時に
一日に何回も自分でトランスファーしていたのに
専門家のPTが週に2回も個別リハをしていたのに
立ち上がりができなくなってしまった方がいて
その方に私が立ち上がりの練習をしたら
もう一度立ち上がれるようになった
そういう方が何人もいたのです。

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BPSDへの対応とその視点・考え方

BPSDへの対応とその視点・考え方徘徊や暴言、暴力、異食や大声等のBPSD(Behavioral and Psychological Smptoms of Dementia:認知症の精神・行動症状)は、ご本人も介助者も困ってしまいます。
タイトルに引かれてこのサイトを訪れてくださった方は、きっと今何かしらの困りごとを抱えておられるのではないでしょうか。
ケアの分野でよく言われているようなことは一通り試してみたけれど、なかなか現実が変わらない…どうしたらいいのだろうかと思い悩んでおられるのではないでしょうか。
「認知症のある方が言っていることは否定しちゃいけない」って言うけど、じゃあいったい何て言ったらいいんだろう?って思いませんか?介助者が我慢だけを積み重ねたり、嘘をついて迎合したりするのってやっぱりヘンだって思いませんか?

BPSDに対して、多くの人が「問題視」して現状をなんとか修正・改善しようとして「対応策」を考える…というのが現在のケアの常識のように感じています。でもその立ち位置は、現実的に私はあまり有効ではないと感じています。そのような方法論が依拠する視点、考え方に疑問も抱いています。
私が有効だと実感しているのは「BPSDも状況・場面に対するアウトプット」だという考え方です。「BPSDは能力があるからこそ起こる」「能力の現れ方が不合理なだけ」「BPSDの原因などわからない。その場面でその人にとって必然をもって起こる」「より合理的なアウトプットのために能力を活用する」という視点、考え方です。

リハの分野でもケアの分野でも相互関係論であるICFをとりいれるという考え方は常識になっていると思います。このことに異論がある人はいないと思います。
けれどBPSDの原因を探索し原因に対応するという考え方は因果関係論であるICIDHそのものです。片方でICFを提唱しながら片方でICIDHに基づく方法論を提唱するというのは合理的な考え方とは思えません。
このように一見もっともな、でもその実不合理な現状に違和感を抱いている人は本当は私だけではないと思います。ただ言語化できないから、言われていることが何となく変だと思いつつもどこがどう変なのかわからない。ただ違和感だけはずっと残っている…。違うかな?

具体例を挙げて考えてみたいと思います。
たとえば、食事場面におけるBPSDは案外多いものです。
口を開けてくれない、スプーンを噛んでしまう、大声などのBPSDは職員なら一度は遭遇したことがあるのではないでしょうか。
介護保険下のさまざまな施設で「BPSDを改善」しようと思って「不安や不快の原因を探索」「親切丁寧に優しく接する」「褒めてあげる」ことを一生懸命しても状態が変わらなくてほとほと困ってしまった…という方に接するのが今の私の職場です。
つまり、現在の常識と言われている対応をしても「BPSDを改善」することはできなかった方が対象者なのです。
私は、今、障害と能力を把握する・能力を合理的に表出できるように再学習を促すという視点に立って、具体的に指導することで結果としてBPSDが改善されるという体験をたくさんしています。そしてそれは私以外の職員でも再現できることなのです。もともとご利用されていた施設の職員やご家族でも再現できます。
ここで大切なことは、これらの現実が意味していることです。
つまり、重度の認知症のある方でも学習できる、学習しているのだという現実です。

食事の時に口を開けてくれない、舌で食塊を押し出してしまうという方が職員の介助に合わせて口を開けてスムーズに食べられるようになりました。
食べたくない、不快や不安なことがあってそうしているのではなくて、食べようとするとそのような食べ方しかできなかった。それに対して介助者が適切な対応ができなかった。なぜなら介助者がご本人の障害と能力をわからなかったからなのです。
ここで再確認をしておきたいと思います。
認知症というのは脳の病気です。
脳の病気によって起こる生活障害です。
脳卒中後遺症のある方に「褒めてあげる」「かまってあげる」「親切丁寧に接する」なんて考え方でリハやケアを提供している方はいないはずです。
同じ脳の病気なのに、なぜ認知症だけそうなってしまうのでしょう?
今、本当に求められているのは「BPSDをなくす方法論」ではなくて「BPSDというカタチであらわれている生活障害を障害構造として適切に把握し、不合理な現れ方をしている能力を、合理的な現れ方で活用できるように再学習を促す」という視点の変換なのではないでしょうか。

口を開けてくれない、舌で食塊を押し出す…という方は、協調性が低下していました。身体の唇、舌、顎を上手に連動させることが難しかったのです。
また、保続という症状もあったので不適切なパターンを自分では断ち切ることができずにいました。コップからの水分摂取はより適切なパターンで摂取できていたので、食べようとして不合理な食べ方になっている時には水分摂取をしてから食事を介助するようにしました。細かい過程をはしょって簡単に書いていますが、このような過程を経て適切に食べられるようになったのです。

もちろん再学習ですから新たな食べ方が定着するまでには時間がかかります。
途中必ずできたりできなかったりする過程があります。
変化の兆しが見えても一足飛びに変わるわけではないという認識を共有化しておくことが重要です。
そして、この間ご本人の気持ちを支えることも大切です。
それでいいのだと。このままで大丈夫なのだと。
直接言葉にしたり、言葉にならないもう一つの言葉で伝え続けることによって再学習の過程を支えることができます。
また、再学習の援助が適切に行えなければよけいに時間がかかるだけでなく逆戻りしてしまいます。まずは私たち職員が再学習の過程を妨げないことが第一優先なのです。

そのために私たち職員はもっと認知症という病気を勉強しなければなりません。
病気がわからなければ症状や障害を把握できない。
表面に現れている状態像に投影されている障害を把握することができません。障害を把握することができなければ、障害と表裏一体の能力を把握することもできません。不合理な現れ方をしている能力を合理的なアウトプットへと再学習を促すことができません。
表面的な大まかなBPSDとしての現れ方だけを見て、表面的に対応を考えるという非常に大雑把な現状だからこそ、適切な援助ができないだけなんだと考えています。(徘徊している方に対して、女性ならばタオルたたみをしていただく…というような在り方はもう終わりにすべきだと考えています)

私は現状を非難したくてこの文章を書いているわけではありません。
私たちが変われば、認知症のある方やご家族や職員が必要以上に困惑する現状を変えることができるということを伝えたいのです。
(モチロン、ゼロにはならないでしょうけれど、少なくとも今よりは良くなると確信しています)

「学問に王道なし」という言葉がありますが、認知症のある方に対して適切な援助ができるようになるための早くてラクな近道などはありません。

確認ですが、認知症という単一の疾患があるわけではありません。
認知症という状態像を引き起こすさまざまな疾患があります。
4大認知症と言われている疾患を挙げることができますか?
4大認知症と言われている疾患のそれぞれの症状を明言することができますか?
これができなければ適切な援助などできようはずもありません。
答えられなかった方は、まずは、最低限これら基礎知識から勉強しましょう。
脳卒中後遺症でどのような症状が出るのか知らずに、リハやケアに従事している人はいないと思います。同じように認知症の症状を知らずに適切なリハやケアができるわけがありません。
「認知症のある方へのリハやケアは難しい」という声をよく聞きますが、私に言わせれば知識がないからです。だったら知識を習得すればいいだけなのです。
図書の紹介は既にこちらのコンテンツでお示ししています。
「老年期認知症ナビゲーター」http://kana-ot.jp/wp/yosshi/261
講演の時にご紹介している本は「認知症テキストブック」中外医学社 です。
今からでも決して遅くはありません。是非お手にとっていただきたいと思います。

私は、認知症のある方へのリハやケアがより良いものになっていくことを心から願っています。
キーワードは「能力を活用する」だということを実感しています。
重度の認知症のある方でも、生きている限り能力がある。能力を発揮して生きている。
ただ現れ方が不合理なだけだということを。
同時に、ないものねだりはできない。失われてしまったことを取り戻すことはできない。ということも痛感しています。
だからこそ、今できている能力を大切にしたい。埋もれていて表面に現れない、不合理な現れ方しかできない能力を見い出し、活用できるようになりたいと願っています。

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非薬物療法と薬物療法

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非薬物療法と薬物療法は車の両輪。
どちらも大事。

非薬物療法が有効に機能して初めて
薬物療法を活用することができる。
非薬物療法が有効に機能しなければ
薬物療法に依存しなければならなくなってしまう。

そんな状況は誰にとっても哀しいことでしかない。

だとしたら
非薬物療法の有効性を現実に具体的に
示せるようにならなければ。。。
その思いを新たにしました。

中日メディカルサイト つなごう医療
「認知症の周辺症状治療 向精神薬使用に指針」
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130904142947279

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何が起こっていたのか

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短期記憶が著明に低下している方は
座ってと言われた瞬間は理解できているけれど
いざ、座ろうとして身体の向きを変えて
視界からイスが見えなくなったら
イスの存在を「忘れてしまう」
動作誘導をされた時には
座るためにしゃがむんだ…ということを
「忘れている」ので
動作誘導が動作誘導として理解されずに
「押される」として受けとめてしまいます。

そしたら、当然嫌がりますよね。
ひっくり返りそうで怖いですもの。

ところが、このような場面を
介助者がどのように受けとめるかというと…

続きはまた明日!

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観察から症状を見いだす

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認知症のある方の症状が
どんな風に暮らしの困難となって現れているのか
介助者が本当にはわかっていないことによって
悪循環になってしまっていることって
すごくたくさんあります。

症状そのものは知っている
目の前に起こっていることは見えている
でも、起こっていることと症状とを
結びつけて考えることができない。という…

たとえば
「イスに座って」と声をかけたら
「はい」って言われたのに
座っていただくために動作誘導をしたら
突然怒り出してしまった。とか。

さて、何が起こっていたのでしょうか?
続きは明日!

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能力は状況と程度によりけり

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学生に対しても
認知症のある方に対しても
能力は状況と程度によりけり発揮される
と考えています。

だから
「できない」と言ってるだけじゃなくて
どうしたらできるか、考える。

どうしてできないのか原因を考える
のではなくて
どうしたらできるようになるのか
これからを考える。

どうしたら、を考えるのには
場面設定ーどういう状況でならどのくらい
できるか…ということを考える。

これって当たり前のようでいて
案外とても大事なことです。

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対応の工夫の誤解

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対応の工夫はとても大事だと思ってる。
でも、それは認知症のある方に対して
どうしたら目の前のAさんに伝わりやすくなるか
ということであって
目の前のAさんをcontrolしたいわけではない。
決して、Aさんに言うことをきかせたり
従えたいわけではない。

そこを誤解している人は
Aさんが何も「問題行動」をしていない時には
Aさんに何の対応もしなかったりするよね。

「問題行動をするAさん」としてAさんのことを見ていて
Aさんが困ったこともする…とは見てないよね。

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