Tag: 多職種連携

チームワーク:使う場所に情報提示



例えば
ポジショニングなどは
写真に撮ってポイントを書き込んだものを
使う場所に提示しておくようにしています。

今は電子カルテになったので
申し送りの時にカーデックスを使用することはなくなりましたが
カーデックスを使用していた時には
そこに同じものを挟み込んで情報提供
この目的は「ポジショニング設定をした」ということの共有化で
設定方法ではありません。

これで終わってしまうと
いざ、看護介護スタッフがポジショニングしようとした時に
「あれ?どうだっけ?」となってしまいます。
忙しいスタッフがわざわざスタッフルームまで戻って確認するのは申し訳ないし
ポジショニングをしながら細部まで確認しながら設定してもらうためには
「使う場所」にも情報を提示しておくことが大切だと考えています。

例えば
ベッド上のポジショニングならベッド周りに
車椅子上のポジショニングなら車椅子のバックレストのポケットに

情報を発信することは、こちらの責務
活用してもらいやすいカタチで発信することが大切だと考えています。

 

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チームワーク:対象者が変える



たった1人でも
自分だけでも
認知症のある方に、本当に適切なことができれば
どんなに重度の認知症のある方でも「変化」が起こります。

鋭敏な人、観察している人にはすぐわかってもらえる。

小さな変化が積み重なって
大きな変化となれば
否応もなく誰もが認めざるを得なくなります。
(それでも否定する人は、その人に問題があるのであってこちらの問題ではない)

対人援助職の人は
基本的には優しい人が多いから
相手が変われば変わったなりの対応をするようになります。

「人は環境の生きもの」「人は環境の子」と言われていますが、まさしく。
認知症のある方にとっても
職員にとっても

だから
たった1人でも
自分ひとりだけでも変わることの意味はある。
自分自身が適切な対応ができるようになることの意味はとても大きい。

適切な対応ができる人が増えれば増えるだけ
もっと有意義になってくる。
そのための連携、チームワークなんだと考えています。

 

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チームワーク:1人でも実践



まずは自分が適切な実践をできるようになること
たった1人でもいいから

自分ひとりが頑張ったって
って思ってる人がいるかもだけど
そうじゃない。

たった1人でも
適切な実践ができているなら
それは認知症のある方にとって大きな意味がある。

認知症のある方は
「自分はバカだから」
「私は何もわからないから」
「パーになっちゃった」
とおっしゃいます。

軽度の方はもちろん、BPSDの激しい方やすぐに忘れてしまう重度の方でもおっしゃいます。
異食をする方や大声で叫ぶ方でもおっしゃいます。
いろいろな状態像方がそうおっしゃるのを聞いてきました。
現在進行形でも聞いています。

「認知症のある方は病識がない」って言われていますが
それは違うと感じ考えています。
(これについてもまた別の記事で書いていきます)

認知症のある方が
自身のできなさ、わからなさへの困惑や不安の言葉を聞いたことがないのなら
それは認知症のある方があなたの状況を慮ってくれているか
(忙しそうだから親切なこの人を困らせるようなことを言ってはいけない)
あるいは、その真逆
(この人に言っても仕方ない、この人には言いたくない)
と思われているのだと思います。

私たちだってそうだと思う。
自分が信頼している人に相談したい、話を聞いて欲しいと思っても
目の前で忙しそうにして大変そうにしていたら
また別の機会にしようって考えるでしょう?

逆に
一見話を聞いてくれてるようで実は上の空で聞いてるフリだけしてて
話を聞いてもらえてる実感がなかったり
いい加減にあしらわれてると感じるような人には
本当に大切なことは話そうとは思わないでしょう?

多分
このブログを読んでくださっている方は
「認知症のある方は本当に職員をよく観ている」
って感じたことのある人だと思います。

これから書くこともそういうことかって思ってもらえるんじゃないかな。

もしも
自分が本当に認知症のある方に適切な対応ができたら
認知症のある方は間違いなくそのことを感受する。
そして、できなかった、ダメだった、うまくいかないのは
自分じゃなくて、できない・ダメな・うまくいかない相手との関係性のせいで
自分のせいじゃない。
自分はちゃんとできる、こんなにもできるんだって感じることができます。

それはとてもとても大きなことで
適切な対応ができる人が1人いるのと、1人もいないのとでは
認知症のある方の世界が180度変わります。

まずは
自分が最初の1人になること

それを観て
2人目になろうとする人が必ず現れる
本当に適切な対応であれば。

周りを変えるのではなくて
まずは、自分が最初の1人になること
自分のでき方を30%、50%、70%、90%と精度を上げていくこと

チームワークは
認知症のある方により有益なことができるようになる手段・方法であって
目的ではない。

誤解のないように補足すると
もちろん、チームワークが有効に機能すればそれに越したことはない
連携を否定しているわけではありません。

でも、その連携の土台となる最も重要なことを抜きにして
連携を唱えられても疑問にしか思えない。
30%しかできていない人たちが集まって「方法の統一」なんかされたら
認知症のある方は、苦しくて辛くてたまらないんじゃないかと思ってしまいます。

たった1人でも実践することの意味は
もうひとつあります。
それは次の記事で。

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チームワーク:手段の目的化



私が学生のウン10年も前から言われていた
チームワークの大切さと困難さ
古くて新しい課題

認知症のある方への対応について
他の人や他の職種とも連携して関わっていきたいという願いは正当と考えますが
でも、連携は手段であって目的ではありません。

「対応の統一」という言葉を聞いたことのない人の方が多いでしょうけど
私は「方針の統一は必要だけど、対応の統一は、かえって有害」と考えています。
(このことはまた別の記事に)

なぜチームワークが大切なのか
認知症のある方へ適切な対応ができる人が1人よりも2人、2人よりも3人いた方が
認知症のある方にとって有益だからです。

適切な対応ができる人を増やしていくことが目的として重要。

手段・方法と目的のすり替えは
あちらこちらで散見されていることですが
チームワークが目的化してしまっては本末転倒です。

認知症のある方へ適切な対応ができる人を1人ずつ増やしていく
この過程はもどかしいように感じられるかもしれませんが
この過程は認知症のある方にとっても意味があります。

それは明日また。

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チームワーク:前提の共有



講演後の質問で必ずといっていいくらい聞かれるのが
「他の人や職種の人に伝えるのにどうしたらいいでしょうか?」
「先生の話はよくわかるけど他の人は理解がない人もいるんです」
といった質問です。

気持ちはよくわかります。
私の話を聞いて理解してくれたからこそ
みんなに伝え実践して認知症のある方に寄与できるようになりたい
という志は本当に嬉しく心強く思います。

でも
「知る」≠「わかる」≠「できる」

私の話を聞いてわかっても、同じように実践できるとは限らない。

実践を伴わない言葉には、チカラがない。

まずは、自分が実践できるように。

認知症のある方は
関わり方によって変わってくるんだ
という体験を共有することが必要。

自分の関わりと、あの人との関わりとでは
認知症のある方の言動が違ってくるんだ
という異なる現実、もう一つの現実があるんだという
「どうしたら良いのか」という検討の前提要件を共有することが非常に重要だと考えています。

異なる前提、異なる体験を自覚せずに共有しなければ
検討のための意見が異なって当たり前です。

まずは、自分が認知症のある方の能力を80%引き出せるようになる。
実践してみせられるようになる。

そっちが先でそっちが重要
といつもお答えしています。

その理由は、もうひとつあります。
それは次回に。

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スタッフへの広め方



「OTジャーナル」を読んで下さった方
あるいは私の話を聴いてくださった方から
最近立て続けに、スタッフへの広め方について
お問い合わせをいただきました。

きっと他にも同じように思っている方がいるだろうな
と思ったので書いてみます。

スタッフへの広め方は大きく分けて2つ
1)自分が実践できるようになる
2)元ネタを一緒に見て今後をこれから一緒に考える
どちらかになるのではないでしょうか。

例えば
新しいトランスファーの方法論を知った
これはいい!と思った時にどうしますか?

私だったら、まず、自分が実践できるように練習します。
それから、こんな風なやり方も開発されているそうです。
とスタッフに知らせます。

状況によっては2)の方法もとれると思います。
スタッフの中にトランスファーに関する理解と力量が
自分と大きく変わらない人がいる場合には
元ネタをその人に一緒に見てもらうことから始めます。

認知症だからといって何も特別なことはありません。

たぶん「広めたい!」と思ってくださった方は
私の話が説得力をもって伝わったのだからこそだと思うので
とても嬉しく思います。

これから広まっていくことを心から願っています。

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説明より実践

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自分が体験したことのないことは理解できない。

そういうものなのだと思います。

私はいろいろなところで
「重度の認知症のある方でも介助を変えるだけで食べ方が変わる」と言っていますが
ある時に正面きって
「にわかには信じ難い」
と言われたこともあります。

そのくらいその人の職場で起こっていることと
私の話つまり実践とは乖離があるのだろうな
と思いました。

でも目の前で起きていることは誰も否定できません。

「認知症なんだから誤嚥性肺炎は仕方ない」
とこれまた私の目の前で言われたこともありますが
そういう時には何も言いません (^^;

そのかわり、内心今に見てろと思います。
そして仕方ないと言われた人の食べ方が良くなった時には
内心、ザマーミロと思っています (^^;

仕方ないのは、認知症のある方じゃなくて能力を見いだせなかったあなたなんだと。

スミマセン。
毒吐き女で。

だって悔しいじゃないですか。
「仕方ない」認定をこんなに軽々しくしちゃっていいんでしょうか。
私たちができる最善を尽くした後に初めて言えるセリフなんじゃないでしょうか。

これでも私も今までいろんなところでいろんな人にいろんなことを言われてきました。
でもその時その場ではそういう人には何も言わない。

言うことよりも
現実を変えることに努力します。
説明するより実践で証明してみせます。

現実が変わっても話を聴こうともしない人だっていますが
少なくとも表立って反対意見は言えなくなります。
だってみんなが変化を見ているんですもの。

それで十分なんです。
その先の話を聴いてくれる人も聴いてくれない人もいますが。

大切なことは
目の前にいる対象者の利益であって
相手をギャフンと言わせることじゃない。
相手におっしゃる通りです。よくわかりました。と言わせることでもない。
協力してくれなくても全然いいです。
足だけはひっぱらないでもらえればそれでいいんです。
ここは、すり替えが起こりがちなところだから気をつけなきゃいけない。

「自分が変われば世界が変わる」のコメントの4番目に
説明だけでは通じない意味、議論が平行線に終わる意味を書いてあります。
よかったらご参照ください。

関連して
よく「ケアの統一」って言われるじゃないですか。
もちろん、必要な時に必要なケアを全員ができれば望ましいけれど
統一できなければ対象者の方に対して良いケアができない。ということではありません。

以前にも書きましたけれど
みんなが30%のケアしかできていない状況で
みんなが50%できるようになるよりは
誰か一人でいいから90%のケアができるようになることの方がずっと大切です。

そのくらい認知症のある方の能力があるんです。

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チームワーク考:注意

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抽象的なことばかりじゃなくて
具体的なアドバイスをするとすれば
相手の動線と工程を考える
ということかな?

案外、盲点になってると思いますが
看護介護職に新たに何か対象者のことでお願いする時には
相手の動線と工程を考えたひと工夫をしています。

たとえば
ベッド上のポジショニング

当然、写真を撮ってお部屋のどこかに写真を掲示します。
その写真には、クッションをどこに入れるのか順番を書き込みます。

その上でポイントについては部分的に拡大して
まちがいやすいところやポイントについてコメントを入れておきます。

できれば
使うクッションに、どの部位に使うものかの書き込みもできるとベストだと思う。
書き込みが難しければ、後で剥がせるように貼っておくとかしておくと良いと思います。

そして
掲示するための写真とは別に持ち運べるように
カードケースの中にもまったく同じ写真を用意しています。
そうすれば、たとえば、写真が頭の方に貼ってあって
でも足下のクッションの入れ方を確認したい時に
いちいち動いて頭の方にある写真を見に行かなくても
カードケースを持って足下で写真を手元で見ながらクッションを入れられます。

あまりよく知らないことをやらなくてはいけない人の立場になって
ポジショニングが完了するまでに
できるだけ移動距離を少なく、工程も少なく、手間ひまかけずに
あまり悩まずにラクにできるような方法と環境を作ることって
とっても大切だと感じています。

ふだんはあまりやらない苦手なことを自分がやる時って
そうじゃないですか?
できる人にしたら、そのくらい工夫しろよって言われるかも。ですが
苦手なことはやるだけで精一杯だから、工夫する余裕なんてない。と思う。

使う場所に使うものを用意する。
説明は使う場所で見られるようにする。

ポジショニングの説明はナースステーションの中の申送り簿に入れておくのもいいけど
それはあくまで説明用だから
実際の設定するお部屋にポジショニングの写真は貼っておかないと。

同じ理由で
車いすのシーティングだったら
写真を撮った説明は、車いすのポケットに入れておくとか。

相手の動線と工程を考えた対応をする。

連携や協力や情報伝達を考えた時に
「伝え方」に工夫をするのは、こちらが努力できること。
こういったところに手を抜かないことが大切だと感じています。

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