Tag: リハビリテーション

もう1つの言葉

IMG_0442

認知症のある方とのコミュニケーションや対応の工夫において
言葉にだけ、頼らないことが大切

もう1つの言葉である「行動」と「声」

身体が発している言葉
身体で伝える言葉

もっと吟味されて
もっと洗練されて
もっと活用される余地がたくさんあると感じています。

どんな病気による認知症のある方でも
体性感覚は、かなり最後まで保たれているから。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2152

能力に働きかければ能力を発揮できる

IMG_0516

さまざまな生活障害やBPSDは
結果として起こっていることだから
困難というカタチで現れているコトに
能力も障害も投影されている。

生活障害やBPSDという名前で呼ばれている
それぞれの行動だけをきりとって
どうしたら、それらをなくせるのか考えるのではなくて

生活障害やBPSDという名前をつけずに
それぞれの行動をよく観察して
投影されている能力と障害を把握すると
「イマ、ココ」をどんな風に認識しているのか
予想がつく

今ある能力に
どんな「環境」(場面設定、伝え方の工夫)を補ったら
認知症のある方と
私たちが
「イマ、ココ」を共有できるようになるのかを考える

その「環境」の工夫を
私と認知症のある方のいる「イマ、ココ」にそって
考えられるためには
何よりも先にまず障害と能力の把握が必要

そして
認知症のある方の能力に働きかける工夫を考える

私たちは援助することしかできない

能力に働きかければ
能力を発揮できる

その意味を
「イマ、ココ」にそって
具体的に考える努力って
実は、あんまり為されてこなかったと感じています。
だからこそ、これからの課題だと考えています。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2149

混乱なくできるように

我慢のしどころ

生活障害やBPSDの改善や
Activityの選択にしても
骨折後のリハや
食事介助においても
認知症のある方が混乱なくできるように
そういう方策を考えると
「結果として」諸々の困りごとが少なくなっていく。

過剰努力をさせない
できた!これでいいんだ!と実感できることをする
できることのできかたを良くしていく

そういう積み重ねが大切

いつだって
誰だって
能力は状況と程度によりけり発揮される。

要求されるコトの枠組みの中で
できることを模索する
混乱なくできるようになったら
できることのできかたがさらに良くなるように模索する

それは
時には辛いこともあるけれど
認知症のある方の
能力を探し、見いだし、発揮することの援助だから
とても嬉しく励まされる過程なんだよね。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2145

綺麗事だから回る

ちょっと待った

本当に凄い人は、本当に謙虚。

昔あるところで骨董屋を営んでいて
錚々たる人たちとおつきあいがあったという人が言っていた言葉
そして、私もその通りだと思う。

「心・技・体」
「真・善・美」

たぶん、どれかを追求すると
必然的に他の部分も引っ張り上げられるんじゃないかと思う。

時には、援助の視点でできないことがあったとしても
その立脚点を忘れさえしなければ
適切な対応というのに、近づいていけるんだと思う。

当たり前のように
「そんなの綺麗事で現実的じゃない」
って言う人もいるけど
それはその人が
綺麗事を追求したことがないから
体験したことがないだけの話。

本当に目の前にいる方の行動変容が起こる時には
「使役」じゃなくて「援助」の観点から
きちんとした評価に基づいた方法で関与した時。

綺麗事だって回る。
綺麗事だから回る。

目の前にいる方に真摯に向き合おうとしているのに
眼を閉じて耳をふさいでいる人から
閉鎖的な体験をもとに否定されて
辛い思いをして
自分自身も
目の前にいる方の可能性も
信じられなくなりそうになっている人にこそ
伝えたいし
伝えられるようになりたい。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2141

原因ではなく必然

IMG_0945

ICFのポイントは、実はここにあると思う。

いきなりで恐縮ですが (^^;
「ICIDHではなくてICFの考え方で」
ということは、既にもう耳タコ状態だと思いますけど
現実には、ICIDHが顔をのぞかせる…しかも、そのことに気づいてない
って結構よくよくあります (^^;

たとえば
認知症のある方の生活障害やBPSDへの対応に関して
「不安や何らかの原因があるから探索して改善する」
という考え方が現在ケアの最前線で言われていることだと思います。
でも、この考え方って、ICIDHそのままでしょう?
抽象的な理解と具体的な方法論が乖離しているのに
なぜか流行しているとそのまま踏襲されてしまう…(^^;

原因と考えるから、一生懸命な人ほど辛くなるし
莫大な時間とエネルギーを費やした割に
効果は高くなかったりする…(^^;

人口に膾炙していることって
真実ではないけど、真実の一端が含まれているから
ということが多いように感じています。

私は
「原因」ではなくて「必然」と考えています。

「原因」を追求するのではなくて
現状そうなる「必然」がある。
その「必然」を理解した上で。というか、理解できると
(心情的に理解するという意味ではなくて
必然として起こっていることが根拠をもとにわかる。ということ)
どうしたらよいか方策が自然と浮かんでくる。
その方策は
目の前にいる人の不足や困難を修正したり改善したりするのではなくて
その人の能力を活かした方法論に他ならない。
まさしくICFの理念を具体的現実的に表現することになる。

自分も辛くならないし
(だって「修正」って
要するに、その人の今も過去も否定することになるんだもの。
そんなの対人援助職として、イヤじゃん。)
目の前にいる人にも行動変容があらわれる。

「必然」を理解できない時には
焦らない。判断を保留する。思考と感受を停止しない。かな。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2132

着地点 ≠ 困りごとの解消

IMG_0944

認知症のある方の生活障害やBPSDに対して
それらがゼロになることを
最初に着地点に設定して
さて、どうしようか?

とは、考えない方が効果的だと思っています。

繰り返しになるけれど
生活障害やBPSDは、確かに困り事ではあるけれど
障害だけでなく能力も反映されているから
結果として起こっていることに過ぎないのに
ゼロになることを着地点に設定するということは
能力を評価しないということをも意味してしまいます。

どうしたら良いのか、わからない
そんな時は、評価ができていない
今、何が起こっているのか、わかっていない時

だから
そんな時ほど
今何が認知症のある方に起こっているのか
焦らずに、評価することが大事

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2138

質的評価→対応→能力維持

IMG_0443

過剰努力で立ち上がれる
がんばって何とか立ち上がることができる
過剰努力で食べてる
がんばって食べることができる
それらは、確かに能力だけど
それだけでは長続きしない。

がんばるのは、自然な身体のはたらきじゃない。
がんばるのは、一時的なためであって永続的なためではない。

でも、往々にして
「がんばって」食べることを促されるし
「がんばって」立ち上がることを促される
という現状がある。

過剰努力できなくなった時に
一気に食べにくくなり、介助しにくくなり
一気に立ち上がれなくなり、介助しにくくなり
あたかも、その時になって初めて問題が起こったかのように
取り上げられがちだけど
ようやく表面化しただけで、問題はずっと前から起こっている。

まったく同じコトが違うカタチで現れている
そういうコトって、いっぱいある。

本人は文字通り必死になって
がんばってきたのに
できなくなったら
どんなに辛いだろう。
「もっと頑張れ」なんて言われたら、たまらないと思う。

量的に可能な時に
質的な評価にもとづいた対応ができていれば
かなりの確率で防げることがたくさんある。

介護予防の本質って、本当はそっちなんじゃないかと思う。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2118

重心の移動方向がポイント

IMG_0519

座る練習をする時に
重心の移動方向のコントロールをすることがポイントで
そのために必要な介助をその方に応じて行います。

具体的な声かけとしては
「手をずっと下に
膝から足首にむかってさすりおろすように」
と言いながら
この時前方につんのめらないように
なおかつ、足底にきちんと体重がのるように介助して
それから、最後にお尻を下ろすように促します。

決して過剰努力をさせないように
重心の移動方向の再学習が目的なので
がんばらせる必要はありません。

今の能力で
重心の移動方向の再学習ができるように
援助していくと
再学習が行われ、結果として
ラクに座れるようになっていきます。

食事介助と食べ方の関係と
まったく同じことが違うカタチで
現れているんです。

食事介助も
がんばって食べることを促す。のではありません。
今の能力で食べることの再学習ができるように
援助していくだけなんです。

続きは明日 (^^)

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/2114