Tag: コミュニケーション

変化を待つ

認知症のある方は
ないものねだりはできないけれど
重度の方でも学習できます。

もっとはっきり言うと(^^;
不適切な介助に適切に学習した結果
不適切なパターンを習得している
…ということは、決して少なくないのです。

適切な介助であれば適切に学習することができるので す。

でも、一朝一夕というわけにはいきません。
学習ですから、変化が現れるには当然時間がかかります。

でも、なぜか、一夜漬けをやるのよねぇ…。

私たちだって
初めてのことを完全にすぐにはマスターできない。
試行錯誤、反復練習の期間があって初めて身につく。
ですよね。

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あんたと話すと…

(ご自身の胸を叩きながら)
「あんたと話すと筋が通ってくる」

よかったなーと思うし
ちょっと相当うれしい(^^)

だって
私は、安心させたり、笑わせたり、楽しませたり
そういうことがしたいんじゃない。

そういうのは
結果としての感情だから。

私は、結果を目的にしたいんじゃない。

筋が通った考え方ができるようになって
その結果としての感情だもの。
もちろん、結果としての感情を共有できるのはうれしいけど

筋の通った考え方ができたと
その人自身が感じたこと
その援助ができたこと

それがうれしい。

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座席配置の工夫

「ちぎり絵の工夫」がこれだけ閲覧してもらえてるので
基本的すぎるかも。と思いましたが
再確認の意味でも書いてみようと思いました。

今日、書くのはきっとたくさんの方が
すでに、実践されていることだと思いますが
たとえば、大勢で体操する時にどんな風に座っていただくか
ということです。

進行役との距離(物理的距離)の遠近によって
身体模倣ができるかどうかが異なってくるということは
よくあることです。

視力や聴力はもちろんですが
理解力という面や集中力の持続性でも
困難な方は、なるべく進行役の近くの席に

認知症のある方は
「今、体操をしている」
ということを忘れてしまうことも
よくあります。

物理的距離が
「伝達」と「理解」のそれぞれを
明確化し、増幅することに関与します。

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禁止も命令の1つ

「○○してはいけない」って言うのと
「△△しなさい」って言うのと
同じことだと思うのよね。

同じことの裏返しなだけで。

そういうのって、結局は行き詰まるんじゃないかと思う。
お互いに窮屈で。
唯一無二の方法論なんてないし。

それよりも
こんな風に考えてみたらどう?
こういう方向性でやってみたら?
っていう、もっと緩やかな枠組みが示せればいいんだと思う。

それにしても
こういう「標語」「スローガン」がもてはやされる
ということは
逆に言えば
私たちが無自覚のうちに
「自由から逃走」してるのかなぁ
…なんて、思ったりもして。

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「否定しちゃいけない。でも…」

今や常識的に言われている
「認知症のある方の言うことを否定してはいけない」
あまりに常識的に言われるので
ご家族の方もよく知っておられます。

でも
否定はしないけれど
そんなこと言われても…とか
否定しちゃいけないなら
なんて答えたらいいの?…って
すごく疑問に思い、不安にも感じておられる方が
大勢いらっしゃいます。

そういう疑問や不安な気持ちを
ぶつけられた方もまた大勢いると思う。

その時に何て答えていますか?

答えにつまった…という体験をした方も
きっと少なくないと思います。

その現実が意味することは、何なのでしょう?

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「一件落着」を求めない

認知症のある方に
何かを説明しようとして
真っ正面から向き合うのは大切なことですが
結果としての一件落着を求めてしまうのはどうかと。

「あぁそうか」
「わかった」
「ありがとう」
という言葉が出なくてもいい。

一件落着を目的としたがゆえに
相手を逆に追いつめてしまうことだって
あるんじゃないかと思うのであります。

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論理的に考えて感覚的に対応する

実践の場では
「カン」も大事。

もちろん、カンだけじゃどうしようもないけど。

肝心なことは
考えて決めてる猶予がない。
そんな場面だって結構ある。

以前に何かの本で
「カンというのは、無意識下での論理的思考の発露」
というのを読んだこともありますが。

カンを磨くのには
1人でもできる方法と
1人じゃ決してできない方法がある。

「現場100回」
私たちにとっても同じだと感じています。

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全か無の法則

「全か無の法則」
またの名を
「クロかシロの法則」

密かに名付けていた私 (^^;

介助方法や対応について
どっちかはっきりさせたほうが好まれる

これって
「対応を統一する」
って要請と、根っこはおんなじように感じています。

その時その場のその関係性において
自らが感受し考えて対応するのではなくて
(そういう責任を引き受け
そういう能力を磨くのではなくて)

あらかじめ決めてしまう
固定化してしまう

「生きて」ない。

一見すると
もっともらしいやり方が
自らの専門家としての力量も
働くことの面白さやしんどさといった
もっともなことを
そこなってしまっているように
感じられてなりません。

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