Tag: コミュニケーション

理解されなくても恊働できる(2)

前にも書いたけど
原典不明ですけど世界のあちこちで言い伝えられてる言葉

To hear is to forget
To see is to remember
To do is to understand
To find is to use

「体験したことは理解する」なんだよね。

チームで連携するにあたり
OTを理解してもらうのは
手段ではなくて結果なんだと思うよ。

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理解されなくても恊働できる

私たちがまず第一に考えるべきことは
対象者の方に対して役に立てること。

今よりも一歩役に立つことができればそれでいい。
二歩役に立てればもっといい。
三歩役に立てればさらにいい。

だけど
「一歩役に立つ」
って本当に難しいことだよね。

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伝わってしまうコト

視点の変換ができれば
世界が変わる

(正確に言えば世界そのものは変わらない
自分の受けとめ方が変わるだけなんだけど)

発想の転換ができれば
意図が変わる

意図が変われば
伝えてしまうことも変わる

伝えられることが変われば
受け止め方も変わる

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視点の変換・発想の転換

相手を直接的に変えようとするのは「修正」「改善」

「修正」も
「改善」も
どこかで「理想像」から「現状」を
差し引きマイナスで見ているということ。
つまり、「現状」の否定が行われている。

そのような意図で行われるものに対しては
「拒否反応」がはたらく。

けれど
相手の状況を変えるということは
現状を否定してはいないから
状況に要請されて相手の内部から「能動的変化」が起こる。

相手を直接的に変えるのではなく
結果として変わるように
相手の状況を変える。

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共感のカン違い

共感する…ってことは
相手に引きづられることじゃない。

共感が目的じゃなくて
対象者にとってプラスになることをできるために
その一つの手段として共感がある

ただ単に相手に巻き込まれてるだけなのを
共感性が高いと認識してちゃマズイよ(^^;

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口角を上げて笑い顔を作る

ぶっちゃけ、働いていればいろいろあるでしょう?
時には、腹立たしいことも起こるでしょう?

そんな時に私が実行している方法です(^^;

まずは、口角を上げる。
声を出したい気分の時には口唇を閉じたまま。
気持ちが落ち着いてきたら
口唇を開いて笑い顔を作ります。

笑い顔に「なる」んじゃなくて「作る」んです。

人間、不思議なもので
笑い顔のまま怒ることって、できないんですよねー。
感情のコントロール云々とか深呼吸とかよりも
私にはこっちのほうが効くかな(^^;

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普通に考える

誰にだって
信頼する人はいると思うけど
顔見知りだからその人を信頼してるわけじゃないし
知ってる人だから、その人の言動を信用するわけじゃない。

人それぞれに
信頼のモノサシがあって判断してるんだと思う。
違うかな?

認知症があろうとなかろうと
その人のモノサシに叶うかどうかが問われているのであって
使われるモノサシは、その人の価値観そのものだから
相手の価値観を斟酌して体現することができて
あるいはその過程そのものの積み重ねが大事だと思う。

SDATアルツハイマー型認知症のある方は
その場の応答はかなり保たれる場合が多いし
DLBレビー小体型認知症やFTD前頭側頭型認知症のある方は
状態像の把握とそれに基づいた対応が問われる

その目的は、なじみの関係作りなんかじゃなくて
その人に対して適切に対応することができるようになるために
状態像を把握できるようになることなんだと思う。
その過程は、より深くより的確に…という意味では終わりはないよね。

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なじみの関係は結果としてできる

弁解するわけじゃないですけど
私はアマノジャクではありません(^^;

ただ、目の前に起こっていることがらを
できるだけありのままに見られるようでありたい
せめて自分色の色メガネの自覚を忘れないように
意思しているだけなんですが
結果として、 なんですけど
アマノジャクっぽいことを言うようになってしまって
いやはや。。。(^^;

たとえば
「なじみの関係を作る」
ってよく聞くでしょう?
でも
私は、「なじみの関係は結果としてできる」 のであって
目的化することはcontrolのおそれがあるんじゃないか
と思っているのです。

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