Tag: コミュニケーション

ROM-Ex.よりポジショニングを

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今、老健にも特養にも
寝たきりの方や準寝たきりの方が少なくないと思います。

私は勤務終了後に
ある施設に依頼を受けて伺っています。
そこで施設の職員の方の相談にのっているのですが
多いのが、食事介助とポジショニングの依頼です。

後頚部の筋が過緊張状態にあったり
全身の筋緊張が亢進していたりする方も少なくありません。

そんな時の第一選択は
まず、ポジショニングの設定です。

老健に入所されていれば
ご利用者の方は、最低週に2回のリハ職による
マンツーマンのリハを受けられますが
ご利用者の方は、個別のリハの20分よりもずっと長い時間を
車いすやベッド上で過ごされるのですから
その時間、どんな姿勢で過ごされるのか
ということはとても重要になってきます。

ベッドで休んでいるのに
身体がガチガチで筋緊張が亢進したままだと
寝ても身体は休まらない

不適切姿勢による筋緊張亢進をそのままにしておいて
ROM-Ex.をいくらしたとしても
効果がないどころか、逆効果になることすらあります。

適切なポジショニングを設定すれば
ほんの数分後には
全身がリラックスして
「こんなにユルユルになってるの、初めて見ました」
と施設職員の方に驚かれることもよくあります。

こういうことって本当に多いのが残念

同じコトが違うカタチで現れているだけなんです。

食事介助における、誤介助による誤学習で食べ方が悪くなってしまう
認知症のある方に適切な対応ができなくて混乱が増悪してしまう
適切なポジショニングが設定されていなくて全身の筋緊張が亢進してしまう

みんな同じコトの異なる現れに過ぎません。
私たちが変わることによって
目の前の対象者の方の現実が変わるのです。

身体が辛いのは対象者のせいだけじゃない。
混乱してしまうのは対象者のせいだけじゃない。
うまく食べられないのは対象者のせいだけじゃない。

私たちの無知や未熟さによる部分の方がずっとずっと大きい。

だとしたら
ううん
だからこそ
私たちの側の問題だから
私たちが変わることによって
対象者の方のもっている本来の能力が
やっと表面に出てくることができるんです。

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目の前の現実が最前線

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本に書いてあることを話したってしょうがない。
それが私の講演におけるスタンスです。

申し訳ないけど
教科書は過去の知見をもとに記述されてる。

それはそれで
先人たちの努力の積み重ねによって得られた
学ぶべき大切なことが記載されているわけだけど
読めばわかるようなことを
お金を払って時間を費やしてまで聴きにはいかない
だったら本を読めばすむこと。

本には書かれていないけど
臨床において大切なこと
私が気づいていないような異なる視点
新しい知見
そういうことを知りたいから
お金と時間を使って話を聴きに行く。

私は負けず嫌いだから
モトをとることを考える
自分が選択した研修会がつまらないなんて文句を言うのは
自分自身の癪に障るから (^^;
絶対に何か1つは参加して良かったって思えるものを持ち帰る
そう思って参加してきたし、今もそうしてる。

講師の話の内容だけじゃなくて
表現の工夫
(講師自身の肉体による表現とパワポなどの媒体による表現と)
組み立てや展開の工夫
主催者の態度や設定、配慮…etc.etc.

凄いなぁ…って思ったことも
逆に他山の石とすべきことも

目の前の現実が最前線
プレゼンの本とかもいっぱい出てるけど
生身の体験に勝る機会はないです。

臨床こそが最前線
私はたくさんのことを対象者の方から教わり今も学んでいます。

それは決して臨床だけじゃない。

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セミナー「食事介助」8月7日@大阪

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認知症のある方の食事介助は本当に大変です。

でも、それって私たちが大変にしてしまっている部分の方が
大きいということをご存知ですか?
私たちが変わることで
大変さを改善することができるのだということを
ご存知ですか?

認知症のある方の食べ方は
90%以上の確率で良くすることができます。
良くする…という意味は
安全に、円滑に、早く、食べられるようになる
という意味です。

そのためには
「食べる」ことに関する知識と技術と
「認知症」に関する知識と技術の両方が必要なんです。

ところが現実には
「食べる」ことに関する
知識と技術を学べる機会がほとんどありません。

「認知症」に関しても
4大認知症すら知らない人も少なくありません。

そして
認知症のある方の食べ方の改善のためには
「食べる」ことと「認知症」についての
両方の知識と技術をもった上で
視点の転換が要求されます。

だから
私が食事介助の講師を務める研修会に参加してくださる
医師や看護師、リハスタッフ
中には摂食嚥下の認定をもっている看護師や
認知症の認定をもっている看護師の方もいますが
そういう方から「勉強になった」「眼からウロコだった」
という感想を頂けるのだと思っています。

(株)geneさん主催で
実技のある食事介助に関するセミナーは
今年度この大阪会場での1回限りの開催です。

『認知症のある方の能力を発揮していただけるように援助する』
という根本的な理念と実践を
実技と体験談を通して
理解することができるセミナーです。

ご参加お待ちしております m(_ _)m

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POST連載記事 7

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POST 理学療法士によるリハビリ職者のためのサイトに
私の連載記事が掲載されました。
http://1post.jp/2016/07/13/interview_ot_dementia_colum07/

同じコトが違うカタチで現れているだけ
だから食事介助が適切にできるようになることは
食事介助だけにとどまらず
生活障害、BPSDへも適切に対応できるようになることと
大きな関連があります。

「食べさせる」ことしかできない人は
他の場面でも「〇〇させる」ことしかできない。
それが、たとえ、優しい言葉と口調によるものであったとしても
使役は使役に過ぎない。

でも
「食べることの援助」ができる人は
他の場面でも「〇〇することの援助」を
具体的に考えられるようになる。

「具体的に」
自分の介助を気をつけられること
相手の反応を観察できること

そのための知識であり
現実化するためには技術が必要

当たり前のことですが (^^;

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結果なのか原因なのか関連なのか

我慢のしどころ

結果なのか原因なのか関連なのか
本当はわからないことなのに
あたかも認知症のある方の「せい」ー「原因」
にされてしまっていることって
とても多いように感じています。

私は基本的に「原因」という言葉を使わないようにしています。

いわく
BPSDは、それを引き起こす不安や不快などの
何らかの原因があるから、それを探索して改善する。。。etc.

原因探索改善というのは
因果関係論としてのICIDHの考え方で
ICFには、なじみません。

ICFになじむ言葉ーつまり概念として
私は「必然」という言葉を使っています。

そうなる必然があって現状がある

自分で使っていて自分で言うのも、何ですが
私はこの言葉ー考え方がすごく好き
自分の実践にぴったり合うんです。

今を否定しない
治療的態度、治療的関係性を駆使して
結果として行動変容を援助する

結果なのか原因なのか関連なのか
わからないけど
わからないことはテキトーに判断はせずに
わかるときまでは、わからないままに
思考を停止せずに関与していく

そうすると
日々の臨床の中で
いろいろな発見があって
それは、まさしく

「大事なのは…まだ誰も見ていないものを見ることではなく、
誰もが見ていることについて、
誰も考えたことのないことを考えることだ」
(エルヴィン・シュレディンガー)

というような見方ができるようになって
結果として、認知症のある方のあれこれが改善されていく

それは本当に私自身が励まされる過程でもあるのです。

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パターンに当てはめるだけなら専門家はいらない

ちょっと待った

巷にあふれる
「こんな時にはこうしたらいい」という手合いの本。

ある意味、購読者のニーズにはマッチしているんだろうなー。
とは思う。

でも、そういうことをやるから悪循環になっちゃう
悪循環に結果として関与してしまっている
ということをどんな風に考えているんだろう?

パターンに当てはめるだけなら
専門家はいらない。

パターンに当てはめるって
対人援助の対極にある態度なんだけど。

今から20年以上前から
専門家と素人の垣根が低くなってきた
って言ってきたけど
ネットの定着もあってどんどん拍車がかかってきてると思う。
良くも悪くも。

その一方で
本物のプロは
必ずどこかにれっきとして存在してる。

本物のプロは凄いです。

専門家と素人の垣根が低くなった分
本物のプロとその他との垣根が
相当高くなりつつあるんじゃなかろうか。

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(株)gene主催セミナー7月17日(日)@東京

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(株)geneさん主催で
「認知症のある方への評価から対応まで」
というセミナーが
平成28年7月17日(日)に
東京都千代田区にある中央労働基準協会ビルにて開催されます。
詳細はこちら
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1458697576-118908

今、認知症のある方への対応について
「その人に寄り添って」
「ナラティブな見方が大切」
「不安や不快な原因を探索して改善」
「言動を否定しない」
「褒めてあげる」
といったマジックワードが席巻しています。

これらの言葉を否定することって
すごく難しい。
あまりにイメージが良い言葉だから。

でも、よくよく考えてみると
実践するには抽象的すぎる概念です。

「どういう実践が寄り添ってることになって
どういう実践だと寄り添ってないことになるの?」
「ナラティブな見方をどんな風にしたら食べ方がよくなるの?」
「原因探索・改善ってICIDHの考え方なのでは?」
「言動を否定しないとしたら、どうしたらいいの?」
「褒めてあげるって、年上に人に失礼じゃない?」

こういった疑問を解消してくれるような具体的な説明を
私は見たり聞いたりしたことがありません。

認知症のある方の生活障害やBPSDは
脳の病気によって起こる障害と
何とかしようとする能力と
その人の判断基準となる特性によって
引き起こされます。

まず、根本には障害があります。

さまざまな障害に対して
心理社会的なアプローチをするというのは
脳血管障害後遺症で重度の運動麻痺によって
上肢操作が困難な方に対して
あるいは、立ち上がり困難な方に対して
「どうしたら対象物を操作しようと思ってもらえるか」
「どうしたら立ち上がる気持ちになるのか」
「その人の興味のある物・好きな物を用意しよう」
「麻痺への不安や不快な気持ちの原因があるから
それを探索して改善しよう」
「やろうとしたら褒めてあげよう」
と言っているのと同じことです。

そんなことを言ったり実践したりしている人が
いるのでしょうか?

なぜ、同じ脳の病気によって起こる
暮らしの困難に対して
一方には全く考えもしないことを
他方には当然のごとく喧伝されてしまうのか

耳に心地良いマジックワードによって
思考停止してはいけないと思います。

目の前にいる認知症のある方に
一生懸命何とかしたいと努力している
ご家族や対人援助職の人が
見当違いの方向で努力することによって
心身のエネルギーを余分に消耗することなく
より建設的な方向に向かって発揮していただけるように
私からの提案としてお話させていただきます。

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POST連載記事 6

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POST
理学療法士による、リハビリ職者をめざすためのサイト
http://1post.jp

こちらに私の連載記事の最新号が掲載されました。

タイトルは
「誤介助が原因の 改善できる食べ方」
http://1post.jp/2016/06/29/demenia_ot_colum06/

こちらの記事で示した状態像のある方は
あるあるなケースです (^^;

今まではムセていなかったのに
最近よくムセる。。。という方は
早く適切に対応することによって
もう一度ムセなく食べられるようになります。

是非、記事を読んでみてください m(_ _)m

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