結果なのか原因なのか関連なのか
本当はわからないことなのに
あたかも認知症のある方の「せい」ー「原因」
にされてしまっていることって
とても多いように感じています。
私は基本的に「原因」という言葉を使わないようにしています。
いわく
BPSDは、それを引き起こす不安や不快などの
何らかの原因があるから、それを探索して改善する。。。etc.
原因探索改善というのは
因果関係論としてのICIDHの考え方で
ICFには、なじみません。
ICFになじむ言葉ーつまり概念として
私は「必然」という言葉を使っています。
そうなる必然があって現状がある
自分で使っていて自分で言うのも、何ですが
私はこの言葉ー考え方がすごく好き
自分の実践にぴったり合うんです。
今を否定しない
治療的態度、治療的関係性を駆使して
結果として行動変容を援助する
結果なのか原因なのか関連なのか
わからないけど
わからないことはテキトーに判断はせずに
わかるときまでは、わからないままに
思考を停止せずに関与していく
そうすると
日々の臨床の中で
いろいろな発見があって
それは、まさしく
「大事なのは…まだ誰も見ていないものを見ることではなく、
誰もが見ていることについて、
誰も考えたことのないことを考えることだ」
(エルヴィン・シュレディンガー)
というような見方ができるようになって
結果として、認知症のある方のあれこれが改善されていく
それは本当に私自身が励まされる過程でもあるのです。
最近のコメント