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場の構造とAct. その3

私たち自身にとって
提供する「場」は、あまりにも自明のことなので

(リハはリハ室でする、病棟訓練は病棟でする)

リハの行われる「場」が対象者自身にとって
どんな風に受けとめられているのか
ということが抜け落ちてしまうかもしれません。

認知症のある方は
記憶の連続性が低下していて
場の見当識が低下していると
そもそも論としての前提である
提供したいリハの「内容」「Act.そのもの」以前に
それらが行われる「場」としての 意味が
認識できていないことが多々あります。
そこから毎回伝える必要のある方もいます。

どのように伝えたら
その方が理解しやすいのか
言葉で伝えるのか
視覚で伝えるのか

場の意味が理解できて
ようやく次に進むことができます。

ですので、「場」の意味の共有化というのは
対象者の方にとっては
とても大切な過程なんです。

OTとしては、
できるだけ早く「内容」を提供したいと
考えて焦ってしまうかもしれません。

でも、その前段階を共有化するということは
れっきとしたリハの過程でもあります。
(きちんと言語化して説明できれば)

あるいは「内容」を優先することが求められているのであれば
別の方法で「場」の認識の共有化を図るか
「場」そのものを変更する工夫も必要です。

白衣(ケーシー)という服装が
無自覚に喚起するイメージによって
「場」を伝える助けにもなっている病院では
あるいは、
前提条件について共有化の努力をしないですむような
知的にしっかりした対象者の方と
接することが多かった職員にとっては
提供する「内容」であるリハのことを
きちんと説明しているのに
どうして了解してもらえないのか
がわからないのかもしれません。

伝えたい「内容」がわからないのではなくて
暗黙の了解事項であるはずの
前提条件であるはずの
今、この「場」 が理解できていないのです。

逆に言えば
認知症のある方にとっての
場面設定を明確にしておくことができれば
対象者の方に余分な不安を喚起せずにスムーズに
内容であるAct.そのものに
集中してもらいやすくすることができます。

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ボケちゃえば何にもわからない?

ボケちゃえば何にもわからない?私には、とてもそんな風には思えません。

もちろん、ご家族など周囲の人のご苦労はお察しします。
けれど、認知症のある方が「何にも感じていない」わけがありません。

時間や場所の見当識が低下し
短期記憶が低下し
なぜ、今、自分がここにいるのか
なぜ、今、自分がこうしているのか
わからない…

わからないという自覚や不安を感じるのに
状況の理解ができなくなるという状態が
どんなに辛いことか…

私たちがいきなりタイムスリップして
見知らぬ時代の見知らぬ土地へ連れてこられたようなものなのではないか
と感じることがあります。
何もわからない場所で
よく知らない人たちの間で
生活様式の異なるところで
自分にはよくわからない言葉が交わされる…

私たちにとっては自明の前提が崩れてしまっている状況で
なおかつ、暮らしていくことの困難さ

職業人としての私たちに求められていることは
そのような日々の暮らしの困難を少しでも改善していくことのお手伝い

症状がある…ということは
能力がある…ということ

たとえ、認知症になったとしても
その人らしさは失われない
その人の能力と特性こそが
その人の日々の暮らしの困難を乗越えていく
(逆に言えば、ないものはない。
 ないものねだりはできない
 …ということにもなるのですが。)

たぶん、作業療法士は、職業柄
1番具体的に現実的にそのことが共感できる職種だと感じています。

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