ボケちゃえば何にもわからない?

ボケちゃえば何にもわからない?私には、とてもそんな風には思えません。

もちろん、ご家族など周囲の人のご苦労はお察しします。
けれど、認知症のある方が「何にも感じていない」わけがありません。

時間や場所の見当識が低下し
短期記憶が低下し
なぜ、今、自分がここにいるのか
なぜ、今、自分がこうしているのか
わからない…

わからないという自覚や不安を感じるのに
状況の理解ができなくなるという状態が
どんなに辛いことか…

私たちがいきなりタイムスリップして
見知らぬ時代の見知らぬ土地へ連れてこられたようなものなのではないか
と感じることがあります。
何もわからない場所で
よく知らない人たちの間で
生活様式の異なるところで
自分にはよくわからない言葉が交わされる…

私たちにとっては自明の前提が崩れてしまっている状況で
なおかつ、暮らしていくことの困難さ

職業人としての私たちに求められていることは
そのような日々の暮らしの困難を少しでも改善していくことのお手伝い

症状がある…ということは
能力がある…ということ

たとえ、認知症になったとしても
その人らしさは失われない
その人の能力と特性こそが
その人の日々の暮らしの困難を乗越えていく
(逆に言えば、ないものはない。
 ないものねだりはできない
 …ということにもなるのですが。)

たぶん、作業療法士は、職業柄
1番具体的に現実的にそのことが共感できる職種だと感じています。

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/210