Tag: コミュニケーション
![スライド1](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2014/07/5621deba8a18b839c7a4321764bb05e8-300x225.jpg)
気持ちだけでは何もできない。
根拠がなければ意味を伝えられない。
クリームパスタをコーヒーゼリーにつけてしまう。
否定するのでもなく、笑って受け入れるのでもなく
(一見正反対のように見えて同じことが違う形で起こっているだけ)
認知症のある方が「そうする必然」を考える。
(「そうする原因」があるのではなくて)
今、表面に起こっている現実だけを見るのではなく
結果として起こっている現実の中に
認知症のある方の障害も能力も現れている。
私たち、障害と能力のプロである作業療法士が寄与できるのは
まさにこの部分にあり、何よりも一番の強みであると考えています。
でも、作業療法士であれば誰でもできるとは思わないし
作業療法士でなければ他の職種の人にはできないとは思わない。
ただ、作業療法士が一番近道にいるとは思っています。
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![IMG_0520](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/11/IMG_0520-300x225.jpg)
この時に大切なことは
〇〇してみたら?
◎◎したらいいんじゃない?
などと「自分が」思いつけることを360度列挙するのではなくて
(こういう考え方をする人は多いようですが、それは違います)
「ちゃんと眼で見てる」
「目の前にあるモノをモノとして見てる」のですから
この能力に働きかけるような工夫を考えます。
つまり
「黒いけれど麺つゆ」ではない と
認識してもらえるような工夫をするにはどうしたらよいか?
たとえば
平たいお皿にゼリー型をひっくり返した形のまま
細かくしたり、崩したりしないで
立体を保った形のままで提供すれば
「麺つゆではない黒い塊」と見えると思います。
つまり、「能力」にはたらきかけて解決を図るのです。
現実的にはここまでで実用と考えますが
どうしても「デザート」として認識してほしい
要請があるとするなら
デザートらしい食器を工夫する
最終的には別個に提供するということになるかと考えます。
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![IMG_0516](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2011/11/IMG_0516-300x225.jpg)
認知症のある方が
「今」をどう受けとめているのか、考える。
考えるというよりも推測する。
「〇〇かもしれない」
「△△かもしれない」
等と360度方向「私が」思いつけることを列挙する
のではなくて
(こんな風に考える人って案外多いようですが (^^;
それは全然違います)
A、B、Cという障害と
D、E、Fという能力と
Gという特性のある人が
H、I、Jという状況を
どんな風に受けとめているのか。。。
という風に考えれば
答えは容易に浮かび上がってくる。
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![IMG_0944](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2013/01/IMG_0944-300x225.jpg)
かつて、誰だったか忘れちゃったけど
「記録は更新されるもの」って言ったアスリートがいた。
科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問だし。
今、私が言っていることや実践していることは
多くの人によって今まで積み重ねられてきたことを
包含するような新しい視点と考え方です。
まだまだ少数の方にしか届けられていないけど
将来もっとたくさんの方に受けとめられることを願っています。
そして将来
今、私が言っていることや実践していることを
さらに包含するような新たな視点に則った
新たな考え方を提案する人が出てくるとも思っています。
記録は更新され
科学は修正され
そんな風にしてより良くなっていくことを願っています。
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![我慢のしどころ](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2014/01/33a74b36edcc879519c38e9aa6d096af-300x225.jpg)
観る「眼」がないと
一見悪そうに見えて、その実良いことを観てとることができない。
一見悪そうに見えてるだけのことを「悪い」こととしか見られない。
一見悪そうに見えることを「悪い」から修正・改善しようとすれば
隠れていて表面に現れていない「能力」をも
結果として、つぶしてしまうことになってしまう。
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![我慢のしどころ](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2014/01/33a74b36edcc879519c38e9aa6d096af-300x225.jpg)
一見良さそうに見える悪いことも
一見悪そうに見える良いこともある。
でも
いったい「何に」照らして良いのか悪いのか。
良し悪しは
自分の価値判断ではなくて
その人の目標に照らして判断されることだと思う。
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![ちょっと待った](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2014/01/3db2f2a1023ea853fae8a5158358b753-300x225.jpg)
認知症のある方に
「問題がない」んじゃなくて
よくわかってないけど
合わせてくれてる
(よくわかんないけど、そうしようか)
と従ってくれてる
だけのことって結構ある。
認知症のある方に
合わせられるという能力があるからこそ
できることでもあって
病状が進行して
「よくわからない」
「合わせる、従う」ことができなくなった時に
その本音を表明せざるを得なくなった時に
初めて「問題」が表面化する
そういうことは、とてもよくある。
食事介助の場面で起きてることと
同じことが違うカタチで現れてる。
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![IMG_0945](http://kana-ot.jp/wp5/wp-content/uploads/2013/01/IMG_0945-300x225.jpg)
どんなコトでも
100%のエビデンスをもつものなんてない。
だからこそ
今目の前にいる方に対して
自分が提供していることが
本当に適切なのかどうか確認する必要がある。
相手は機械じゃないから
こうすればああなる
そんなわけないから。
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