Tag: コミュニケーション

バリデーションセミナー開催間近

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たぶん
ユマニチュードを求める人と
バリデーションを求める人は違うのだと思う。

その時
その人に
必要なコトが異なるのは当たり前のこと。

でも、私は
バリデーションを学ぶことができて
本当に良かったと心から思っています。

たいていのセミナーや研修会では
「これはこんなに凄いですよ」で始まりますが
バリデーションは冒頭に
「私はこんな過ちを犯していました」から始まります。

そんなセミナー、初めてだったのでとてもびっくりしました。
でも、そんな始まり方をする必然がだんだんとわかってきました。

バリデーションは
本当に、徹頭徹尾、認知症のある方の言葉に
そして、言葉にならない声に真摯に耳を傾けます。
それらを具体化するための方法論なんです。

「神は細部に宿りたまふ」

哲学は方法論の細部に滲み出ます。

根底に信頼がある。
そこがとても好き。
そう在りたいと思う。

たくさんの方に知っていただきたい。
「バリデーションセミナー2016」
http://www.clc-japan.com/validation/seminar.html

東京会場と大阪会場は
そろそろ定員間近だそうです。
お申込は是非お早めに (^^)

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タイトルをつける

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久しぶりに
Twitterですごくinspireされるツイートに出会って触発されて
この記事を書き出しました (^^;

出会うタイミングも良かったんだと思う。
というのも、ここのところ仕事が立て込んでいて
あんまり物理的にも心理的にも余裕のない日々を送っていて
でも今日、久しぶりに
ほかっとした時間を過ごしていたところだったんです。

自分で言うのもおこがましいことですが
案外、私って事務処理能力があるかも。って思うことがあります。
現実を良い方向へ変える具体的な処理方法を考えて
それが功を奏したり。
(書いてて思うけど自分で言うことじゃないですね)

だけど
本当は、
今何が起こっているかわかる
だから
どうしたらいいかわかる
そして
タイトルをつけることができる
ということなんだと思う。

つまり
私にもしも事務処理能力がそれなりにあるとしたら
それは実は作業療法士として培ってきた能力そのもの
なんだということです。

タイトルをつけることができる
というのは、要約と抽象化という作業だから
事象や体験の概念化ということで
作業療法士としての仕事の延長上はモチロンですが
地道に個人的なブログを書いてきたり、
「よっしーワールド」「よっしーずボイス」を書いてきたことも
ムダなんかじゃなかったかも。。。と思うと
ちょっと嬉しい (^^)

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具体的方法論を支える考え方

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具体的な方法論の提供の仕方で迷った時とか
具体的な方法論を考え出した時に
一度考え方に立ち戻って相互矛盾しないか検証しています。

私は
認知症のある方は常に能力を発揮しながらモノゴトに対応している。
能力があるから結果として不合理な言動にもなる。
と確信しているものですが
目の前にいる方の状態の把握をふまえて
こんな風にしてみようかな?と考えた時に
能力を活かしている援助なのか
使役になっていないか
見た目に惑わされて能力を否定していないか
いったん自分の中で考えてから
具体的な方法で対応してみます。

望ましい言動がみられた後に
もう一度何が起こっていたのか
言葉にする作業を自分の中で行います。

その言葉通りに
もう一度行ってみて
矛盾や迷いや疑問が出てこなければ
善しとします。

認知症のある方への対応について
あまりにも表面的にどうする、こうする
ということが取り上げられがちのように感じられますが
大切なのは、認知症のある方への視点・基本的な考え方で
それは空理空論なんかではなくて
唱えるだけのお題目でもなくて
本当に、日々のその場その場の具体的な関わりを
支えるために大切なんだと実感しています。

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疲労に注意

ちょっと待った

認知症のある方は
疲れやすいと聞きます。

「疲れたー」
「眼がしょぼしょぼする」
と自覚できることは、とても大切な能力です。

何か作ったりしていたとしても
決して無理させずにお休みしていただきましょう。

身体は疲れてるのに
疲れてるって感じられなくて
そのまま休めずに何か作ることを続けてしまって
後になってぐったりしてしまう方もいらっしゃいます。

どのくらいだったら疲れずに大丈夫なのか
確かめる時には安全パイで確かめるようにしています。
最初は10分程度で
だんだんと時間を伸ばしていきます。
看護介護の記録を参照したり
ふだん過ごしている食堂などでの過ごし方なども観察して
大丈夫と判断できれば
自主トレとしてそれこそ1時間できる方もおられるし
15分でも疲れてしまう方には
疲れる前にこちらから終了を打診する声かけをしたり
その時間でちょうど終わるように材料や設定を準備しておきます。

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自分自身への希望

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熊本地方の地震活動が一日も早く収束し
被災された方々の困りごとが一刻も早く改善されることを
お祈りしています。

 

 

このたび
(私にとっては、まだこのたびという言葉の方が実感があります)
座骨神経痛を患い、おかげさまでとても良くなっているのですが
患者という立場になって感じたことや考えたことは
いろいろとありました。

常日頃、使役と援助は紙一重ということを考えさせられている
立場からもいろいろと感じたり考えてもきました。

私が痛切に感じたことは
自分の身体に起こっていることが
自分に一番わからないということです。

痛みや動けない
ということは当然私が一番わかっていますが
その意味とか今身体に何が起こっているのかが
わからない。

良くなっていく時には
右肩上がり一直線に良くなっていくわけじゃない
ということは、仕事柄わかっていたはずですが
それでも焦ったり不安になったり。。。

自分自身への希望を自分1人で持ちこたえるのは
正直かなり難しかったです。。。

いろいろな方に支えられて
希望を持ち続けることができたのだと感じています。
本当に感謝しています。

自分を信じられなくなるということがどういうことなのか
その一端を感じることができたということを
幾分かでも自分の仕事にも還元できればと思っています。
おこがましいかもしれませんが。。。

私の場合には
私の可能性を信じてくれる人がいたということが
私自身が希望を持ちこたえることの大きな支えとなりました。

可能性は
対象者の状態だけで決まるものではない
ということもはっきりとわかりました。

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POST連載記事 4

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POST 理学療法士による、リハビリ職者を目指す人のためのサイト
http://1post.jp
に連載記事が掲載されました。
「望ましいスプーン操作とは?」
http://1post.jp/2016/04/05/interview_ot_dementia_colum04/

たくさんの方に
「いいね!」や「シェア」をしていただき
どうもありがとうございます m(_ _)m

前回、食事介助における不適切なスプーン操作について
記載しましたので
じゃあ、どうしたらいいのか…という内容です。

書いてある内容は一般的な内容ですが
このあたりに気をつけるだけで
重度の認知症のある方でも
ムセが減ったり、
喉頭挙上のタイミングが整ってくる方は
かなりたくさんいらっしゃいます。

次号からは
もう少し突っ込んで
認知症のある方特有の食事介助について
お伝えする予定です。

よかったらお立ち寄りください m(_ _)m

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巡り合わせ

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もう何年も前の話になるけど
ふと手にした本とか
ふと眼に留った新聞記事とか
どういうわけか
「常識を覆す発見」をした人と当時の周囲の反応について
書かれていたことばかり
巡り会っていた時期がありました。

常識を覆す発見をした人は皆
当初は煙たがられるどころか非難され追放され名誉を剥奪され…
科学や学問の進歩、人々の幸福に寄与するような発見を
したにもかかわらず、否、したからこそ
迫害の憂き目にあった人ばかりでした。

なんでこういう内容ばかり巡り会うんだろう?
そう思っていたのですが
後になって随分と気持ちの上で助けられました。
覚悟ができたというか
そういうもんだというか

「認知症のある方の食べ方が良くなる」
「認知症のある方の誤嚥性肺炎は減らせる」

こういうことを公言するのは
とても怖かった時期があります。
そんなことを言っている人はいなかったから。
そんなことは誰も思ってもいなかったから。

でも、私の目の前で起こっている事実が私の支え。

そして、当初は迫害されたとしても
後年、必ずや迫害されてきた発見者は名誉復権されています。
時代が追いついてくる。
真実であれば、必ず残って伝わり再発見され理解される時が来る。

かつて
私が言い始めた時よりも
私自身、知識と技術と経験値は上がっています。
(そりゃ臨床家ですので当然ですが)
かつての私ではわからなかったことも今ならわかることもあります。

同時に、
今の私にはわからないことも将来の私にならわかるかもしれない。
今の私にはできないことも
このブログを読んでくださっている将来のあなたになら
できるかもしれない。

巡り合わせって不思議。
その時には巡り会うことの意味がわからない。
でも、後になって腑に落ちることもある。

スティーブ・ジョブズの言葉に
「過去を振り返って初めて点と点を線でつなぐことができる」
という言葉がある。

この記事が私自身だけでなくて
将来の誰かにとっての1つの点、1つの線になるかもしれない。
そう思って書いてみました。

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変化は双方向に起こる

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唯一無二の関係性の中で起こる
行動変容は双方向に起こる。
行動変容が深いほど、感覚や感情の動きも大きく伴う。

それらをより深く、より広く、より多く
感受・体験してきたことに「セラピストの経験」の意味がある。

もしも
変化を起こさせることを目的としたならば
それは援助ではなくて、使役ではないのかしら?

その違いを常に鋭敏に
自分自身に問いかけながら行うことの責務を
作業療法はその歴史からも背負っているのではないでしょうか?

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