Tag: 観察
もちろん、近年、実習地では合否判定をしない
という養成校だってあるけど
到達目標に対する達成度判断までなくなったわけじゃない。
「私は実習落とさないから」
と言ったということは
合否判定のある養成校の学生を受けていたということだし
そういう言葉でバイザーが本当に伝えたかったのは
緊張するな。リラックスして全力発揮しろ。
なのだとは思うのだけど
意図せずに、暗に、でも、明確に実習生に伝えてしまったのは
(自分自身にも表明してしまったのは)
私は、そこまで言わなければ実習生の緊張をほぐし能力発揮できるような指導はできません。
自分の指導能力不足をルールを曲解することでしのいでいます。
実習生に対しても
そこまで言わなければあなたはリラックスして能力発揮できないでしょう
って言ってるってことと同義なのに。。。
つまり、
表面的には良い言葉と受けとめられている言葉の真意は
バイザー自身に対しても
実習生に対しても
本当は「信頼」の欠如した言葉なのだということ。
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昨日までの例で言えば
水分を飲みたがらない…というのは、
こちらの判断であって事実ではない。
事実を確認できる余地がまだあるのに
それをせずに判断してしまっていることって
とても多いように感じています。
事実を確認できるためには観察が必要。
観察できるためには知識が必要。
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たとえば
水分を飲みたがらない
と言われている方が
実は、飲みたくても飲めない
というようなケースも往々にしてあります。
コップという対象の認知ができない場合もあります。
たいていの施設や病院で使っているコップは
自宅で使うようなガラスのコップでもないし
陶器の湯のみ茶碗でもないからわかりにくいかも。ですね。
また、仮にコップを持って口に運び飲むという
見た目の動作ができても
実は、筋緊張が逆方向に働いていて
結果として飲もうとしているのに飲めない
混乱と不安で動作をやめてしまう
という場合もあります。
水分を飲みたがらない。のではなくて
水分を飲めない。ということを
把握できるかできないかの違いは
その後の対応に大きく影響してしまいます。
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それが一番大事。
勝手な解釈もせず
勝手に原因をこさえず
状況と対にして
何が起こっているのか
ただひたすらに観ることが大事。
ひたすらに観るためには
知識が必要。
手の外科領域では
筋や神経の解剖をまず頭に叩き込むでしょう?
いきなり、その人に何をするかを考えたりせずに
まず、その人がどういう状態なのかを
きちんと把握しようとするでしょう?
それと同じだと思うんだけど。
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もうひとつは…
現象をあるべき理想像から引き算で観ていろいろ指摘したって
対象者の方はよくはならない。
現象を対象者の方の目標にそって
足し算で積み重ねていく
今の次の状態をこちらが具体的にイメージできることが
対象者がよくなっていくことに結びついている。
次にどうなっていくのか
「具体的に」イメージできていないと
対象者の状態によらず
よくはならないと感じています。
昨日と今日の
この2つの問題は
とてもとても大きな根深い問題だと感じています。
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現象をみて
その現象にいくら言葉を当てはめてみても
それは評価にはならない。
その現象に投影されている
能力や障害を観ることで初めて評価に結びつく。
ここを誤解している人が多いと思う。
そしてもうひとつは…また明日☆
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