Tag: 状態把握

不合理だけれどアウトプット

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BPSD(認知症の精神・行動症状)を
「解決・改善すべき問題点」として把握するのではなくて
「不合理だけれどアウトプット」として
捉えてみるとよいと思う。

BPSDという視点ではなくて
任意の場面で起こった行動として把握する。
必ず、状況とセットで評価する。

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介助者の受けとめ方

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介助者は短期記憶が保たれていますので
(保たれているということが当たり前なので)
自分には短期記憶があるということを実感しにくいものです。
だから、短期記憶が低下している状態をなかなか想像できません。

先の例では
「ちゃんと声をかけてから動作誘導までしたのに
突然怒り出した〇〇さん」という受けとめ方になりがちです。
表面に現れた事象だけを切り取って
受けとめてしまいがちです。

記憶の連続性が低下している認知症のある方が
局面だけ切り取って理解するように
記憶の連続性がある故にこそ介助者が
局面だけ切り取って理解してしまう。

そういうことがいろいろな場面で起こっています。

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座るのを嫌がる

ワーキングメモリが低下していて
後ろにひっくり返されそうに感じて
結果として、座るのを嫌がる方の場合には
後ろにはひっくり返らない…という安心感があれば
スムーズに座っていただけます。

たとえば
職員の片手を背中に当てて
他方の手で動作介助する
…そうすると支えられていることを感じて安心されるので
スムーズに座っていただけるようになります。

私たちはワーキングメモリが機能しているので
「椅子がある」 ということは暗黙の前提条件として
言葉を言い、行動を起こしています。

ですが、私たちにとっては自明の「椅子がある」ことが
認知症のある方にとっても同様に自明のことかどうかは
わかりません。

認知症のある方とのDisCommunicationは
私たちが症状や障害を言葉としてだけではなくて
暮らしの1つ1つの場面にどんな風に投影されているのかを
把握できるようになることで
少しずつ解消されるようになっていくのだと感じています。

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ワーキングメモリ低下

認知症のある方は
ワーキングメモリが低下する。
これは誰でも知ってると思う。

大切なのは
ワーキングメモリの低下が
どんな風にふだんの暮らしに影響してるのか
…ということを観察できること。
その上で、どうしたら暮らしをサポートできるのか
…ということを具体的に提案できること。

たとえば
椅子に座るように動作介助した時に嫌がる方も多いのですが
この場合、後ろに椅子がある…ということを忘れてしまっている場合が少なくありません。

認知症のある方にしてみれば
動作介助の場面だけを切り取って理解しているので
後ろにひっくり返されそうに感じて怖くて嫌がっている
…という状態になっているのです。

じゃあ、どうしたらいいのか?
続きは明日(^^)

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情報の取捨選択

私たちは
感知した情報をそのまま認知しているわけではない。

「見た」と認識した時点で
すでに「見たい」もの「見よう」としていたものを
無自覚のうちに取捨選択されたものを見ているし
「聞きたい」もの「聞こう」としていたものを
無自覚のうちに取捨選択されたものを聞いている。

そういう前提条件を自覚していないと
認知症のある方にとっての
視聴覚環境の把握を見落としたり歪めてしまうことにすら
なりかねない…と感じています。

明日はその補足説明をします。

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一番大切なことが一番疎かになってる

OTがなにか特別なことを企画して

対象者の方を楽しませたりとか

認知リハやトレーニングをしたりとか

それはそれで要請されていることでもあるけど

一番大切なことが一番疎かになってる

 

それは、ご本人ご家族にとって

どうしたら少しでも暮らしやすくなるのか

そのためにどういう工夫をしたらいいのか

ということを、具体的に現実的に言語化して伝えること

だと思う。

 

こんな風にしたらいいですよ

…等というマニュアル本もあふれていますが

Aさんに有効なことが

Bさんには無効なことだっていっぱいあります。

目の前のご本人にとって

本当に有効な方法論でなければ意味がない。

 

OTは医学的知識をもっている(はずです)

医学的な状態像、知識をもっている医師が

暮らしの困難改善のための具体的なアドバイスをしているのは

少数例だと感じています。

暮らしの困難に直面する介護職の多くは

医学的知識をもっていないので

アドバイスが表面的な方法論のレベルにとどまりがちです。

 

OTは医学的知識をもっている(はずです)

暮らしの困難が起こる状況の分析をできる(はずです)

対象者の能力と障害と特性を把握できる(はずです)

医学的知識に基づいて暮らしの困難の改善案を

具体的現実的に模索し提案するような 架け橋になれる(はずです)

 

OTがした場面設定という枠組みの中で

対象者の表面的な言動を観察をするのが仕事ではなくて

そこで表面的にあらわれている言動から

対象者の能力と障害と特性を把握すること

そして

日々の暮らしの困難を改善するために

具体的現実的な対応を言語化すること

一番大切で一番求められているのに

何故か臨床の現場では

疎かにされてしまっていることのように感じています。

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ピンチはチャンス

たぶん、多くの人が誤解していると思う。

本当に、ピンチはチャンス。なんだよね。

現在の「場」が成長成熟していくための

現在の「自分」が成長成熟していくための

認知症のある方が

たとえ、衰えたとしても衰えようにそって暮らしていくための

 

だから

BPSDを敵視しないことが大事。

BPSDを「解決すべき困った状態」として捉えているかぎり

必ず、限界にぶちあたってしまう。

 

BPSDはチャンス

その方が暮らしの困難を乗り越えていくための

 

そこにブレークスルーの芽があると感じています。

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評価を活かす

評価として

記憶の連続性をみたり、見当識の状態をみても

それだけでは片手落ち

日々のいろいろな場面で起こったことを

記憶の連続性や見当識の状態と

関連づけて「何が起こっているのか」を推測できることが大事

もちろん、障害だけでなくて

代償もふくめて残存能力をどのように使っているかということも

そうやって考えると

身体障害と認知障害と

症状や障害は異なっても

なんら考え方に違いはないのよね

私たちは

現実的に具体的に

対象者の役に立つことをできるように評価するのであって

ただ単にチェックリストの項目を埋めるために

記憶の連続性をみたり、見当識の状態をみるわけではない

疾患特性による違いはあっても

それらを支える下部概念としての考え方は同じなんだよね。

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