Tag: 状態把握

マジックワードによる抽象化

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「日本には物事を抽象化してしまうマジックワードがあって」

その通りだと思う。

とても興味深く読みました。
「決まらないシュートは打たない」、同志社大が示した思考のアップセット
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ichiroozawa/20160412-00056525/

そうか、OBの中西哲生が関わっていたんだ。

耳に優しい、インパクトのあるマジックワードの持つ力は強くて
聞く人を思考停止に陥らせてしまう。

たとえば
「認知症のある方に寄り添ったケア」
「認知症のある方の思いを大切にする」

言葉としては本当に大切な概念だと思う。
でも
この概念とふだんの実践をどうやって照合して改善していくのか
突き詰めて議論、検討されていると言えるだろうか?
という疑問を抱いています。

どういうことが
寄り添ったケアで
どういうことは
寄り添ってないケアなのか

寄り添ってないケアは簡単に言えるかもしれないけれど
寄り添ったケア…って何なのか
迎合とは、どう違うのか
気持ちはわかるけど
他者との関係性において容認できない言動に遭遇した時に
どうするのが寄り添ったケアなのか

その他にも
援助と使役は紙一重ということを
もうさんざん考えさせられてきた私としては
マジックワードは安易には使えない言葉になっています。

マジックワードを唱えていても
現実を改善することはできない。

中西哲生と同志社大が試みていることは
現実を改善するための具体的な手だてであり
その手だてを支える理論と現実化するためのトレーニングを
徹底して実践しているのだと思った。

その挑戦が問いかけているのは
サッカーの世界だけに限ったことではないと思った。

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私だったら

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NHKのHPでみかけたこの記事。
TVのニュースでもみました。

「認知症が影響 エアコン操作間違え熱中症に」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150921/k10010243811000.html

記事には
認知症のある方ご本人の言葉として
「リモコンの操作はよく分からない。
教えてもらってもボタンをあちこち押してしまう」
とあります。

また、ご家族の工夫として
エアコンのボタンに色をつけたり、
イラストで詳しく使い方を書いてあるノートも放映されました。

この「説明」「援助」は
認知症のある方には難しいなぁ。
私だったら
違うアドバイスをするのに。
と思いました。

ボタンがいっぱいあってわからないから
あちこち押してしまうように
文章がいっぱい書かれていると
何が書かれているのか文字は読めてもわからない
丁寧に書かれているほど、わからないんじゃないかしら。
たくさんの実物のボタンとノートの説明と
対照しながら理解するのは難しいんじゃないかしら。
でも、リモコンを操作しようとしてボタンを押すことはできる。
ただ、どのボタンが何を意味するのかわからない。

だとしたら
電源の「ON・OFF」のボタンだけ見えるように
硬い不透明の素材でカバーを作ります。

カバーを無理矢理はずしてしまうようだと
使えないテになってしまいますし
温度調整やタイマー設定など
それでも「見守り」は必要ですが。
ただ見守りが必要…ではなくて
どこの見守りが必要で、どこは見守らなくて大丈夫
という「その人にとってのポイント」があるから
そこを伝えられる人がいないと
見守る人は大変だと思うし
ご本人だって辛いと思う。

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歌い方にも人柄が

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歌い方にも人柄があらわれる。

同じ「星影のワルツ」でも
人によって、熱唱する方もいるし
人によって、そっとささやくように歌う方もいる。

すっごく繊細なんだ。
だからこそ怒ることも多いんだ。

そういうことの一面がわかったりもする。

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「いつも悪いね」

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「いつも悪いね」

「前にもあったわよね」

認知症のある方に接していると
時々、こんな風に言われることがあります。

いずれも、通常は2-3分前のことは忘れてしまう方です。

『いつも』
『前にも』

体験を通して
思い出せることもある

この方たちは
言葉にして伝えてくださったけれど
きっと言葉にはしない方やできない方
でも、同じようなことを感じてはいる方が
他にもいるのだろうと思いました。

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評価できるから対応できる

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気持ちだけでは何もできない。
根拠がなければ意味を伝えられない。

クリームパスタをコーヒーゼリーにつけてしまう。
否定するのでもなく、笑って受け入れるのでもなく
(一見正反対のように見えて同じことが違う形で起こっているだけ)
認知症のある方が「そうする必然」を考える。
(「そうする原因」があるのではなくて)

今、表面に起こっている現実だけを見るのではなく
結果として起こっている現実の中に
認知症のある方の障害も能力も現れている。
私たち、障害と能力のプロである作業療法士が寄与できるのは
まさにこの部分にあり、何よりも一番の強みであると考えています。

でも、作業療法士であれば誰でもできるとは思わないし
作業療法士でなければ他の職種の人にはできないとは思わない。
ただ、作業療法士が一番近道にいるとは思っています。

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クリームパスタとコーヒーゼリー(続)

我慢のしどころ

目の前にあるものを見ることはできている。

「白い麺と黒いもの」

何だろう。。。?
そこで登場するのが生活歴の中にある記憶。

白い麺、黒いもの
だから
「そうめん、うどんに麺つゆ」

そう判断したら、パスタをゼリーにつけちゃうよなぁ。

じゃあ、どうしたらつけずに食べていただけるでしょうか?
(次回へ続く)

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クリームパスタとコーヒーゼリー

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「あぁ、なるほど!」
って思うことは、たくさんあって

当院のお食事で
クリームパスタとコーヒーゼリーが献立の時に
認知症のある複数の方が必ず為さることがあります。

いったいどんなことを為さるのでしょうか?

実は
クリームパスタをコーヒーゼリーにつけて食べる
という方が少なくないんです。

私は「あぁ、なるほど!」って思いました。
(次回へ続く)

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一見悪そうに見える良いこと

我慢のしどころ

観る「眼」がないと
一見悪そうに見えて、その実良いことを観てとることができない。
一見悪そうに見えてるだけのことを「悪い」こととしか見られない。

一見悪そうに見えることを「悪い」から修正・改善しようとすれば
隠れていて表面に現れていない「能力」をも
結果として、つぶしてしまうことになってしまう。

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