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(株)gene主催セミナー7月17日(日)@東京

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(株)geneさん主催で
「認知症のある方への評価から対応まで」
というセミナーが
平成28年7月17日(日)に
東京都千代田区にある中央労働基準協会ビルにて開催されます。
詳細はこちら
http://www.gene-llc.jp/seminar_info/?id=1458697576-118908

今、認知症のある方への対応について
「その人に寄り添って」
「ナラティブな見方が大切」
「不安や不快な原因を探索して改善」
「言動を否定しない」
「褒めてあげる」
といったマジックワードが席巻しています。

これらの言葉を否定することって
すごく難しい。
あまりにイメージが良い言葉だから。

でも、よくよく考えてみると
実践するには抽象的すぎる概念です。

「どういう実践が寄り添ってることになって
どういう実践だと寄り添ってないことになるの?」
「ナラティブな見方をどんな風にしたら食べ方がよくなるの?」
「原因探索・改善ってICIDHの考え方なのでは?」
「言動を否定しないとしたら、どうしたらいいの?」
「褒めてあげるって、年上に人に失礼じゃない?」

こういった疑問を解消してくれるような具体的な説明を
私は見たり聞いたりしたことがありません。

認知症のある方の生活障害やBPSDは
脳の病気によって起こる障害と
何とかしようとする能力と
その人の判断基準となる特性によって
引き起こされます。

まず、根本には障害があります。

さまざまな障害に対して
心理社会的なアプローチをするというのは
脳血管障害後遺症で重度の運動麻痺によって
上肢操作が困難な方に対して
あるいは、立ち上がり困難な方に対して
「どうしたら対象物を操作しようと思ってもらえるか」
「どうしたら立ち上がる気持ちになるのか」
「その人の興味のある物・好きな物を用意しよう」
「麻痺への不安や不快な気持ちの原因があるから
それを探索して改善しよう」
「やろうとしたら褒めてあげよう」
と言っているのと同じことです。

そんなことを言ったり実践したりしている人が
いるのでしょうか?

なぜ、同じ脳の病気によって起こる
暮らしの困難に対して
一方には全く考えもしないことを
他方には当然のごとく喧伝されてしまうのか

耳に心地良いマジックワードによって
思考停止してはいけないと思います。

目の前にいる認知症のある方に
一生懸命何とかしたいと努力している
ご家族や対人援助職の人が
見当違いの方向で努力することによって
心身のエネルギーを余分に消耗することなく
より建設的な方向に向かって発揮していただけるように
私からの提案としてお話させていただきます。

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POST連載記事 6

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POST
理学療法士による、リハビリ職者をめざすためのサイト
http://1post.jp

こちらに私の連載記事の最新号が掲載されました。

タイトルは
「誤介助が原因の 改善できる食べ方」
http://1post.jp/2016/06/29/demenia_ot_colum06/

こちらの記事で示した状態像のある方は
あるあるなケースです (^^;

今まではムセていなかったのに
最近よくムセる。。。という方は
早く適切に対応することによって
もう一度ムセなく食べられるようになります。

是非、記事を読んでみてください m(_ _)m

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評価から遠ざかる見方・考え方

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ときどき精神科の作業療法士から聞く言葉
「あぁも考えられる、こうも考えられる」
なぜか、得意げに語る人が多くて
本当に不思議です。

だって、それって評価と真反対の姿勢です。

評価というのは
これは確実に違う
これは考えられない
と、除外していく過程の積み重ね

同じコトが認知症のある方の食事介助についても言えます。

「想像力を働かせて」
「その人の好きな食べ物で」
「その人らしさ、その人の物語を探る」
などなど、よくよく聞く言葉です。

でも、それはあんまり関係ない。
まったく関係ないわけじゃないけど
食べやすくなるにはどうしたらよいか…を考えるうえでは
そういう心理社会的アプローチは役に立たないコトの方が
圧倒的に多い。

なぜなら、障害のために
食べにくい、食べたがらない、必然性を抱えているからです。

認知症のある方の食事介助の場面で
心理社会的なアプローチをとる…というのは
脳血管障害後遺症で運動麻痺が重度で上肢操作が困難な状態の方に
どうしたら麻痺側の手で操作しようと思ってもらえるのか
その人の興味を引くことは?
その人の好きな品物は?
その人らしさ、その人の物語を探る
というアプローチをしているのと全く同じことです。

そんなことを言う人はいないと思います。

どうして同じ脳の病気なのに
脳血管障害後遺症では考えもしないことを
こと、認知症となると
こんな方法論がまかり通るのか
本当に不思議です。

どこかで
認知症のある方の日々の暮らしの困難は
心理社会的な要因と誤解しているとしか思えません。
つまり、寂しい病、構ってほしい病、好きなことしかしない病

そうではないんだ。ということを明確に
私たちが認識するための近道が
食事介助を適切に行うということだと感じています。

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症状を形成することもできない

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「症状を形成することもできない人」
ということを河合隼雄の本で読んだことがあります。

なるほど。。。と思いました。

それって心理面だけじゃないように感じています。

河合隼雄の例とは
ちょっと意味合いが違うとは思いますが。。。

認知症のある方で
お身体が少しずつ弱ってくると
いよいよというところまで
熱も出ないし、目立った症状が出てこない。
「客観的に」数値に現れるようになると
もうかなり具合の悪さが進行してしまっている。。。
そういうケースをたくさん見てきています。

でも
表情とか
活気とか
その人らしさとか

そういうところでは、ちゃんと変化が現れている。

そもそも
「病気」というのは、
「診断」された時から
「病気」になるのだから
逆に言えば
「病気状態」であっても
「診断」されなければ「病気が存在しない」のは
どこにいても、誰でも同じこと。

私は医師ではないので
診断が仕事ではない。
その人の暮らしの援助をするのが仕事だから
「客観的な数値」ではなくて
あ、言うまでもないけど
客観的な数値を軽んじているわけではないですよ。
でも、数値に変化がないからといって
ガシガシ、いろいろなことを提供したり、
食べていただいたり
そんなことはしません。

それだったら、ロボットで十分ですよね?

症状がない。のと
症状を形成することもできない。のとでは
表面的な見た目は同じように見えるかもしれないけれど
その実、状態像は全然違う。

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急激な症状の悪化は身体の不調を疑う

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80歳代、90歳代の方の
急激なBPSDの増悪は
まず、身体の不調を疑います。

脱水、貧血、電解質異常、肺炎、心不全、慢性硬膜下血腫…などなど
身体の不調って案外とても多いけれど
認知症がベースにあるとこれまた見逃されがちだったりします。

その場の会話ができる方でも
記憶の連続性が低下していて
独居だったり、高齢世帯だったりすると
実は身体的な不調なんだけど
BPSDのようなカタチで現れたりします。

服薬管理が適切に行えなくて
降圧剤を飲み過ぎていたり
薬の副作用によるせん妄だったり。
ほとんど水分をとっていなかったり
満足に食べていなかったり

でも、そのあたりって
なかなか援助する側には見えにくいことでもあります。

だからこそ
一層、もしかしたら…という視点を
忘れないようにすることも大切だと感じています。

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認知症は脳の病気→障害を把握

我慢のしどころ

巷に溢れている認知症のある方への対応の誤解は
根本的には、
「認知症という状態は脳のさまざまな病気によって引き起こされる」
ということがわかっていないことに由来するのだと思う。

もっと正確に言うと
抽象的なレベルでは、わかったつもりになってるけど
いざ、日々の具体的現実的な困難に直面すると
抽象的な理解がすっとんでしまって
かつてどこかで聞いたことのある方法論
たとえば、不安や不快の原因探索とか
好きなコト・モノを探すとか
楽しく、笑ってもらうとか
一気に表面だけをみて、
表面改善の対応を考える人が
圧倒的に多くなってしまうのです。

いわく
どうしたら、食べてくれるようになるか
好きな食べ物を出してみよう

これらは
障害と能力の把握
つまり、今、何が目の前の方に起きているのか
この人は、この状況をどう認識して、どう表現しているのか
をすっとばしてしまっている。
表面的にみて表面的に対応を考えてるだけ。

脳血管障害後遺症としての片麻痺のある方に
何の評価もせずに
いきなり、どうしたら歩けるようになるか
いきなり、どうしたら元の職場に復帰できるか
なんて考える人はいない。

仮に、それをやったら
効果がないどころか、逆効果になることだって起こりえる。

それとまったく同じコトを
違うカタチで実践している。
しかも、良かれと思って実践してしまっている。

さまざまな疾患を抱える方へのリハが進歩してきたように
認知症のある方へのリハやケアも進歩していくはず。
5年後、10年後の進歩を心から期待しています。
そして、どんなに小さくても
その一助にこのサイトがなれるようにガンバリマス。

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認知症疾患治療病棟のOTの役割 4

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私は今、認知症疾患治療病棟に勤務していますが
大切な役割の1つとして
身体的な障害を評価できる
ということを挙げておきたいと思います。

認知症=アルツハイマー型認知症
というわけではありません。

認知症という状態像を引き起こすさまざまな疾患があります。

臨床的に多いのは、アルツハイマー型認知症ですが
ときどき、ちょっと変わった変性疾患の方も入院されます。

レビー小体型認知症や前頭側頭型認知症のある方は
かなりの頻度で入院されます。

その他にも
大脳基質基底核変性症やALSを合併した認知症
特定不能な認知症のある方も入院されます。
そのような場合には
身体的な障害を起こしている場合がとても多いものです。

また、どんな疾患であれ、症状が進行すると
皮質の萎縮による脱抑制によって原始反射が起こる場合もあります。

このあたり
知識がないと身体的な障害というのは
実はかなり見落とされがちなんです。

そして、「認知症」という先入観によって
知識がないがために
「乱暴」「意欲低下」「心気的」「性的逸脱行為」などと
誤った判断を下されがちです。

民間の単科の精神科病院では
「身体的な障害」を評価できるのは
作業療法士だけ。だったりすると
身体的な障害を身体的な障害だと伝えることができるのも
作業療法士だけ。ということになります。

認知症治療病棟に勤務する作業療法士の
大きな役割の1つだと考えています。

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食事介助が変われば他の介助も変わる

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食事介助が適切に行える方は
他の介助も適切に行える方です。

食べることの援助ではなく
ただ食べさせているだけの方は
申し訳ないですが、他の場面でも
援助ではなく「〇〇させる」のではないでしょうか。
その方法論が
乱暴なのか、優しげなのかの違いがあったとしても。

どんなに優しげに接したって
「〇〇することの援助」と「〇〇させている」ことは
天と地ほどの違いになってしまいます。

優しい=良い関わり
というわけではないのです。

食事介助において
「食べることの援助」を明確に自覚した上で実践できる人は
使役ではなく援助というメタ認識のもとにメタ実践を
ただ食事という場面で実践しているに過ぎないので
場面が変わっても共通するメタ認識のもとでメタ実践を
できるようになります。

食事は
最後まで残る
認知症のある方が「行為」として表出できる場面です。

しかも
比較的工程の少ない、シンプルな、繰り返しの多い場面です。

他の排泄や更衣、入浴という複雑な場面よりも
介助者が何が起こっているのかわかりやすいのです。

つまり、食事介助において
援助ができない人に
他の場面において援助ができると言えるでしょうか。

暮らしの場面において
もっというと私たちの在りようにおいて
100%の完璧性というものは存在しません。

けれど、私たちの関わり方において
「援助」なのか、「使役」なのか、ということは
180度方向性が異なってきます。
時には「使役」するしかない場面だってあるでしょう。
でもその時には「使役」しているんだという自覚が必要です。

その場で使役をしているのに援助のつもりになっている
その場は使役で、力技で「問題を解決」できたからといっても
今はよくても、その後に悪影響を与えてしまうということは
たくさんあります。
感情の記憶は残っていくと言われている所以です。

食事介助が適切に行えるようになる
ということは、
介助全般が適切に行えるようになることの
入口なのです。

 

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