「良い目標」で誤解されがちなのが
何を「良い」 とするか…ということ。
目標を目標として設定できているかどうか
が重要であって
価値としての良さのことではない。
良い目標と悪い目標の違いがわからなければ
良い目標を設定することは難しい。
昨今
目標としての良さへの検討よりも
価値としての良さへの検討が
重要視されているような気がして
ちょっと心配。
手段の目的化が目立つのも
そんなところが影響しているように
感じる今日この頃です。
12月 27 2012
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12月 26 2012
ずっと疑問だったんだけど
実習に来る学生に
目標設定を学校でどんな風に教わったか聞くと
みーんな仮想患者さんを例にして設定した
…って言うのよね。
でもさ
目標設定教えてもらう頃って
実際の患者さんをあんまり知らないのよね。
具体的なイメージができないんじゃないのかなぁ
…って思うの。
インプットされるのは言葉の字面だけで。
思うに
もっと学生に身近な「仮想」目標を
設定させたり検証させたら
いいんじゃないかと思うんだけど。
例えば
「仮想過去の部活動中の自分」の長期目標と短期目標。とか。
どの目標がよくて
どの目標が悪いのか
どうしたら悪い目標がよい目標になるのか
その体験をしてから
仮想患者さんへの目標設定をしたらいいのに
…ってずっと思ってた。
だから
養成校で目標設定は習っても
設定の過程を理解していない学生には
患者さんじゃない「仮想」で設定の過程を説明して
それからもう一度担当ケースで考えてもらったりしてます。
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12月 20 2012
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12月 10 2012
「新しい市場のつくりかた」
三宅秀道
東洋経済新報社
読みました。
一言で言うなら
あっと言う間に読めるけれど
じっくり何度も読み直したくなる本です。
スティーブ・ジョブズは
「顧客は本当に欲しいものは
手にとるまでわからない」
と言っていた。
商品開発というのは
新しい商品ではなくて
新しい生活様式…文化をつくる
ことなのだと。
その過程において
終始一貫関わる人が必要なのだと。
これはまさしく
「Re-Habilis 再び適する」
を環境の側から書かれた本だと感じました。
何度もリハとの共通点を思い起こしながら読みました。
障がい者用の椅子から快適なオフィス用の椅子を開発したエピソードも出てきます。
納得すること、共感することが盛りだくさんのこの本。
やることやってまた読み直そうっと (^^)
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12月 06 2012
12月1日(土)に開催された
湘南OT交流会さん主催の
「だから作業療法が大好きです!出版記念講演」
に参加してきました(^^)
講師は皆さんご存知の葉山靖明さんです。
参加してよかった…しみじみとそう思いました。
研修会の帰途、にこにこしている自分に気がつきました。
お腹が満ち足りた子どものような
それでいて身体の奥から静かなエネルギーが満ちてくるような
そんな感覚を体験しました。
ご講演には実はOT以外の方もいらっしゃったのですが
その方が「OTの奥深さ、崇高さを知ることができました」
と感想を述べた時に、葉山さんはサラッと
「ありがとうございます」
とおっしゃったんです。
うわー!
こんなにも自然に当たり前のように
OTにエールを送ってくださっているんだ…
ということを強く実感しました。
このエールをムダになんかできない。
葉山さんがOTとの出会いを自らの生きるパワーとしてこられたのと同じように
いいえ、それ以上に、葉山さんとの出会いを自らのパワーにして、目の前の方ひとりひとりに相対していこう。
そう感じました。
葉山さんのHPはこちら
http://www4.ocn.ne.jp/~keyakist/index.html
湘南OT交流会さんのHPはこちら
http://1st.geocities.jp/shounan_ot/index.htm
葉山さん
湘南OT交流会のみなさま
どうもありがとうございました!!!
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10月 23 2012
質の担保のために必須なのは
難易度の設定が適切にできること
言い換えれば
場面設定が適切におこなえる
ということでもあります。
認知症のある方に対して
「何をしたらよいのか」ということが喧伝されがちで
「どのようにしたらよいのか」ということが
疎かにされがちだという現実が示していることは
認知症のある方に対する対応の困難さ
というカタチで現れてはいるけれど
実は、分野を問わずに
潜在しているリハ職あるいはサービス提供者側の困難
を表しているように感じられてなりません。
もっと言うなら
いろいろな場でカタチを変えて現れてもいるように感じます。
「する」ことで「考える」ことを回避する。
的確に言うなら
「する」ことの悪い側面が悪い方向へ現れている。
「する」ことによって
具体的に「わかり」具体的に「修正する」ことができるはず
なんだと思うのですが … 。。。
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10月 22 2012
「やればいいってもんじゃないのに…」
老健に勤務している時にずっと思っていました。
例えば、CVA後遺症で片麻痺がある方に
立ち上がり100回を課す…とか。
あるいは、逆に筋力増強としていながら負荷もかけずに10回…とか。
運動のパターンが問題なのに回数だけしたってしょうがないし
筋力増強なら負荷設定のしかたにのっとるべきなんじゃないのかな…って。
でも、辛くてたくさん頑張ると効果がある
…と思い込んでいる方も大勢いらっしゃいました。
そして、その結果、痙性を高めてしまったり腰を痛めたり
リハビリというのは
言い換えれば、学習であり環境(物理的・心理的)適応の過程です。
効果的なアウトプットを求めるためにはインプットの調整が必須です。
やり過ぎも、やりなさ過ぎもよくない。
質の担保が先で、質の担保があってこそ量が生きてきます。
そこがわかってないからこそ
量にこだわる(こだわりすぎない)という過剰な対応を
してしまったり、求めてしまったりするのではないかと感じています。
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