機械的なリハ、ケア、援助
考えることもなくあてはめるだけで
振り返り検証することもなく
努力もせずにできるけど
作用反作用の法則
物理的にはたらくチカラが
心理的にはたらいたっておかしくない。
援助は
対象者にも援助者にも
エンパワメントをもたらすものだけれど
機械的なそれらは
逆にpowerを奪われてしまうのだと思う
機械的な人たちは
それを恐れて一層機械的になるのだろうけれど
知らないうちに一層powerを奪われている
対人援助職
恐ろしい仕事だ。。。
1月 30 2013
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1月 29 2013
人間、身体が資本だから
身体的な疲労はあるにしても
対人援助職が心理的に疲弊してしまうのって
どこか今ひとつ援助できていないことも
要因の1つとしてあるんじゃないかな?
ある意味、割り切ってしまって
そんなの考えようともしないような人たちは
心理的に疲弊することすらできない。
一生懸命な人ほど
どうしたら真に援助できるのか
真に援助するとはどういうことなのか
考えながら実践に励み、現実との間で疲弊してしまう
悪化が良貨を駆逐する…というような現実は哀しい。
一生懸命な人が遠回りしないでもすむように
疲弊する前に
希望をもって働けるように
「よっしーワールド」「よっしーずボイス」が
少しでも役に立てばいいな…。
高望みし過ぎかな…。
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1月 25 2013
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1月 22 2013
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1月 18 2013
例えば
レスキュー隊の養成過程は
過酷な状況においても人を救出することができるように
知識と技術と体力をトレーンングされる
そして必ずクリアすべき条件が設定されている。
クリアできなければふるい落とされることだってある。
プロとしてのスタート地点に立てるかどうか
トレーニングした上で判断される。
OTはどうなんだろう…?
「実習では、OTの素晴らしさや楽しさを教える」
と言ってる人たちは
学生がOTとしてスタートラインに立てるかどうか
トレーニングした上で判断している、できているのだろうか?
卒前の養成よりも卒後の養成に力点がシフトして
でも現実問題、協会の加入率は低下し
個々の職場での養成だって職場任せになっていて
その人たちはこういう現実を
OTという国家資格の質の担保をどう考えているのだろうか?
自分や自分の大切な人が
対象者の側にまわった時にどう感じるのか
…ということを考えたことがあるのだろうか?
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1月 17 2013
あちこちで起こっているような気がします。。。
結果として起こることを目的化する。
う〜ん…
たとえば
実習指導において「実習は楽しくなくちゃ」
たとえば
臨床場面では「認知症のある方の笑顔を求める」
もちろん、実習は辛いほうがよいとか
認知症のある方が泣いたっていい
…なんて言ってるわけじゃありません。 念のため。
実習では、まずは、規定されている到達目標に
学生が達するように援助することがSVの本来の目的なんだし
(学生が楽しいと感じるかどうかは学生の自由であって
SVがcontrolすることじゃない。)
認知症のある方だって、状況認知が明確になったが故に
笑顔がなくなり表情が不安そうになることもあります。
でも、笑顔があったって状況認知が低下している状態と
いったいどちらが「よい」のかは…本当に難しいことです。
結果として起こることを目的化して
本来の目的が揺らぐようであれば
それは本末転倒のそしりを免れえない…と思います。
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1月 16 2013
私が卒業して1年目。
準公務員的職場だったからお給料は。。。
必死になって研修に出たり本を読んで勉強しまくりました。
(お金が足りなくてパンの耳食べてたこともある。。。マジで(^^;
だって対象者やご家族の立ち場だったら
まったく同じ時間で同じお金を払うのに
誰だって腕の良いセラピストに担当してもらいたいですよね。
もっと良くなるはずなのに
私が担当したばかりに良くならなかったら申し訳ない。
だから必死だった。
お金も時間もエネルギーも
随分使ったけれど、だからこそ身についたこともある。
そして、努力の積み重ねのある言葉とそうでない言葉は
ちょっと聞けばすぐわかっちゃうんだよね。
今、必死になって頑張っている人は
もしかしたらとてもそんな風には思えないかもしれないけれど
努力は決して自分を裏切らない。
寒さ全開!の今日この頃ですが、お互いガンバロー!
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1月 15 2013
ご家族の方に対応のポイントを伝える時には
Aさんの場合には、こんな風にするとよいです。
…という風に具体的にお伝えするようにしています。
再現できるように…
抽象的なことや一般論は
もう本を読んだりしていてて知ってるんだよね。
でも、それじゃあ日々の暮らしには役に立たない。
具体的に伝えて
具体的に再現していただいて
それから「意味」や「考え方」を伝えると
応用の幅も広がりやすいようです。
その過程において
私もトレーニングされるんだよね。
その過程が積み重なっていって
より深く「意味」や「考え方」がわかるし
だからこそ具体的な方法論のバリエーションも増える
(正確には思いつけるようになる。かな?)
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