私は臨床が大好き。
苦しいし、辛いし、哀しくなるし
でも、同じくらいおもしろい。
日々、発見。
認知症のある方自身のことも
OTとしての取り組み方も
例えて言うなら
タマネギの皮を一枚一枚とむいていく感じ?
別の言い方をするなら
自分の知識と考えをだんだん大きく包含していく感じ?
認知症のある方が
日々の暮らしの困難を自らの能力と特性で乗り越えていく
その体験は
私にとって大きな支えです。
8月 13 2012
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8月 10 2012
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8月 09 2012
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8月 07 2012
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8月 06 2012
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8月 03 2012
ご家族によって
退院先によって
何をどこまでどんな風に伝えるか
…それはすごく気をつけています。
認知症のある方の評価は
能力と障害と特性の把握に始まるけれど
ご家族の評価も同じ。
ご家族と「やりとり」をする過程で
やりとりそのものの成立はもちろんだけど
ご家族の能力と困難と特性の把握もおこなうことができます。
場合によっては、明確化するために「やりとり」を「使う」こともあります。
とりわけ、ご自宅に退院される場合には気をつけないと。
安易な評価で安易な作業を指示した結果
ご家族を追いつめ
ご本人が辛くなってしまうことだってあり得ます。
私たちの目標は「帰す」ことではなくて
「在宅支援」…家で暮らし続けることの援助。なのですから。
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8月 02 2012
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8月 01 2012
申し送りなんかでよく聞く言葉。
「問題ありませんでした。」
…???
「お変わりありませんでした。」
じゃないのかなぁ?
実際の言葉にはしていなくても
「問題ありません」と言ったということは
その人の問題行動の有無を見ていた
…と言明したことになるし
「お変わりありません」と言ったということは
その人が変わりなく過ごしていたかどうか
…を見ていたと言明したことになる。
言葉って本当に怖い。
でも、逆に活用もできる。
言葉を意識して言ってみると
見えてる景色が変わると思う。
言葉には、扱う人の意識が投影されてる。
逆に言えば、言葉を変えることで意識も変えることができる。
リハビリテーションが依って立つ根拠だもの。
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