ちょっとかなりビックリしてしまうことですが臨床でかなりの確率で遭遇していることなのです(^^;
その場での言語のやりとりがきちんとできると記憶の連続性の低下についてきちんと評価が為されにくいようです。
礼節が保たれ
ユーモアたっぷりに
時には療法士を気遣うような対応ができる
それでも記憶の連続性は著明に低下している
というケースはたくさんあります。
HDS-Rが10点以下でも
そのような対応ができる方は大勢おられます。
「普通のおばあちゃん?」
の記事にも書きましたが
そのくらいに、誤解がまだまだ多いのだと思います。
リハという特別に設定された場面で
従命可かどうか…ということが優先されるのであれば
記憶の連続性について評価しなくてもすむかもしれません。
ですが
その方が生活という場でどのように過ごせるのか
という観点に経てば
否が応でも、記憶の連続性という状態を観ないわけにはいきません。
介護保険で要支援認定のおりた方でも
冷蔵庫の中にはモノがあふれ
薬の飲み残しや数が足りない
といった状態の方はたくさんおられます。
老健では認知症短期集中リハ加算が創設されたこともあり
「なにかトレーニングしなくちゃ」
と焦る療法士も少なくないかもしれません。
でも「やる」ことばかりに気を取られ
「どんなことをしたらよいのでしょうか?」
と質問されることがかなりあります(^^;
「記憶の連続性はどの程度?」と聞き返すと
何の評価もしていなかったりします。
観察もしていない
HDS-Rもとっていない
うーん…
それって
CVA後遺症のある方に
評価もせずに、とにかく麻痺側上肢を動かすためにどうしたらよいのか
と問うようなものなのですが(^^;
記憶の連続性について
自分の観察と客観的指標との照らし合わせの経験が少ない人には
まず、HDS-RなりMMSEなりを必ずとることを推奨します。
自分の観察が結構いい加減なことに気づかされると思います。
(いかに、その場の対応に左右されるか…という意味です)
よっしーずボイスでもHDS-R関連の記事を複数書いています。
もしよかったらご参照ください。
「HDS-Rは対象者を傷つける」
「HDS-R 答え方にも注目」
「HDS-Rの終わり方」
「ふだんの会話の中での視点」
最近のコメント