適切な対応は自然すぎて
なんにもしていないように
なんにも考えていないようにすら思われるかも。
だからこそ、適切なんだけど。
でも本当は
いろーんな吟味を踏まえての対応だから
表面だけマネしようと思っても
吟味の過程を経ていない人には再現できない。
6月 28 2013
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6月 24 2013
不適切な介助も意味がある
最近はそう思うようになってきています。
しゃかりきになって
100%の適切な介助の「統一」を求めなくてもいいんだ…って。
モチロン、程度問題ではあるけれど
常に対象者に対して100%の適切な介助が行われなくても
ガッカリすることはない…って。
なぜなら
不適切な介助の体験があるからこそ
適切な介助の入力が際立つ
対象者の心身が「相違」を明確に感じ取れるなら
比較対照の相違という認識を
不適切な介助がもたらしてくれるのでは?
介助の100%の「統一」に心身のエネルギーを注ぐよりも
一回の介助の適切さが100%になるように
心身のエネルギーを注げばいいんじゃないか?
実は100%適切な介助ではなくて
88%くらいの適切さ加減に過ぎないのに
100%だって勘違いしていることが問題だったんじゃないか?
そんな風に考え、また、感じてもいます。
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6月 18 2013
明日は職場で新人研修「会議」を開催します(^^)
会議参加が必須の対人援助職でありながら
会議が何たるかを知らない
会議参加者の心得を知らない
意見提案するにあたっての知識と技術
会議を進行するにあたっての知識と技術
養成過程において、あるいは、卒後の研修において
教わったことのある人のほうが少ないという現実。。。
知識と技術は、日々の反復トレーニングによる積み重ねが大切ですが、基本的な事柄を知ってのうえでのこと。
私は、老健に勤務してから必死でビジネス本を読みあさりました。
誰も教えてくれなかったから必要に迫られて。
今、新人研修で教えていることは
私が若い頃に教えてほしかったなぁ…と思ったこと。
「会議」も然り。
「目標設定」も然り。
もっというと、論理的思考のトレーニングとか。
OTである前に社会人なんだもの。
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6月 12 2013
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6月 11 2013
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6月 10 2013
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6月 07 2013
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5月 31 2013
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