Tag: コミュニケーション

対応の誤解 1−Ab

我慢のしどころ

A:「じゃあ、認知症のある方の言動を否定しないとして
どうしたらいいのでしょうか?」

Q:それは
認知症のある方の感情や感覚にそって
受け答えをすると良いと思います。
事実関係について真偽を伝える…ということが
適切なケースもあるとは思いますが
基本的には、事実よりも
そのように受けとめた感情や感覚にそってお話を聴くと
良いと思います。

その場しのぎをするように
ごまかしたり、笑わせたり、気をそらせたり
ということではありません。

暮らしの場面では
その場しのぎだって必要なこともあると思います。

そのような場合には
自分の中でその場しのぎをしていると自覚しながら
その場しのぎをすることが優先されると思います。

普通に考えて
誰だって常に100%完璧完全なことをしながら
暮らしている訳ではありません。

問題なのは
その場しのぎにしか過ぎないことを
適切な対応と誤って認識して
しかもそれらが推奨・流布されていることだと考えています。

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対応の誤解 1−Aa

我慢のしどころ

Q:「なぜ認知症のある方の言動を否定してはいけないのですか?」

A:それは
1つには、それらの言動には必ず認知症のある方の
障害だけでなく能力も反映されているからだし
1つには、そうする必然があっての言動なので
(大切なことは、原因ではなくて必然です)
表面的に否定しても必然が解消されないので
もっと強くもっと大きな表現方法でわかってもらおうとする
つまりそれらは非合理的な方法でしか現れない
認知症のある方の大声や暴言という形になって
現れるしかなくなってしまうからです。

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対応の誤解 1−Q

ちょっと待った

認知症のある方への対応について
常識のように言われていることでも
実は誤解に基づいて流布されていることって
とっても多いなぁと感じています。

たとえば
「認知症のある方の言動を否定してはいけない」

こんな風に言われたら、確認してみてください。
「なぜ否定してはいけないんですか?」
そしてもっと大切なことは
「じゃあ、どうしたらいいんでしょうか?」

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王道を丁寧に

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横道にそれたり
近道の誘惑に負けたり
時にはそういうこともあるかもだけど
王道を丁寧に
地道に愚直に進んでいけば
自分自身に対して誠実でいられる。

誠実である
という体験をしたことがないと
わからないんだよね。
自分が何をしてるのか。

若いと自分が何者かもわからないから
よけいに焦るのは、わかるけど
(かつての私もそうだった)
やらなきゃわからないことは
やるしかなくて
一見徒労に思えるような時間こそが
将来の土台になっていくから
やるしかない時代がムダにはならない
ということを伝えたい。
(かつての私には誰も伝えてくれなかった)

王道を丁寧に歩むには
若い時のトレーニングが一番
手近かな近道や華やかな横道は
心そそられるかもしれないけど
いつか自分が対象者の側に回った時に
かつての自分が目の前に現れる。
(若いとそんなことまで想像もできないと思うけど)

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(株)geneセミナー「対応」@大阪

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株式会社geneさん主催のセミナーが
2月7日(日)、大阪府社会福祉会館にて開催されました。

認知症のある方への対応の工夫を
単なるハウツーやマニュアルではなくて
ICFの理念にそって
評価と結びつけて考えるという視点でお話しました。

担当してくださったKさん
お世話になりました。
どうもありがとうございました。
Kさんから頂いたメールがきっかけで
geneさんのセミナーでお話できるようになったので
お会いできて本当に嬉しかったです。

参加してくださったみなさま
おつかれさまでした。
1月の評価編から引き続き参加してくださった方も
何人かいらっしゃって、ありがたい限りです。

私は本当に遠回りをしてここまで来ました。
これからの人たちが同じ轍を踏むようなことになっては
もったいない。
認知症のある方とご家族の困難が少しでも減るように
もっともっと対応を工夫できる余地があると考えています。
そのためには、余分な遠回りをするような人が1人でも少なくなり
もっともっと上に積み重ねていってほしいと願っています。

私の提唱している考え方と方法論は
ごくごく当たり前で基本的なものです。
だからこそ有効なのだと自負しています。
どんなツールでも下支えできる王道なるものだと。
(おーっと、言ってしまいました)

知らないために苦労されている方
誤解に基づいた方法論に翻弄されて疲弊している方
努力が足りないのではなくて
努力の方向性が違うだけなのだということを伝えたい。
私たちの側の問題なら
私たちの側で解決できるのだということを伝えたい。

認知症のある方と私たちとの恊働で
日々の暮らしの困難をもっと乗り越えていけるのだと。
そして認知症のある方の能力と
人間の脳の可塑性の凄さに触れる機会は
時に対人援助職としての自分が崩れそうになる時にも
励まし支えてくれる場なのだということを伝えたい。

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信頼の重み

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もしも
受け入れるチカラが
自分と他者への信頼にもとづくものであるならば
信頼の重みを改めて思う。

「認知症のある方は忘れちゃうから」「わからないから」
ごまかしたり、ウソを言ったりするケースもあるようですが
なんだかなーと思ってしまいます。

モチロン、そうせざるを得ない事情があったのでしょうし
それ以外の方法論が思いつかなかったからなのでしょう。

今のその場しのぎを
その場しのぎと自覚して行うのなら、まだしも
本来は推奨されるようなものではなくて
推奨すべきは、その場しのぎをしなくてもすむように
より適切な方法論を模索し提案できるようになることだと
考えています。

誰かを信頼する
信頼される
その関係性を継続するには努力がいるけど
失うのは一瞬
そして修復できる時間が残されていない場合だってある。

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信頼と受け入れ

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「ゲド戦記」のゲドが言ったんだと思うけど
「持つべき力は、受け入れる力」という言葉がある。
(そのゲドだって、苦闘したことが描かれてる)

受け入れるチカラって
究極は自分と他者への信頼にもとづくチカラのような気がする。

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もう1つの言葉

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認知症のある方とのコミュニケーションや対応の工夫において
言葉にだけ、頼らないことが大切

もう1つの言葉である「行動」と「声」

身体が発している言葉
身体で伝える言葉

もっと吟味されて
もっと洗練されて
もっと活用される余地がたくさんあると感じています。

どんな病気による認知症のある方でも
体性感覚は、かなり最後まで保たれているから。

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