Tag: コミュニケーション

DFJ Summit 2016に行ってきました

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平成28年9月3日(土)4日(日)に
明治大学中野キャンパスにおいて
「認知症フレンドリージャパン サミット2016」が開催されました。

私は3日(土)は仕事でしたし
ちょっとお疲れモードだったこともあって(^^;
4日(日)に半日だけ参加しました。

ある人に誘われて参加したのですが
行ってよかったー!!!
行きたい気持ちはあるけど自分の状態とこれからの予定を天秤にかけて
今回は残念だけどパスくらいの気持ちでしたが
思い切って参加して本当に良かったです。
誘ってもらえなかったら行かなかったかも。。。
「人」の存在ってほんと、大きいって実感しました。

サミットの詳細はこちら
https://peraichi.com/landing_pages/view/dfjs2016

認知症フレンドリージャパンイニシアチブのサイトはこちら
http://www.dementia-friendly-japan.jp

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象徴的なできごと@実習

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学生を実習でお引き受けすると
必ず、実習開始直後に
学生さんの在りようを明確に示すような象徴的なできごとが起こります。
そして、実習終了する頃に
もう一度明確に示すような象徴的なできごとが起こるのです。

すべての言動には意味があるし
その言動には、学生さんの能力も困難も特性も現れているから
考えてみれば当たり前なのですが。。。

だから
実習開始直後に起きたできごとは
私が実習指導をするにあたり心構えを作ってくれるものになり
実習終了間際に起こったできごとは
いわば「卒業試験」みたいな意味合いをもつものなのです。

象徴的なできごとは明確に起こりますが
一見すると些細なできごとでもあります。

象徴的なできごとを受け取ることができるためには
私たちに明敏さが求められると感じています。

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無事終了!食事介助の研修会@小田原

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平成28年8月30日(火)に
小田原保健センターにおいて開催された
県西地区のケアマネージャーさんの団体「OHMY」さん主催の
研修会「本当に怖い食事介助〜あなたが知らない分かれ道」で
講師を務めてきました。

一時は迷走台風の直撃か、と焦りましたが
無事に終了することができて本当に良かったです (^^)

参加してくださったみなさま、おつかれさまでした m(_ _)m
運営に携わられたOHMYのみなさま
中でもEさん、Mさん、お世話になりました。
どうもありがとうございました m(_ _)m

人の食べ方はいろいろで
結果として現れる「口を開けてくれない」「ためこんでしまう」という
食べにくさの状態もいろいろです。

でも、なぜか
万人に通用する方法
「こうしたら口を開けてくれる」「ためこみがなく食べられる」
があると思われている。。。
認知症のある方の生活障害やBPSDに対して
「こうしたらよい」
があると思われているのと同じコトが起こっています。

まず、何がその人に起こっているのか確かめることから始まります。

現状では
確かめられることなく「食べさせる」ことに終始してしまう。
仮に確かめられたとしても心理社会的側面に終始してしまう。
だから
認知症のある方の食べることの困難を改善することもできないし
介助者が辛い思いをするような現状を改善することもできないのだと考えています。

だったら、私たちが的確に確かめることができれば良いだけなんだと。

これは、今すぐにでもできることです。

なぜなんでしょうか?
私たちは今すぐにできることをせずに
どこかにあると思っている、でもそんなのあるはずがない魔法の杖を探している。
そして困り続けている。。。

いろんなトコロで
いろんなカタチで
でも同じコトが起こっているように感じられてなりません。

8月7日の大阪での食事介助の研修会に参加された方から
続々と対象者の方の変化や職場の変化についてご連絡が届いています。
本当に嬉しいことです。

私たちが変われば
認知症のある方の食べ方が変わります。

認知症のある方も
介助される方も
お互いがラクな食事場面に変わります。

そのコトを伝えられる機会をいただき本当にどうもありがとうございました。

会場の関係で、ご質問へのお答えが途中になってしまったことが気になっています。
ご質問してくださった方、もしよかったら、メールください。

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意味がこぼれ落ちる伝言ゲーム

ちょっと待った

ふと、伝承と教育ということを考えていました。

どんなコトでも起こりうるのだと思いますが。。。
モノゴトが広まっていく過程において
伝言ゲームのワナに陥ってしまうことがあるのだと思います。

たとえば
徳利からお酒を注ぐ時に
どこからお酒を注ぐかというと
とんがっている方が注ぎやすいというのではなくて
とんがっている方を上向きにして注ぐのだそうです。

徳利の口を相手に見えるようにして
とんがっている方を上にすると
相手からは、徳利の口が宝珠の形に見える
だから、とんがっていない方からお酒を注ぐのだそうです。
お酒を酌み交わす相手の幸福を願ってお酒を注ぐという意味があるのだそうです。

それから
宮大工のお弟子さんは
作業場のお掃除が仕事だった。
まずできることといったら、お掃除だというだけではなくて
片付けながら、道具を観ることができる。
どんな風に仕事をしていたのか、その一端を垣間みることができる
掃除しながらものすごい勉強になる。
決して面倒なことをお弟子さんにさせてるわけではない。

昔は
朝起きたら子どもが玄関周りのお掃除をするのが役目の1つだったとか。
その時々で玄関周りの様子は違うから
状況をよく観て綺麗にする
綺麗にするためには状況を観て
風向きなんかも考えないと
いつまでたっても綺麗にならない。
つまり、観察力と判断力をトレーニングしてから
一日を始めるという「予習」的な意味合いがあったんじゃないかな。

表面的なカタチだけは伝えられて
でも本来の意味が伝わらずに
下手すると表面的にだけ捉えられて
「よりラクなやり方」を重視されて本来の意味が抜け落ちたり
お弟子さんの勉強になるようにという本来の意図が誤解されてブラック判断されたり
子どもの発達上重要なことよりも机上学習ばかり推奨されてしまったり
そんなことがあったんじゃないかな。。。と思うことが最近ありました。

意味がこぼれ落ちて表面的なことしか伝わらず
誤解された意味とカタチが後世に伝わってしまう

その結果、大切なことが欠けていってしまう

本来「ワザ」の仕事は、感覚つまり対象との相互作用に明敏であることが求められます。
作業療法はどうなんだろう?

知識の集積は以前よりも格段に進んでいると思います。
でも本質において、どうなんだろう?
表面的なことが伝わっていても意味がとりこぼされていることはないのだろうか?
だとしたら、どうしたら良いのだろうか?

そんなことを考えさせられました。

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DFJ summit 2016のお知らせ

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2016年9月3日(土)4日(日)に
明治大学中野キャンパスにおいて
第3回認知症フレンドリージャパンサミット2016が開催されるそうです。

詳細はこちらで ↓
https://peraichi.com/landing_pages/view/dfjs2016
事前申込制だそうです。

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現場における作業療法という問い

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Occupational Therapy を日本語で 作業療法 と言います。
でも、とても誤解がある言葉でもあります。

作業=手工芸ではありません。
作業=楽しみでもありません。
それらは、本来の作業の一部にしか過ぎません。

ある作業療法士は
ADL>労働>余暇という優先順位がある
と言っていましたが
まさしく、このことを私は自分自身の身をもって痛感しました。

実は私は、昨年、座骨神経痛を発症し一時期休職するほどの状態でした。
寝返りできず、座っていられず、間欠性跛行著明で5M連続歩行困難な状態でした。
私は映画を観るのが大好きですが
その時には映画のえの字も思い浮かびませんでした。
まず、座って食事ができる、仰向けで眠れる、寝返りができる
これらのことができるようになった時には本当に嬉しかったことを覚えています。
毎日暮らすことが必死でした。
生活がかかっていますから、仕事のことは気にはなりますけど
それどころじゃなかったというのが本当のところです。
職場復帰して少し慣れた頃から映画のCMを見た時に
あぁ、映画観たいなぁと感じるようになり
その時になって、あぁこんなことを感じることができるようになったんだ
と思ったものです。

作業療法士だからと言って
手工芸や楽しみという視点からだけ、治療や評価を考えるのは
occupation の枠組みを自ら狭めてしまう恐れがありますし
解決・改善できるはずの対象者の暮らしの困難に対処せずに
手工芸や楽しみという視点で実践することしかできないとしたら
対人援助職の在り方として適切なのでしょうか?

このあたり、現場では大きな深い混乱が生じているように感じられてなりません。

認知症のある方に対して
どう対応してよいかわからない。という声をよく聞きますが
そのような場合には、本当は評価ができていない。
どう評価してよいかわかっていないのです。
評価できていないから、どうしたらよいのか、わからない。
対応つまり治療がわからないのではなくて、評価の問題なのです。
でも、なぜか、問いのカタチとしては、評価の問題が出てこない。

作業療法についても同じコトが違うカタチで現れているように感じられてなりません。

作業をどう提供するか、作業とは何か
というカタチでいろいろなコトが言われていますが
結局は作業療法士として、どう評価するか曖昧なことが本質の問題なのではないか。

私たちは自分自身の問題でありながら
問いのカタチを取り違えている。
だからコタエを掴み損ねている。
今本当に必要なことはコタエの模索ではなくて、問いをもう一度問い直すこと
なのではないでしょうか。

そして、なぜ、問いのカタチを取り違えてしまってきたのか
なぜ、そのことに自覚がないのか
そこにも、根深い問題があるように感じています。

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第23回日精看専門学術集会でお話をします

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平成28年11月26日(土)27(日)新潟朱鷺メッセにて開催される
第23回日本精神科看護専門学術集会で
《実践セミナー》【認知症看護】作業療法士から学ぶ技(ワザ)
「食事介助を変えれば食べ方が変わる」
のプログラムでお話をさせていただきます。

一般社団法人日本精神科看護協会 http://www.jpna.jp
第23回日本精神科看護専門学術集会 http://jpna-gakujutsu.jp/senmon/

今後、精神科病院に入院する認知症のある方は
重度化・障害の複合化というように、より困難なケースが増えることが想定されます。
そのような方の食事介助というのは非常に大変です。
職員も大変ですが、認知症のある方ご本人も大変です。
本来、楽しみであるはずの食べることが苦痛・困難になってしまうのは
認知症のある方ご本人にとっても、美味しく食べていただきたいと願っている職員にとっても
辛く哀しいことです。

でも、そのような困難を改善することは可能です。

認知症のある方の食べることを援助することができるようになるためには
「食べる」ことと「認知症」についての両方の知識が必要です。

誤嚥性肺炎を再燃させず、CRPも陰性化したままでもう一度食べられるようになる
ムセっぽくなってしまった方がムセずに食べられるようになる
口腔内にためこんでいた方がスムーズに食べられるようになる
舌でスプーンを押し出してしまって、なかなか食べられずにいた方がスムーズに食べられるようになる
コップ1杯のお茶ゼリーを40分かかってやっと摂取していた方が5分で摂取できるようになる
125ccのペムパルという栄養補助食品1本を40分かかってやっと摂取していた方が20分でソフト食1人前を食べられるようになる

これらは本当に起こっていることなのです。

嚥下5相をどのように介助に活かし
どのように介助を考えるのか
その考え方を事例を提示することでお伝えします。
《実践セミナー》ですので、実際にスプーン操作のデモンストレーションも考えています。

経口から安全に円滑に早く食べられるようになることは
認知症のある方にとっても
ご家族の方にとっても
職員にとっても
とても大切なことです。

そして私たちは、「食べることの援助」の実践を通して
食べさせる(使役)ことと食べることの援助(援助)の違いを体験することができます。
その体験はメタ認識を通して他の援助場面での自分自身の実践の振り返りと
もう一段深い視点による実践を否応もなく問い返してきてくれます。

認知症のある方に寄り添ったケアとは何か
尊重と迎合の違いは何か

問いも答えも
私たち自身の実践の中にある

それを教えてくれるのは
目の前にいる認知症のある方なのだということを

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ROM-Ex.よりポジショニングを

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今、老健にも特養にも
寝たきりの方や準寝たきりの方が少なくないと思います。

私は勤務終了後に
ある施設に依頼を受けて伺っています。
そこで施設の職員の方の相談にのっているのですが
多いのが、食事介助とポジショニングの依頼です。

後頚部の筋が過緊張状態にあったり
全身の筋緊張が亢進していたりする方も少なくありません。

そんな時の第一選択は
まず、ポジショニングの設定です。

老健に入所されていれば
ご利用者の方は、最低週に2回のリハ職による
マンツーマンのリハを受けられますが
ご利用者の方は、個別のリハの20分よりもずっと長い時間を
車いすやベッド上で過ごされるのですから
その時間、どんな姿勢で過ごされるのか
ということはとても重要になってきます。

ベッドで休んでいるのに
身体がガチガチで筋緊張が亢進したままだと
寝ても身体は休まらない

不適切姿勢による筋緊張亢進をそのままにしておいて
ROM-Ex.をいくらしたとしても
効果がないどころか、逆効果になることすらあります。

適切なポジショニングを設定すれば
ほんの数分後には
全身がリラックスして
「こんなにユルユルになってるの、初めて見ました」
と施設職員の方に驚かれることもよくあります。

こういうことって本当に多いのが残念

同じコトが違うカタチで現れているだけなんです。

食事介助における、誤介助による誤学習で食べ方が悪くなってしまう
認知症のある方に適切な対応ができなくて混乱が増悪してしまう
適切なポジショニングが設定されていなくて全身の筋緊張が亢進してしまう

みんな同じコトの異なる現れに過ぎません。
私たちが変わることによって
目の前の対象者の方の現実が変わるのです。

身体が辛いのは対象者のせいだけじゃない。
混乱してしまうのは対象者のせいだけじゃない。
うまく食べられないのは対象者のせいだけじゃない。

私たちの無知や未熟さによる部分の方がずっとずっと大きい。

だとしたら
ううん
だからこそ
私たちの側の問題だから
私たちが変わることによって
対象者の方のもっている本来の能力が
やっと表面に出てくることができるんです。

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