Tag: 食事介助

コップで水分摂取の介助2

下唇にコップの縁を当ててから
コップを傾け
上唇に液体を触れるのを確認します。

そうすると
対象者のお身体が動きます。
動く場所は人によって異なります。
頭部だったり、背中だったり、顎だったり。
それが一口量のサインなのでコップの傾けを元に戻します。

してはいけないのは
コップを口角まで押し当てたり
一度に大量の水分を口腔内に「入れてあげて」はいけません。

対象者が「飲むのを援助」してください。

本当に多いのが
食事介助を「食べさせて」あげている人です。

本当に少ないのが
対象者が「食べることを援助」している人です。

言葉遊びではなくて
文字通りに
食べさせているから
飲ませているから
食べられなくなる
飲めなくなる
ということが起こっているのです。

そして
食べることを援助し
飲むことを援助すれば
もう一度食べたり飲んだりできるようになる方が
圧倒的に多いのです。

 

 

 

 

 

 

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コップで水分摂取の介助

いやーご無沙汰しました。
1週間ぶりですね。
ちょっと色々と急を要することが立て続けにありまして (^^;

今、職場でトロミは最小限にしようと取り組んでいます。
本当にガッツリ、トロミをつけられると
マズいし、喉の奥にへばりついて気持ち悪いし
「ゴクゴク飲みたい」っておしゃられる方の気持ちもわかります。

「ムセたら困る」「ムセないように」という気持ちから
不必要にトロミをつけられたり
トロミの粘性をあげられたりしていることもあるんじゃないでしょうか?

それは、善意からの行動ではありますが
プロとしては根拠なしの行動によって
対象者に不利益をきたしてしまっている恐れもあり得ます。

必要最小限のトロミにする
と、必然的にスプーンではなく、コップから介助で水分摂取してもらう
という場面が出てきます。

ところが、コップからの水分摂取の介助方法については
これまた、スプーン操作と同様に、
どこに気をつけるか、どのようにコップを扱うか
ということについては明確に言葉にして教えてもらっていない方が
圧倒的に多い現状があります。

起こっているのは
「同じことが違うカタチ」で現れています。

飲ませているけれど、飲む介助になっていない。
食べさせていても、食べる介助になっていない。

目の前にいる方の、飲みにくさ・食べにくさは
決して、その方だけの病状進行などの原因ではありません。

次の記事で
具体的な操作方法について記載していきます。

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食べ方は連続性の中にある

人間の身体は
解剖学的にも生理学的にも連続しています。

食べるということは
摂食・嚥下5相の一連の流れの中にあり
相互に影響しあっています。

つながっているから

決して
咽頭期だけの問題などではありません。

VFやVEで咽頭期の機能が目に見えるようになったことは
良いことではありますが
それが全てではありません。

咽頭期は口腔期の影響を受けますし
口腔期は準備期の影響を受けています。

だからこそ
準備期(=スプーン操作)を変えることに意味があります。

シュレディンガーは言いました。
「大切なことは誰もが見ていることの中に
誰も考えたことがないことを考えること」

私は意図していたわけではありませんが
結果として誰もが見ていることの中に
誰も考えたことがないことを考えていました。

それは私の頭の中だけで生じたわけではなくて
目の前にいる方の食べ方をありのままに観察したことによって生じたものなのです。

 

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食事介助は相互関係の中にある

文字通り
食事介助は食べようとする方と介助する人との相互関係の中に成り立ちます。

たとえ
意識しようとしまいと

特に
準備期は食べようとする方に
介助する人のスプーン操作が直接影響します。

どんなに
重度の認知症のある方だとしても
適切なスプーン操作には適切に反応し正の学習が生じ
不適切なスプーン操作にも適切に反応し誤学習が生じます。

クリスティーン・ブライデン氏の
「異常な環境には異常な反応が正常だ」
というわけです。

本当に根深い誤解として
認知症のある方の食べ方を100%認知症のある方のせいにしてしまう
とりわけ咽頭期の問題に集約してしまう傾向がありますが
それは、ICIDHにまだまだ囚われていて脱却・卒業できていない
ということを意味していると感じています。

 

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ヘンな言葉「立って食事介助してはいけない2」

立って食事介助してはいけない理由
1)上唇での食塊取り込みを阻害してしまう
  上の歯でこそげ落としたり、スプーンを斜め上に引き上げてしまいやすいから
2)喉頭挙上の動きを目で見て確認しにくい
  喉頭の不完全挙上や複数回挙上を見落とす恐れがある

生命に直結するリスクのある介助となってしまいます。

食事介助をする時に
上の歯でこそげ落としたり、
スプーンを引き抜く時に斜め上に引き上げていたら
立って食事介助をしようが、座って食事介助をしようが
どちらでも危険な介助であることに変わりはありません。

「食事中にムセたから食事は中止」するよりも
(これだっておかしなことですが)
上記のような危険な介助をしている場合には
結果としてムセているので
まずは、きちんとしたスプーン操作ができるようにすることが先です。

手段の目的化に陥ったり
表面的に言動を規制することしかできないと
実際には対象者の方に対して不適切な介助をしているのに
表面は良いと言われた言動をしているので
かえって介助の自己確認・自己修正が効きにくいという
大きなデメリットがあります。

ハウツー思考の弊害
「〇〇という時には△△する」
「□□の時には✖️✖️してはいけない」
というだけの対応では
たまたま「当たる」ことはあっても
普遍・本質的な在り方ではなく
自己修正を阻害することもあるので
良くないどころか、かえって悪い、逆効果になることすら起こり得ます。

 

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ヘンな言葉「立って食事介助してはいけない」

ネットを見ていると
手段の目的化にたくさん遭遇します。

先日は、こんな書き込みを見かけました。
「立って食事介助してはいけない」
「立って食事介助してる施設はよくない」
etc.

確かに立って食事介助するよりは座って食事介助した方が良いです。
でも、座って食事介助すれば良いというわけでもありません。

大切なことは
立って介助してはいけない理由は何か
座って介助した方が良い理由は何か
ということを明確に認識できているかどうかということです。

理由を認識せずに
「立って介助してはいけない」と言われたから
座って介助しているだけでは
結局立って介助しているのと同じことをしてしまう場合もあります。
もしも
「自分は座って食事介助してるから良い介助をしている」
と思い込んでいるとしたら
いくら座って介助していても、かえって立って介助するよりたちが悪いとも言えます。

逆に
立って介助していても
座って介助できないからこそ
いつもより意識して介助しているのならば
それは立派な介助だとも言えます。

立って食事介助してはいけない理由は何でしょう?

上から見下ろした介助は相手に失礼?
相手の顔が見えない?

それもあるかもしれません。
心理社会的な意味だけでなく
生命に関わるリスクもあるのです。

(続く)

 

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基本の習得=意味理解

目の前の対象者に
適切なスプーン操作ができるためには
スプーン操作の基本が習得できている必要があります。

なぜか
ここをすっ飛ばしてしまう人がいるんですよねぇ。。。
「寄り添った食事ケアを」と言いながらも。。。

摂食・嚥下5相を理解した上で
・食塊認識を確認できる
・スプーンをまっすぐ正面に差し出すことができる
・スプーンを奥に入れすぎずに下唇or前舌を操作できる
・上唇を丸めて取り込むことを促すように操作できる
・スプーンは斜め上に引き上げずに水平に引き抜くことができる
・一口量を調整できる

できるということは
意味の理解もできているから
行動として常に実行できるということ

摂食・嚥下5相という言葉を聞いたことがある、知っている
という人は多いと思いますが
自身のスプーン操作を摂食・嚥下5相と結びつけて
なぜそうしてはいけないのか、なぜそうする必要性があるのかを
理解している人は、残念ながらそう多くはありません。

自身のスプーン操作を摂食・嚥下5相と結びつけた理解ができていないから
目の前の対象者の食べ方を摂食・嚥下5相と結びつけた観察ができないのです。
自身のスプーン操作と他者のスプーン操作の違いすら認識できないのです。
スプーン操作の違いがどれだけ対象者の食べ方に影響を与えるのか想像もできないのです。

逆に言えば
そこを学べば変われるということです。

自身のスプーン操作を
摂食・嚥下5相と結びつけた理解の上で修正習得できるようになれば
対象者が必死になって食べようとしていることを身に染みてわかるようになります。

「ちゃんと食べてよ」
という言葉の残酷さを痛切に感じるようになるでしょう。

「認知症のある方も食べられるようになるスプーンテクニック」
という本には基本的なスプーン操作とその意味が具体的に記載してあります。
ここまで実践的に基本操作とその意味が記載されている本は他にありません。

摂食・嚥下5相と結びつけたスプーン操作の基本を習得することは
対象者の食べ方の評価の入り口に立てることを意味します。

基本は大切

高い志を掲げるのなら、なおのこと

 

 

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適切なスプーン操作は評価の入り口

適切なスプーン操作ができないと
対象者の方の準備期を阻害してしまいます。

準備期の過剰適応・誤学習が
口腔期を混乱させ
咽頭期を低下させてしまいます。

逆に言えば
適切なスプーン操作ができれば
対象者の方の本当の食べるチカラを現前させることができます。

ここからが本番

対象者の方の食べ方をよく観察すれば
食べることの困難と能力を洞察できるようになります。
(ただし、知識があればの話です)

食べることの困難と能力を洞察できるようになれば
どうしたら食べやすくなるのか
どうしたら今の状態でも食べられるようになるのか
長期的な見通しとともに今すぐにできることが自然と浮かび上がってきます。

だから
具体的にどうしたらいいのかがわかる

最初に
「〇〇という状態の方には、△△したら良い」があるわけではありません。

適切なスプーン操作ができることが
評価の入り口に立てるということなのです。

 

 

 

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